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連休後の翌週、所用で、2の大地震に見舞われ 今も地震(気象庁は“余震”という用語にこだわるが…)が続く熊本に行った。一泊(12)。熊本市内の(1万円未満の)宿の多くは営業を再開できず、開いている所はボランティアを含む他県から派遣された復興支援の方々で?空きがなく、福岡に泊る。唯一の百貨店「鶴屋」も、14日、ようやく営業を再開した由。羽田~熊本の空撮は5年前にも掲載したことがある(⇒ブログ)。
羽田~熊本、512JL0623(06:25-08:10)
羽田-熊本①、アクアライン羽田-熊本②、川崎市スペーサ、タテ機(737-800)はD滑走路を北東に離陸後、右に旋回、富士山のほぼ真上を飛び、名古屋市上空~岡山市上空まで一直線。そこでやや南に進路をとり、大分市上空を経て熊本空港へ。座席は中央前寄り右側。旋回すると、早や富士山が遠くに見えた[②]。
羽田-熊本③、丹沢山地スペーサ、タテ羽田-熊本④、南アルプス全貌羽田-熊本⑤、南アルプス中央部スペーサ、タテ[写真③]丹沢山塊。東西のみならず、南北にも大きい。[写真④]長々と続く白い山なみ。南アルプスにしては遠すぎる感じだが…。中央アルプスにしては大き過ぎる。
羽田-熊本⑥、中央アルプス・御嶽山・北アルプススペーサ、タテ羽田-熊本⑦、北アルプス羽田-熊本⑧、琵琶湖スペーサ、タテ[写真⑥]中央アルプス、御嶽山、乗鞍、北アルプスをワンフレームに。そのアップ[⑦]、笠ヶ岳だけはその形と位置(山なみの南の端)から分かるが、槍・穂高などは判別不能。[写真⑧]琵琶湖と琵琶湖大橋。
羽田-熊本⑨、三原市・因島大橋羽田-熊本⑩、今治造船広島工場羽田-熊本⑪、広島湾スペーサ、タテ岡山市上空で進路をすこし南にとったので、瀬戸内海の島々が見え始めた。しまなみ海道・因島大橋を過ぎ[⑨]、すぐ赤いクレーンが目につく[⑩]。幸陽船渠(現在は今治造船の傘下、船渠はドックのこと)らしい。続いて広島湾[⑪]、江田島、厳島など芸予諸島の島々。
羽田-熊本⑫、国東半島羽田-熊本⑬、別府湾羽田-熊本⑭、由布岳・鶴見岳スペーサ、タテ[写真⑫]国東半島と大分空港。[写真⑬]別府湾、別府市と大分市。[写真⑭]由布院温泉、由布岳と鶴見岳。“別府の奥座敷”といわれるが、空宙から見るとそれが一目瞭然。
羽田-熊本⑮、九重連山羽田-熊本⑯、金峰山・雲仙普賢岳スペーサ、タテ[写真⑮]九重連山・坊ガツル。主峰久住山(左下のフレーム外)が入らなかったのは失敗! [写真⑯]熊本市民憩いの場、金峰山と雲仙普賢岳。風向きによっては熊本市上空で旋回するが、今日はまっすぐ着陸。空港は最も地震の被害が大きかった益城町に近い。屋根をブルーシートで覆った家々が多かった。

福岡~羽田、513JL0310(11:00-12:35)
JL310の飛行経路⑰スペーサ、タテ福岡はさすが九州一の大都会、機種は大型のボーイング777-200だった。飛行経路は[写真⑰]に示したように、福岡空港を離陸後、石鎚山・吉野川上空を跳び、紀伊半島を横断。そこから洋上に出て、伊豆半島の南を通過、房総半島をぐるり回って羽田空港(B滑走路?)に着陸。座席は後方右側
福岡-羽田①、しまなみ海道福岡-羽田②、瀬戸大橋福岡-羽田③、高松市・岡山市・小豆島福岡-羽田④、淡路島・明石海峡大橋[写真①]クリヤではないが瀬戸内しまなみ海道のほぼ全貌を撮らえる。
福岡-羽田⑥、関西空港福岡-羽田、⑤大阪湾[写真②]瀬戸大橋。[写真③]高松市と岡山市、瀬戸大橋と小豆島。[写真④]明石海峡大橋と淡路島の一部。[写真⑤]大阪湾、関西空港と神戸空港。伊丹も残っている。関西は空港過密地帯! [写真⑥]関西空港。同じ向きの滑走路が2本、横風用は不要?
福岡-羽田⑦、伊勢湾福岡-羽田⑧、富士山福岡-羽田⑨、浜名湖・浜松市福岡-羽田⑩、遠州灘・御前崎・駿河湾スペーサ、タテ伊勢志摩上空を過ぎると[⑦]、前方に富士山が見えた[⑧]。機は陸からかなり離れた洋上(遠州灘)を飛ぶ。浜名湖・浜松市・御前崎・駿河湾(⑨&⑩)。
福岡-羽田⑪、伊豆半島福岡-羽田⑫、富士山福岡-羽田⑬、伊豆大島(三原山)福岡-羽田⑭、房総半島(南端)スペーサ、タテ[写真⑪]伊豆半島、石廊崎・弓ヶ浜・下田。[写真⑫]富士山、思いのほか雪は少ない。
福岡-羽田⑰、羽田空港へ福福岡-羽田⑯、千葉市?福岡-羽田⑮、御宿(房総)スペーサ、タテ[写真⑬]伊豆大島、三原山がくっきり。房総半島の南を大きくまわって[⑭]、九十九里浜沿いを北上、御宿上空から[⑮&⑯]、羽田空港(B滑走路?)に着陸した[⑰]。
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2月の“ちょい旅”は房総半島。お目当ては、国の文化財になっている宿『大屋旅館』。房総半島のほぼ真ん中、太平洋寄りの大多喜町にある。
海ほたるの日の出1海ほたるの日の出2海ほたるの日の出3海ほたるの日の出4スペーサ、タテ朝早く家を出たおかげで、『海ほたる』から日の出(645~)を見ることができた。素晴らしく美しい。
飛行機(海ほたる)スペーサ、タテ早朝にもかかわらず、羽田にはひっきりなしに旅客機が着陸する。定かではないが、外国機も着陸するようだ。時おり、離陸する機もある。ほとんどの機は右へ大きく旋回し西へ向かう。まだ高度は低い。よく落ちないものだ。
久留里城天守閣久留里城天守閣から天守閣から天守台跡天守閣と天守台跡スペーサ、タテ木更津金田ICから久留里へ。久留里城は戦国時代の初期、里見義堯が築いた。今の天守閣は昭和54年“再建”の“模擬天守”。
上総掘り井戸掘り櫓(資料館)資料館から三の丸跡スペーサ、タテ天守閣に登る途中に資料館がある。車はここまで。駐車場の下に三の丸跡が広がるが、“跡”は何もない。資料館の外庭に井戸掘り櫓が再現されている。明治中頃、考案された「上総掘り」方式で、東南アジアやアフリカで今も使われているそうだ。
富津岬からパノラマスペーサ、タテ富津公園(富津岬)を往復する。突端(岬)は国道から4㌔ほども進んだところ。リネツ金沢からしばしば見る東京湾を対岸から見る。幸浦にあるテクノタワーが確認できた。
藤美スペーサ、タテ久留里に戻り、上総地域交流センター(駅の隣にある)の駐車場に車をおいて、そば処『藤美』へ。私はかき揚げ、連れは冷やしとろろ、久留里は“名水の里”、名水で打った蕎麦は絶品。 川名家?の名水高澤の名水藤原酒造店の名水駅前水くみ広場スペーサ、タテサクラエビたっぷりのかき揚げはほどよい衣の厚さ、トロロは口応えのある固さ。ここだけをターゲットにまた来てもよいくらいだ。食事の後は、駅前の「水くみ広場」を皮切りに“名水めぐり”。4つほど井戸を見て、「高澤の名水」を戴く。まろやかな超軟水だった。
久留里神社4久留里神社3久留里神社2久留里神社1スペーサ、タテ次は久留里神社。石段を登り、隋神門をくぐり本殿。思っていたより大きい神社だった。が、人気は全くなかった。創建は治安元年(1021)という。

久留里から大多喜へ(およそ20㌔)。大多喜は徳川四天王の一人、本多忠勝が築城した大多喜城の城下町。その面影を残す街並みが今も残っている。例えば、嘉永二年(1849)築の江戸後期の大商家「渡辺家住宅」(国指定重要文化財)。明治七年(1874)築の「豊之鶴酒造」(国登録有形文化財)。そして、「大屋旅館」(国登録有形文化財)。
スペーサ、タテ大屋旅館1大屋旅館2大屋旅館3大屋旅館4大屋旅館5スペーサ、タテ大屋旅館6大屋旅館7
大屋旅館8スペーサ、タテ 大屋旅館は江戸時代から続く旅館で、現在の建物は明治十八年(1885)頃に改装されたそうだ。大正から昭和にかけては、旅館業のほかに、米フォード車を使用した乗合自動車業も営んでいたという。
夷隅神社3夷隅神社2夷隅神社1スペーサ、タテ大屋旅館の横は夷隅神社。朝食前に散歩に行く。境内では五・十日、市が開かれる。今日はその10日、ちらほら店開きの用意が始まっていた。 大多喜小学校スペーサ、タテ
神社から大多喜小学校へ。8年前、初めて大多喜を訪れたとき(⇒ブログ)も驚かされたが、実に美しい建物の小学校だ。建物の後ろに見える大多喜城も素晴らしい。ズカズカと校庭に入っていくと、サッカー朝練前の男の子がイロイロと案内してくれた。
アクアブリッジスペーサ、タテ大多喜城も大多喜の街並みも観光済みということで、以前旨い魚料理を食べた記憶のある“保田”に行くことにする。ナビは鴨川経由。ならば行ったことのない鴨川シーワールドに寄ることにする。ところが、山間の県道はだんだん狭くなり走行するに難儀。旨い魚もイルカショーも諦め、北へUターン。南房総はシーサイドを走るべし。
海ほたるからパノラマ1スペーサ、タテ東京湾アクアライン『海ほたる』12~13。お昼を食べ(海鮮チャンポン)、周囲をパノラマ撮影。ランドマークタワー、横浜ベイブリッジ、鶴見つばさ橋が薄く見え、眼を凝らすと
海ほたるからパノラマ2海ほたるからパノラマ3スペーサ、タテその背後に真白き富士と丹沢の山並み。北へ。風の塔、羽田管制塔… スカイツリーは靄の中にボーッ。東京タワーは案内板がなければその位置が分からない。ディズニーランドは双眼鏡が必要。千葉から木更津にかけては工業地帯。川崎製鉄(JFE)、東電の(火力発電所の)煙突が並ぶ。原発事故以来、フル稼働だろう。南は東京湾が茫洋と広がり、房総・三浦の丘陵がスカイラインをつくっている。
山中城跡案内板スペーサ、タテ国指定史跡『山中城跡』は三島市街から国道1号線を箱根方面へ30ほどのところにある。小田原に本城をおいた北条氏(後北条氏)が、永禄年間(1560年代)、小田原防衛のために創築した“山城”。天正十七年(1589)、豊臣秀吉の小田原征伐に備え急ぎ西の丸などを増築したが、翌年三月、圧倒的多勢に無勢(7vs4)にわずか半日で落城したと伝えられている。
足柄SAから富士スペーサ、タテ石を使わない山城の最後の姿をとどめており、北条流の築城技術(障子掘など)をよく知ることができる遺構である。また富士山の絶好のビューポイントであり、それがこの旅の大いなる楽しみの一つだったが、あいにくの曇り空だった。
スペーサ、タテ西の丸スペーサ、タテ西の丸、見晴台から障子掘跡ジョウビタキスペーサ、タテ西の丸から北の丸・本丸へ
スペーサ、タテ北の丸エナガがいた木々北の丸と本丸をつなぐ木橋本丸天守櫓スペーサ、タテすりばち曲輪
山中城跡から愛鷹山スペーサ、タテ山中城跡を2時間ほど散策したあとのお昼は、この旅最大の楽しみ“鰻!!。店は人気No.1という桜家ではなく、沼津港に近い『京丸』。記憶をたどれば鰻はリタイア後“初めて”である。京丸から三嶋大社に向かう途中にあった『桜家』の前は順番を待つ客で溢れていた。

柿田川公園案内図スペーサ、タテ一人当たりにすれば 実質 生活保護費並みの私の年金では滅多に口にできない「うな重ランチ」のあと三嶋大社に向かった。が、三嶋大社前の市街地道路は駐車待ちの車が長蛇の列、この旅のもう一つの目的地、柿田川湧水に行く。
柿田川公園柿田川公園柿田川公園スペーサ、タテ柿田川湧水の源は富士山。40㌔北の富士に降った雨・雪が十数年といわれる歳月を経て湧きだしている。公園(柿田川公園)になっており、数箇所の湧出し口が見られる。その一つは製紙会社が使っていた井戸である。八ツ橋から第ニ展望台へと散策する。
クロセキレイ4クロセキレイ3クロセキレイ2クロセキレイ1スペーサ、タテ第一展望台の(湧水口ではなく)岸辺の浅瀬にクロセキレイが1羽いた。ハクセキレイは(家の近くの)長浜公園にもたくさんいるが、クロセキレイは珍しい。遠目ではっきり
スペーサ、タテクロセキレイ5クロセキレイ6クロセキレイ7クロセキレイ8クロセキレイ9クロセキレイ10クロセキレイ11クロセキレイ12クロセキレイ13クロセキレイ14
柿田川公園河津桜竹倉温泉錦昌館分からないがまだ子供のようにも見える。遊んでいるのか?獲物を探しているのか?何やら一心に、落ち葉を咥えては抛り投げている。ひとしきりクロセキレイを楽しんで、竹倉温泉錦昌館』に行く。温泉は鉱泉、食事も美味しく、いい宿だった。

三嶋大社神門(彫刻)三嶋大社神門スペーサ、タテ三嶋大社・大鳥居から総門の参道スペーサ、タテ翌日 三嶋大社へ。朝早い(930頃)駐車場はガラ空き。三嶋大社、祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)三嶋大社・舞殿と本殿スペーサ、タテ三嶋大社本殿三嶋大社本殿(彫刻)スペーサ、タテ二柱の神を総じて三嶋大明神と称す。創建の時期は不明だが、奈良・平安時代の古書にも記録が残る。三嶋神は東海随一の神格と考えられ、「三嶋」は地名ともなった。
三嶋大社の金木犀三嶋大社の金木犀ケヤキの大木(三嶋大社)紅梅白梅(三嶋大社)巨樹クス?(三嶋大社)スペーサ、タテ三嶋大社は社殿、多くは慶応二年(1866)の再建、も風格があるが 、鬱蒼とした森も素晴らしく、名木・巨木・巨樹が多い。福太郎茶屋・福太郎団子(三嶋大社)スペーサ、タテその代表は日本一の『金木犀』。樹齢はナント1200という。国指定の天然記念物である。その他は大鳥居から総門への参道の桜並木、大きな池の端にあるモッコクやケヤキの大樹、客殿前のクス?はびっくりするほどの巨樹であった。大社をあとにする前、福太郎茶屋で一休み。赤福風のアンコで包んだ抹茶味のダンゴ(福太郎団子)は素朴で上品だった。
お昼は『京丸』よりさらに港寄りの『魚がし鮨沼津港店』。さすが沼津!! 東京・横浜では味わえない値段の旨いにぎりだった。店内は、裕福な年金族だろうか?グループの高齢者でいっぱいだった。
2015.05.18 COSTA VICTRIA
関内尾上町での所用が待ち時間も含め1時間ほどで済み、お昼には早すぎるので、時間潰しと腹ごなしに、新港埠頭(みなとみらい)まで往復することにする。しかし・・・
PACFIC VENUSとCOSTA VICTORIA横浜港赤レンガ倉庫パークスペーサ 大桟橋にわりと大きな客船が停泊しているようだ。横浜港の入船・出船は市港湾局のホームページで日時を知ることができるが、QueenElizabethⅢのとき(⇒ブログ)がそうであったように、いつもイキアタリバッタリである。円形歩道橋に上がると、向こう山下公園側にも客船が見えるそちらはずっと大きい。昼食の時間が遅くなるが(店は馬車道の中華と決めているので)、これは大桟橋まで行かずばなるまい。
COSTA VICTORIACOSTA VICTORIACOSTA VICTORIAスペーサ赤レンガ倉庫パークから象の鼻パークへ、象の鼻パークから大桟橋屋上(クジラの背中)へ。巨船の名はCOSTA VICTRIA。船首を陸側に向けて停泊している。クイーンエリザベス級の大きさはあるが、見物客はさほど多くない。ついでに、みなとみらい側の客船はPACFIC VENUS。大桟橋から馬車道に戻ろうとするころ、乗客の下船可能のアナウンスが聞こえてきた(日本語)。何時に着岸したのだろう?
予定どおりの店(味雅、お気に入りの店がもう一軒ある。紅花)で予定どおりのメニュー(豚角煮ゴハン、麺類も旨い)の遅いお昼を食べ、福祉パス(バスとシーサイドライン)を使って自宅に戻る。

インターネットを見ると、COSTA VICTRIAコスタ・ヴィクトリア)は本日1230着岸し、17には離岸するらしい。イタリアに本社をおくコスタ・クルーズの客船。総トン数75,166㌧、全長252.9㍍、船客定員1928名。クイーン・エリザベスⅢ(90,400総㌧、294㍍、2092名)よりは一回り小さいが、巨船である。ちなみに、飛鳥Ⅱは50,142総㌧、全長241㍍、旅客定員960人。みなとみらい側に停泊していたのは日本のPACFIC VENUSぱしふぃっくびいなす)で、26,518総㌧、全長183.4㍍、乗客定員696名。やはり今日10入港し、16には出港する。
17出港ということは東京湾、リネツ金沢沖を通る船影を見られるかもしれない。コンテナ船や貨物船はよく見ることができるが、大型客船の出港は夜が多く、めったに見るチャンスはない。沖合を通るのは6前後と予想し、5過ぎ、双眼鏡も携えてリネツ金沢に行く(自転車で20ぐらい)。ここはゴミ焼却を利用した温水プールがあるが、高齢者割引でも400円と安くない。外のベンチに腰掛けて、東京湾を行き交う船や羽田に着陸する飛行機をボケーッと眺めるだけである。 待つこと30、530過ぎ、COSTA VICTORIAらしき船影がアクアライン(大気が澄む冬場には見える)の方向に現れた。正面に見える新日鐵君津や東電富津火力発電所をバックに巨体はゆうゆうと進む。能力は23㌩(1㌩≒2㌔/h)だが、東京湾内は12㌩に制限されている。巨船はやがて東京湾観音(肉眼ではどうにか見えた)の前を通り、一隻の船と交叉、房総半島の丘陵を背に浦賀水道へ消えていった。行き先は韓国インチョンである。およそ50間のドラマだった。
スペーサ東京湾を行くCOSTA VICTORIA1東京湾を行くCOSTA VICTORIA2東京湾を行くCOSTA VICTORIA3東京湾を行くCOSTA VICTORIA4
スペーサ東京湾を行くCOSTA VICTORIA5東京湾を行くCOSTA VICTORIA6東京湾を行くCOSTA VICTORIA7東京湾を行くCOSTA VICTORIA8
スペーサ東京湾を行くCOSTA VICTORIA9東京湾を行くCOSTA VICTORIA10東京湾を行くCOSTA VICTORIA11東京湾を行くCOSTA VICTORIA12
2015.02.28 Windows8.1とIE11
2月某日。ブログの編集作業が一段落して終了、数時間後 Internet Explorerを起動しようとすると『Internet Explorer は動作を停止しました。この問題の解決策を確認しています・・・』のメッセージが出て、いたずらに“グリーンの川が流れる”だけ。流れは止まりそうにない。何故、停止したのか、一言一句の説明なし。[×]ボタンで強制終了し、Windows(8.1)を再起動してみる。事態は同じ。プロバイダの故障? が、メールは動く。プロバイダではなさそう。念のため、スタート画面(例のタイルを貼りつめた)から起動すると…IEが立ち上がるではないか!! しかし“全画面表示”で「お気に入り」や「お気に入りバー」が表示されず、何とも使いづらい(このIEはストアアプリというやつだった)。
このようなトラブルが起きたとき、昔、現役のときは、まわりの識者に聞くことができた。しかし、孤立無援の今はインターネットが頼り。しかし、PCにインストールしていたブラウザはIEだけだったので情報の集めようがない。どうしたものか。(^_-)-☆
幸いWindowsVistaを搭載した古いノートPCがある。 このPC、バックライト機能不良で極く薄っすらとしか見えない。文字の判読はとても無理。メーカー(外資系)のサポートセンターに問合わせたところ、修理費ナント7,8万!! 本体と一体になっているからだという。やむなく、デスクトップ(WindowsXP)で使っていた液晶モニターを転用し ときどき 使っている。もう4,5年になる。Windowsが起動されるまでは外部モニターに表示されないので“手探り”状態の操作となる。誤って外部モニター表示をオフにすると、次の起動時に一苦労する。それ以外不都合は起きていない。動作がたいへん遅くなることがあるが… もっとも購入当初から遅かったわけではなく、Windows(Vista)の自動更新によってだんだん遅くなってきたようだ。

さて、WindowsVISTA-PCで、検索キー“IE11”,“動作を停止しました”で検索すると・・・
IE11にはデスクトップ画面版とスタート画面版(ストアアプリというらしい)の2種類があること、スタート画面版は簡単にデスクトップ版に切り替えられることが分かった。切替え方法はストアアプリの[ページツール]アイコン(スパナのマーク)をクリックし[デスクトップで表示する]を選択。
どうやらWindows8-PCはいつのまにか、Windows8がWindows8.1にアップグレードされ、(自動的に)IE10IE11に、しかもスタート画面版にアップグレードされていたらしい。というより、そういえばIEが使えなくなる前、『・・・の環境を更新しています』というようなメッセージが、PCをシャットダウンしたときと立ち上げたときの両方であった。しかも二度ほど。ふつう、Windowsの更新はPCをシャットダウンしたときに行われていたので、変だとは思った。

狐につままれたような、腑にも落ちない感じだが、ともかくIE11が使用できない問題は解決した。ところが、IE10では問題がなかったのに、ブログのページが正しく表示されない。とくに挿入した写真のレイアウトがずれている。具体的にはHTML言語の、"hspace", "vspace", "align"などがサポートされていないようだ。
インターネットでIE11をIE10に戻せないか(ダウングレード)調べたところ、「できない」ことが分かった。理由はIE11がWindows8.1では標準装備のためアンインストールできないから、と。Windows7ではかなり面倒な手順だができるらしい。唯一の方法は、リカバリディスクを使って一から構築しなおすこと。その際、「IEの新しいバージョンを自動的にインストールしないこと」。しかし、さまざまなアプリのインストールなど手間暇かけて構築してきた苦労を思えば、この方法は考えられない。
ブログページ『シンプル&スローライフ』の表示が崩れる問題は、それを[互換表示設定]にすることによって解決した。
IE11で私のプログを読んでいただいている方で、正しいレイアウトで読みたい方は以下の設定をしてください。
メニューバーの[ツール]のプルダウンメニューを開き、[互換表示設定]を選択。[互換表示設定]画面の[追加するWebサイト]に“fc2.com”と入力(開いているWebサイトが予め入力されている)し、[追加]ボタンをクリックし画面を[閉じる] ※これはWindowsVISTA-IE9にも有効のようです。

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