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弘前城(524
空撮3、月山と飛行ルート空撮2、朝日連峰空撮1、朝日連峰と月山スペーサ、タテ524から3泊4日の予定で東北を観光した。755羽田発青森行(JAL141便)、A滑走路を北に向け離陸。しばらくは雲の上、福島を
空撮4、鳥海山空撮5、岩木山スペーサ、タテ過ぎるころ山々が見え始めた。飯豊連峰(判然とせず)、朝日連峰、月山、鳥海山。東北の2000mを越える頂きはまだ真っ白。岩木山が見えた。明日登るつもり。10、青森空港に到着。レンタカーで弘前市内へ移動する。(参考:東北・北海道の空撮、⇒ブログ
サロンドカフェアンジュ(旧東奥義塾外人教師館)スペーサ、タテ弘前市街に到着。車を市役所の駐車場におき、東隣りにある「サロン・ド・カフェ・アンジュ」へ。このレストラン、店内の雰囲気もランチもたいへん良かった。食後、2を見学(旧東奥義塾外人教師館)。この建物に限らず、旧市立図書館や教会、銀行など、この近辺には歴史かつ風情ある洋風建築が多い。
外濠を渡り、市役所の真向かいに位置する追手門から弘前城へ。目当ては、仮台座に立っている天守を見ること。毎回ほぼ欠かさず見ているNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』で、昨年11月16日、『世紀の大工事、“城を曳く”/曳屋職人:石川憲太郎』が放送された。天守をナント丸ごと70㍍動かしたのである(2015.8.16~10.24)。サクラのj時期ではないが、弘前城はこれまで幾度か見てきた。正規の位置に戻される前、その姿を是非見たいと思っていた。動かすことになった理由は土台の石垣に孕みが出て天守も傾き、そのままでは倒壊の危険があったからである。
弘前城本丸石垣弘前城下乗橋弘前城追手門スペーサ、タテ杉の大橋で中濠、下乗橋で内濠を渡り本丸見物用の木枠が組まれ、主がいなくなった台座を上から見られるようになっている。改修工事が始まっていたが、まだ
仮天守台の弘前城天守天守が不在になった天守台弘前城天守曳屋ルート(天守内展示資料)スペーサ、タテ基礎段階という感じ。天守に入る(初めて)。天守といっても櫓(辰巳櫓)を解体新造したものなので小さい。曳屋工事の道具の一部、説明パネルを見、最上階から岩木山を眺める。
オオデマリ(北の郭)オオデマリ(北の郭)スペーサ、タテ鷹丘橋を渡って北の郭(初めて?)。二方 崖に面した静かなところ。武徳殿という休憩所の庭木が真っ白い大きな球形の花をいっぱい咲かせている。古木の手入れををしていた若い女性に尋ねると“オオデマリ”と教えてくれた。
崖ぎわには、濃い赤紫や白、ピンクのシャクナゲ、ツツジがいくつも咲いていた。
スペーサ、タテシャクナゲ1(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ1(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ2(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ2(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ3(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ3(北の郭)スペーサ、タテツツジ(北の郭)スペーサ、タテツツジ(北の郭)

岩木山(車窓から)スペーサ、タテ弘前城から岩木山山麓へ。岩木山神社に参って、神社横の温泉宿「清明館」に入る。 岩木山神社参道岩木山神社楼門明日は嶽温泉から岩木山八合目まで登って深浦まで移動する予定だが、天気予報はかんばしくない。宿の人は八合目まで車で登り(スカイライン)、山頂に登るようにしきりに奨めるが、我々は山麓のブナ林を歩きたいのである。

岩木山ブナ林ウォーク(525
岩木山嶽コース登山口スペーサ、タテ宿から嶽登山口駐車場に移動。岩木山の登山は、直近では2年前(⇒ブログ)、百沢コースを焼止まりヒュッテ(標高1070m)まで。嶽コースは7年前(⇒ブログ)、完登。初登は994。開通まもないスカイラインとリフトで九合目に上がったが、雪が深く、九合目とほぼ同じ標高の鳥海山(とりのうみやま、岩木山を形成する三峰の一つ、1502m)山を往復。二度目は20015。スカイラインとリフトで岩木山に初登頂(標高1625m)し、可憐なミチノクコザクラ(イワキコザクラともいう岩木山固有種)に歓喜。
岩木山は百沢コースがメインだが登山口の標高が低く(百沢172m⇔嶽460m)、取っ掛かりが悪い(公園とゲレンデ歩き1時間)。いっぽう、嶽コースはブナ林の逍遥が楽しめる。欠点は八合目から九合目への道が整備されていないこと(少なくとも7年前はそうだった)だが、リフトを使え(れ)ばこの欠点はクリアされる。
下山のバス(八合目)は11:35、13:45、15:45。下山後 深浦まで移動するので、遅くとも1345のバスには乗れるよう八合目に着かなければならない。標高差800m、距離4㌔、コースタイム2時間~2時間50。膝痛がどうにか回復後 初の本格的登山。7年前の実績(2時間30)はあまり当てにならない。小雨煙るなか嶽登山口を出発(8:40)。
チゴユリ?(岩木山)マイヅルソウ(岩木山)小さな鳥居をくぐり社に御参りして(稲荷神社)登山道に入る。すぐミズナラなどの森の中。路傍に白い花が2種。一つはマイヅルソウ、群落を成している。他は稀少で不明(チゴユリらしい)。 湯ノ沢分岐(岩木山嶽コース)ブナ林1(岩木山嶽コース)ブナ林2(岩木山嶽コース)スペーサ、タテ[左:岩木山山頂|右:湯の沢]と書かれた道標が立っていた。ヤマケイのマップでは湯ノ沢という川に沿って温泉マークが2箇所表示されている。ミズナラからブナに変わって森が明るくなった。緩やかな登り、雨はほとんど感じない。巨木の森分岐(標高800m、9:50)。登山道の
巨木の森分岐(岩木山嶽コース)スペーサ、タテ左を、湯段沢川の谷を隔ててスカイラインは並行している。そのスカイラインの途中に“巨木の森”と書かれた看板があって、車をおいて遊歩道を歩くことができるようになっている。この分岐はそこに通じているのだろうか? いずれにしろ、ブナの森を一気に車で駆け抜けるのはもったいない。さらにしばらく
ブナ林3(岩木山嶽コース)ヤマツツジ(岩木山)スペーサ、タテブナの森の逍遥が続いて、尾根幅は狭く登りがきつくなった。灌木帯。灌木では風雨は防ぎきれない。我慢の登りが
岩木山八合目リフト岩木山八合目バス乗場スペーサ、タテ小1時間も続いたろうか? 濃い霧の中にリフト装置が“亡霊”のごとく浮かび上がった(八合目標高1254m、11:30)。リフトは動いていない。これまた濃いガスの中、ぼうっと見えるレストハウスへ歩く。バスは発車間際。(レストハウスで)“レスト”する間もなく、我々二人だけを乗せたバスは一気に嶽温泉に降りた。(11:35-12:00)。
千畳敷海岸五能線千畳敷駅スペーサ、タテ深浦へ(12:20)。鯵ヶ沢の食堂に入り損ね(海鮮ラーメンが旨かった記憶がある)、 ペンションおもしえスペーサ、タテ遅いかつ簡素なお昼をコンビニで。千畳敷で一休みして、お宿に着く。ぺんしょん「おもしぇ」。脱サラという感じの旦那さんと奥さん二人経営のこじんまりした宿。『民宿のようなものです』と謙遜していたが、いい宿だった。

男鹿半島五社堂入道崎(526
深浦の宿から(8:55)100㌔余を長駆し男鹿駅観光案内所。途中、白神岳登山で利用した道の駅「はちもり」、五能線の旅で泊まった「ハタハタ館」、二ツ森登山の下山後“白神麹”を使ったパンを買ったFresh Bakery「BOSCHETTO」に、それぞれ立ち寄る。パン屋は一度行っただけなので[二ツ森登山口]の道路標識を過ぎてからは注意運転。無事見つけることができた。目印はコスモスタンドだった(スタンドの前)。
秋田平野スペーサ、タテ101の両側に広がる、水が入りいちだんと美しくなった秋田平野を抜け、八郎潟の干拓地の田圃は並木に遮られて見えず。赤神神社そばの駐車場スペーサ、タテ
男鹿駅観光案内所で資料をかき集め、係の人の話も聞いて赤神神社五社堂へ(13㌔)。「五社堂入口」と大書した看板が出てきたが、車を停められそうなところがない。すこし手前に、トイレと巨大ななまはげ立像がある駐車場があったのでそこに車をおく(12:40)。 赤神神社拝殿赤神神社五社堂入口(駐車場あり)スペーサ、タテ赤神神社拝殿横から、半ば草に隠れた石段を上る。五社堂まで999段はいささか大義。ほどなく山門、廃仏毀釈で所有者が“神に仕える者”となったから“隋神門”というべきか、山門を過ぎると立派な五社堂専用駐車場があった。多くの人はここから登るらしい。石段も歩きやす
赤神神社五社堂1スペーサ、タテ赤神神社五社堂2赤神神社五社堂3赤神神社五社堂4スペーサ、タテくなった。思ったほど大義することなく、国の重要文化財五社堂に着く。新緑の中に並ぶ5つの棟は、人気がまったくないこともあって独特の雰囲気に包まれていあた。中央の棟(赤神権現堂)が大きい。厨子が納められているかららしい。
説明板によれば、現在の五社堂は江戸中期、秋田藩主佐竹義格の命によって建て替えられた。前身は、貞観二年(860)、慈覚大師円仁が建てた日積寺永禅院。赤神は漢の武帝が飛来したところと伝えられ、赤神をその山神とした。祀られているのは5のナマハゲで、両親と子供3人だという。 また、九九九段の石段については、およそ2000の昔、漢の武帝が5のコウモリを連れて男鹿にやってきた。コウモリは5の鬼に変わった。武帝は5の鬼たちを家来として使ったが、年に一度正月を休みにした。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになった。 困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことができれば年に一人づつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをした。鬼たちは精魂を尽して積上げ、あと一段の完成寸前というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちは諦めて、約束どおり山奥へ と立ち去ったと云われている。この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか云われている。
覗いたものの余命をあらわすという「姿見の井戸」をおそるおそる覗く。「姿見の井戸」は全国各地にあるが、ここのはかなりの古井戸。結果は、今年に一年は生きられるようだ。はっきり写れば今年の生命が保証される。写りのはっきりしないものは、災難不幸にあう。まったく写らないものは、その年のうちに死ぬこともある、とか。渇水時で水量が減ったり、落葉が大量に落ちると、ハッキリ写らないかもしれない。
北緯40度と世界地図北緯40度の碑男鹿半島入道崎スペーサ、タテスペーサ、タテ赤神神社のある本山門前から(14:00)、男鹿半島海岸線をどこにも寄らずに入道崎(14:50)そして入道埼灯台。断崖絶壁の僻地にあることが多い中で、灯台は広々とした
入道埼灯台入道埼灯台から海岸線 草原に立っていた。位置が北緯40度線上(詳しくは40-0-18)。 雑然と立ち並ぶ飲食店と土産物店(入道崎)スペーサ、タテその40度ラインに沿い石のモニュメントが並べられている。この灯台は“展望塔よろしくは“展望塔よろしく”中に入ることができる。眺めはなかなか良かったが、“展望台”は吹きさらし、長居はできなかった。入道埼灯台の初点灯は明治31(1898)111
磯焼きの実演(男鹿ホテル)男鹿ホテルスペーサ、タテ入道崎から男鹿温泉鄕は近い。3半、「男鹿ホテル」に入る。男鹿ホテルは観光地の大きなホテルということで、あまり期待していなかったが、いいホテルだった。とくに夕食と温泉。 なまはげ太鼓のライブスペーサ、タテ
食後、『なまはげ太鼓』のライブへ。会場は近隣の旅館・ホテルから集まって満員の盛況だったが、それを圧倒する迫力溢れる演奏だった。

旅は一日延びることに・・・秋田・久保田城(527-28
チェックアウト時、料金の支払いでトラブル(カードで支払い済みなのに請求された)があり、ホテルを出たのは9前。しかし、寒風山に寄るつもりが登り口を通り過ぎ、戻るのも面倒なのでそのまま空港へ、秋田空港に出発の2時間以上前に着いてしまった(男鹿温泉~秋田空港:70㌔)。売店を見たり、送迎デッキ(3F)に上がって飛行機を眺めたり(羽田行11:50の全日空機が駐機中、札幌からの小型機J-AIRが到着11:25)、軽く食べたり、しかし長くは椅子に腰かけボンヤリしていた。3Fの資料展示室内の遊具で小さい男の子が遊んでいる。旅行ではなさそうだ。(ママの話によれば)よくここに来るらしい。
秋田空港鳥海山(JAL164から)スペーサ、タテ羽田からの日航機(JAL163→JAL164)が到着したのは12もかなりまわった頃だったが、出発はほぼ定刻(12:50)だった。座席は最後列右窓側、雲間から思いがけなく鳥海山が見えた。 秋田空港スペーサ、タテ日本海側のスッポリ右半分が雲に覆われた珍しい光景。機はまた厚い雲の上。福島県上空と思しき頃、機長の“恒例”の挨拶。しかし内容は“恒例”に非ず。『・・・、羽田空港は滑走路閉鎖されているため秋田空港に戻ります』。続いて、客室乗務員の事故の概要(大韓航空機が離陸時エンジン火災を起こしたらしい)と日航の対応について説明。
選択肢はイ.運賃払戻し→代替手段を自分で手配(新幹線地上交通や全日空他の航空会社) ロ..明日以降の日航機に振替え(今日の便は欠航が決まっている) 明日は楽しみにしていた孫の運動会。今日中に帰るには新幹線しかないが、秋田駅に行って指定席が取れる保障はない(ケータイでの予約操作は苦手)。 立ちんぼ覚悟で帰るか。東京駅から羽田の駐車場に行くのも面倒。日航機以外の方法は、我々はパック料金なので持出しが出るかも。高速バスという手はその時は考えつかなかった。 秋田空港の日航カウンター前の長い列に並び、順番を待つ間アレコレ考える。機内での説明は(イ)が推奨だったが、明日の同便にまだ空きがあるという。最も安易でかつ±0、即これに決めた。『インフォメーション』から今夜の宿を予約し、バスで秋田駅前HOTEL α-1」へ。夕食は「秋田比内地鶏や」の親子丼、たいへん美味だった。

旧秋田銀行本店スペーサ、タテ思いがけない秋田市内ショートサイトシーイングは旧秋田銀行本店本館(赤れんが郷土館)と久保田城。秋田銀行本店本館(国指定重要文化財)はちょっと類を見ない重厚かつ美しい建物。四囲から、ためつすがめつ、ため息もついて眺めた。 久保田城1久保田城2スペーサ、タテ
久保田城。緑豊かな広々とした城内。のんびり歩いていると、その一本の緑の根元に近いところで、一心に幹を突いている鳥がいる。アオゲラだった。かなり近くに寄っても逃げようとしない。よっぽどお腹が空いているか、美味しい虫がいるのだろう。私もひたすら
アオゲラ1アオゲラ2アオゲラ3アオゲラ4アオゲラ5スペーサ、タテシャッターを切った。アオゲラが高い所に移動したのを機に、我々もその場を離れた。
秋田空港スペーサ、タテ1130頃、空港に到着。12時20分頃、東京からの便が到着。12時50分、定刻に羽田に向け離陸。窓側の座席は取れず。
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2016.04.01 屋久島
で、生涯、2度目の屋久島を観光した(初⇒ブログ1ブログ2)。巡ったところはヤクスギランド、白谷雲水峡と、屋久島灯台・滝など島一周ドライブ。もはや縄文杉を拝みにいくだけのパワーはない。
328、鹿児島空港でトランジットして930屋久島空港着。機は屋久島空港が悪天候のため25ほど出発が遅れた。空港からヤクスギランドに行く途中立ち寄ったお茶工房(八万寿園、ソフトクリームを食べる、たいへん美味、ここには旅の間ほぼ毎日来た、1回はお茶も買った)の話では雹が降ったとか。
写真1スペーサ、タテ写真2スペーサ、タテ写真3写真4写真5スペーサ、タテ
写真6スペーサ、タテ写真7スペーサ、タテ写真①:霧島・高千穂峰がどうにか見えた(JAL641便)。写真②:屋久島への飛行機はプロペラ機、写真③~⑤:JAC3741便から桜島・開聞岳・佐多岬。写真⑥:機は右に旋回し屋久島空港へ。写真⑦:初めての屋久島空港(初回はフェリー)。霧島・開聞は学生時代登った懐かしい山。
荒川分れスペーサ、タテ空港からレンタカーで『ヤクスギランド』(11:45~14:30)。ヤクスギランド、名前からは“テーマパーク”を想像するが、30コースから150コースまで、ヤクスギランド入口スペーサ、タテ 整備された遊歩道からすこし厳しい山道まで、時間と体力に合わせ、誰でも楽しめるバラエティーに富んだハイキングコース。山の南側にあるので?、(白谷雲水峡より)明るく、南方系の木が多い印象の原生林だった。
ヤクスギランド1ヤクスギランド2(林泉橋)千年杉ヤクスギランド3(ポイント7)ヤクスギランド4(荒川橋)ヤクスギランド5(河原)スペーサ、タテ入口(くぐりツガ)から30コース分岐・50コース分岐を過ぎ荒川橋を渡っ
ヤクスギランド7(苔の橋)ヤクスギランド6(苔の橋)スペーサ、タテたところで河原に降りて一休み。河原には二組(若い女性3人と私たちより若い高年夫婦)が思い思いに至福の時を過ごしていた。 苔の橋。ここらあたりが80コースのハイライト。橋の袂に東屋があり橋桁のところに降りることができた。橋桁に銘板がついている。
ヤクスギランド9三根杉ヤクスギランド8(ポイント17)スペーサ、タテ150コースと合流するポイント12で、そのコース上にある“屋久杉”を見に行くことにする。三根杉樹齢1100。屋久杉の“基準”を満たしている。その先、母子杉・天柱杉は次回チャレンジ?
ヤクスギランド10(沢津橋)スペーサ、タテ150コース途中に、日本最南端の高層湿原「花之江河(はなのえごう」、標高1600m)への分岐がある。そこから九州本土を凌ぐ山岳地帯となり、最奥は最高峰宮之浦岳(1936m)である。仏陀杉スペーサ、タテ
80コースに戻り、沢津橋からしばらく歩くと仏陀杉樹齢1800。縄文杉同様、保護のため柵付きの歩道から眺める。ヤクスギランド12ヤクスギランド11(双子杉)スペーサ、タテ老獪な幹相だが、まだ若々しい葉をつけている。ツツジ、ナナカマド、ヒメシャラ、ヤマグルマ、ツガ、ソヨゴなど多種多様な植物が着生し、さながら“小宇宙”。
仏陀杉から、500㍍余、整備された歩道(50コース)、双子杉(30コース)、くぐり杉、清涼橋を経て、ヤクスギランドを出る。
淀川登山口スペーサ、タテ川上杉紀元杉スペーサ、タテせっかくなのでヤクスギランドから淀川登山口方面へ6㌔、紀元杉に行く。車道からすこし入ったところ、3000とはとても思えない美しい(木)肌である。その先に川上杉樹齢2000。白い幹は立ち枯れているように見えるが、葉が茂り健在である。
いわさきホテル1いわさきホテル2いわさきホテル3スペーサ、タテさらに先の淀川(よどごう)登山口を確認して宿へ向かう。ここから花之江河へのアクセスはヤクスギランドからよりかなり便利で、数組のパーティーがいた。  オリオン座と冬の大三角(ホテルの部屋から)いわさきホテル(夕食)日の入(ホテルの部屋から)スペーサ、タテ宿は島一、二、南部にロケーションする屋久島いわさきホテル。南側は太平洋・東シナ海が広がる大海原、北側は原生林が残る深い森とモッチョム岳などの山々で展望抜群、広々とした室内、心地良い温泉、美味しい夕食…贅沢な3日間となる。
夕食の前後、山裾に沈む夕陽と星~オリオン座冬の大三角おおいぬ座シリウスとこいぬ座プロキオン、オリオン座ベテルギウスが作る、正三角形~を撮影。カメラは“コンパクトカメラ”。三脚なしでこんなにちゃんと撮れるとは思わなかった。パノラマ撮影機能にも重宝している。このコンパクトカメラ(LUMIX)はなかなかの優れものである。なお、ベテルギウスは寿命末期の赤色超巨星で、超新星爆発が近いともいわれている。

いわさきホテル2(朝)いわさきホテル1(朝)スペーサ、タテ日目白谷雲水峡。前回はガイド付きだったが(地元年配の人、白谷雲水峡1(入口)白谷雲水峡2(駐車)スペーサ、タテ弥生杉をパスされいささか物足りなかった、時間はまだ早く切り上げられた感じ)今回は気儘にガイドなし。駐車場は早や満車で、係員の指示に従い路駐(10:00)。
白谷雲水峡3(飛流橋から飛流おとし、合成)白谷雲水峡4(飛流橋~さつき吊橋)白谷雲水峡5(飛流橋~さつき吊橋)スペーサ、タテ白谷雲水峡6(さつき吊橋から)スペーサ、タテ白谷雲水峡7(さつき吊橋)スペーサ、タテ白谷雲水峡は白谷小屋までが前半、白谷小屋から辻峠が後半。前半は主に渓谷美、後半がハイライト“苔むす森”で
白谷雲水峡8(さつき吊橋~白谷小屋)ヤクザル(白谷雲水峡)白谷雲水峡(苔むす岩)スペーサ、タテ白谷雲水峡(苔むす木の根)スペーサ、タテある。まずはまっすぐ太鼓岩を目指す。白谷小屋(11:20-11:50)で、途中のスーパーわい
白谷雲水峡9(くぐり杉)白谷小屋(白谷雲水峡)わいらんどで購入した弁当を広げる。数組のパーティーも休憩中。中に小学生高年と思しき子・父の二人。早や太鼓岩の戻り。聞けば家は隣島種子島だという。ヤクシマシャクナゲが固い蕾をつけていた。
苔むす森4(白谷雲水峡)苔むす森3(白谷雲水峡)苔むす森2(白谷雲水峡)苔むす森1(白谷雲水峡)苔むす森』へ。
厚い苔に覆われた路傍の岩や木の根、薄く苔を帯びた幹、青々と葉を茂らせた
苔むす森8(白谷雲水峡)苔むす森7(白谷雲水峡)苔むす森6(白谷雲水峡)苔むす森5(白谷雲水峡)大樹。おそらく島津藩が力にもの云わせ切り倒してしまったのだろう、樹齢千年
苔と花(白谷雲水峡)白谷雲水峡10(武家杉と公家杉)の越えるいわゆる屋久杉はないが、森閑とした緑一色の世界は素晴らしいの一語に尽きる。ハイカーもかなりの数。ガイドを付けているのは3割程度。外人もチラホラ、多くは白色系の一人か二人連れで、どこかの国の観光客と違い、静かに“もののけ”の世界に浸っている。
辻峠1(白谷雲水峡)辻峠2(白谷雲水峡)スペーサ、タテ太鼓岩1(白谷雲水峡)スペーサ、タテ太鼓岩2(白谷雲水峡)スペーサ、タテ辻峠(990m)から太鼓岩(1050m)へ。上り100m足らずだが、それ以上に感じた。残念ながら展望はなし(12:55-13:10)。が、『月に35日雨が降る』といわれる屋久島のこと、雨に遭わないだけでも有難く思うべし。
太鼓岩~辻峠(女神杉)辻峠~白谷小屋七本杉(辻峠~白谷小屋)白谷雲水峡11(白谷小屋前)白谷雲水峡12白谷雲水峡13スペーサ、タテ帰路、結局 弥生杉にも寄らず、白谷雲水峡を出る(15:15)。
白谷雲水峡で気になったこと…数本の杉に、4前にはなかった新しい名前と立札がついていた。いわく女神杉、武家杉・公家杉、かみなりおんじ(雷親父の意味らしい)。“屋久杉”なら意味もありたいへん結構だが、あまりいい名前とも思えないし、人工物を増やすのはいかがなものか。命名者の名前はもちろんわざわざ命名の根拠まで説明してある。名前から想像されるとおり、植物学的な内容ではない。白谷雲水峡が安易な杉の立札ばかりにならないように祈る。
スペーサ、タテ鈴河大滝1(いわさきホテル)鈴河大滝2(いわさきホテル)鈴河大滝3(いわさきホテル)いわさきホテル(6Fから1F)いわさきホテル(夕食)
ホテルに到着、そのままの足で「大滝散策コース」へ(その他のんびり散策コース、庭園満喫コースあり)。気楽に歩き始めたが、たいへん難儀なところ。その変わり、滝(鈴江すすごう大滝)は見応え十分だった。温泉に浸り、遅めの夕食。今夜は洋食(フランス料理?)。優雅な二日目の夜が更けた。明日の天気は崩れるらしい。屋久島、さすがに『3日雨なし』は続くまい。

日目(30)は前回できなかった屋久島一周と道沿いの名所観光。島の西側は対向車とすれ違いもままならない「西部林道」。すれ違うさい、山側に車を寄せられる左(反時計)周りがレンタカー店のお勧め。朝食をゆっくり食べてノンビリ出発(9時)。ホテルの朝食はバイキング。品数豊富でどれも美味しい。和洋あれも食べたいこれも食べたいが、そういうわけにもいかない。昼時となる島の西部に食堂はないので、昼用にすこし持っていきたいくらいであった。
千尋の滝2千尋の滝1千尋の滝入口スペーサ、タテまず訪れたのは周回道路(県道78号と西部林道)から気軽に立ち寄れる滝としては、大川の滝についで有名な千尋の滝。“千尋”は“せんぴろ”と読む。入口前(売店あり)の広々とした駐車場に
千尋の滝(展望台から)太平洋&東シナ海(展望台から)スペーサ、タテ車は2,3台。途中に本富岳(モッチョム岳)の登山口があり、滝はすこし離れた滝見“台”のようなところから眺める。見応えのある美しい滝。落差は60mという。特徴は巨大な岩盤(花崗岩)を流れ落ちていること。左側の岩
竜神の滝スペーサ、タテ 盤はモッチョム岳へと続いている。ちょっと類をみない光景にしばし見入ったあと、駐車場に戻り、“展望台”へ。かなり遠目だが、森と岩の渓谷の中の一条の滝もまた美しい眺めだった。振り向けば太平洋・東シナ海。滝と海を同時に眺められる展望台は極めて珍しいだろう。 安房の街に下りる途中、竜神の滝を見る(この滝は車道から)。
スーパーわいわいらんど(宮之浦街)で弁当を仕入れ、益救神社(やくじんじゃ)にお参りし、志戸子ガジュマル園へ。
志戸子ガジュマル園4志戸子ガジュマル園3志戸子ガジュマル園2志戸子ガジュマル園1スペーサ、タテガジュマル園はものの20もあれば見まわれるが、タブ、アコウそしてガジュマルが生い茂る、屋久島が南の島であることを再認識させる植物園。多くは合体木で、それらが複雑に絡み合っているさまは異様である。

志戸子ガジュマル園は島のちょうど北、そこから西海岸に進む
いなか浜 スペーサ、タテいなか浜(永田いなか浜)の駐車場に着いたころ、雨足が強くなりしばし車中待機(12:50-13:20)。訪れる人はまばら。雨が止むか止まないときから、おばあちゃんと孫を含む一家4人が砂浜に下りていった。
ここは海水浴場であり、またウミガメの産卵地(5~9)場として有名。(駐車場は屋久島うみがめ館の駐車場?)
屋久島灯台1屋久島灯台2スペーサ、タテ県道を離れか細い道(オフロード・ダート)を500㍍ほどで岬(永田岬、13:40-13:55)。突端に屋久島灯台が立つ。 屋久島灯台から東シナ海スペーサ、タテ明治30来、九州本土と奄美・沖縄等を結ぶ南方航路の安全を守ってきた。現在では珍しく、保守管理に職員が常駐している灯台である。 東シナ海を眺めたが、口永良部島は見えず、茫洋と海原が広がっているだけであった。
西部林道1スペーサ、タテ県道に戻り西部林道へ。林道とはいえ“県道”、舗装はされている。左は崖が道に覆いかぶさるように迫り、右は切れ落ちた崖(木々が茂っているので、さほどの恐怖感はない)の狭い道。大型観光バスが通れるよう、林道を拡張する計画は凍結中という(中止ではない)。前を走っていたツアーバスがハザード
ヤクシカ(西部林道)スペーサ、タテランプを点け停車した。シカ(ヤクシカ)がいるようだ。追い抜くのはイヤなので私たちも停まる。谷側の茂みに白いお尻が見える。シカはバスが動いたあともその場にいた。その後もシカは林道を出るまで2度見た(ヤクシマザルは1回だけ)。待機スペースで、バスから乗客が降りてくる。かなりの
西部林道2スペーサ、タテ人数である。バスツアーは“世界遺産”を歩くサービスもあるらしい。待機スペースと待機スペースの間の一区間を歩くのだろう。やむなく(バス)を追い越したが、途中で歩行者の集団に遭ったら いささか 面倒であろう。
ヤクシマザル1(県道57)ヤクシマザル2(県道57)スペーサ、タテ広い県道に出てすぐヤクシマザルに会った。一度は大人?数匹の集まり、 県道から海岸線ヤクシマザル3(県道57)一度は母と子。前者はうちの1匹がうるさい奴だといわんばかりに私を見、母ザルは撮影の間ずっと私の行動を注視していた。
大川の滝1スペーサ、タテ大川の滝(おおこのたき、14:45-15:25)。千尋の滝と同様、人里ともいえるところにあるが、 大川の滝3大川の滝2スペーサ、タテそれより大きく落差88m。堆積岩が熱変成してできたという岩壁を豪快に滑り落ちる。大雨が降ると岩壁全体が滝、川は激流渦巻き、(滝の)100㍍は手前にある石碑のところまでしか近寄れないそうだ。今日は 幸い? 滝壺近くまで行くことができた。
大川の滝4大川の滝5(花)大川の滝6大川の滝7大川の滝8スペーサ、タテ今日は早めの帰還(16:25)。 いわさきホテル(夕食)スペーサ、タテゆっくり温泉に浸かり、ちょっと珍しい?“屋久膳会席”のディナーをいただく。

日目(31)・・・屋久島~鹿児島~羽田(空撮)
屋久島空港屋久島空港、出発鹿児島空港、到着スペーサ、タテ屋久島から鹿児島はJAC3744便(日本エアコミューター、JALグループ)。ほぼ定刻通りの運航であった(12:25-13:00)。
鹿児島空港、出発空撮1(雲の上)空撮2空撮3(三浦半島)スペーサ、タテしかし、羽田行きは、偏西風の影響か雨天のためか、(折返す)機の到着が遅れ、出発も遅
空撮4(房総半島)空撮5(京葉工業地帯)空撮6(東京湾)羽田空港着陸スペーサ、タテれた(JAL648、14:40→14:55)。日本列島を空から撮る滅多にない機会、左窓側の席を撮ったが、残念ながら(日本列島は)終始厚い雲の下。雲が薄くなり、切れ間からやっと“陸地”が見えだしたのは、伊豆半島を過ぎたあたりから。機は三浦半島から房総半島へ、ここで北に向きを変え、半島の付け根あたりで西進、羽田空港B滑走路?に着陸した。
3月の『ちょい旅』は西伊豆・松崎。松崎は独身の頃、会社のクラブの夏合宿を行った風光明媚なところだが、その時は宿と海を往復するだけで、見どころいっぱいの情緒豊かな『文化“町”』であることを、今回の旅で知った。結婚後、一度、松崎町を通ったことがある。海水浴場のど真ん中にデーンと白亜の大ホテルが建って眉をひそめたが、そのホテル(プリンスホテル)は開業当初から赤字経営だったそうで、現在は伊東園に経営が移っている。西武といえば、鰺ヶ沢プリンスも売却(モンベルへ?)、その経営不振の理由に地元自治体の集客努力不足をあげていたと記憶している。西武のリゾート開発(スキー&ゴルフ)で、岩木山麓の自然はすっかり破壊されてしまったらしい。泊まったことがある屈斜路プリンスと田沢湖プリンスはどうなっているんだろう。ついでに調べてみた。屈斜路は継続、田沢湖は売却だった。
私たち(7日)は公共の宿『伊豆まつざき荘』。やはり海岸に建っているが、旧プリンスよりは控えめ、海水浴場をすこしはずれたところにある。部屋・温泉・食事(とくに朝食のバイキング)・値段、どれもよかった。

伊豆の長八美術館3伊豆の長八美術館2伊豆の長八美術館1スペーサ、タテ伊豆の長八美術館… 高村光雲の話『伊豆の長八は江戸の左官として前後に比類のない名人であった。浅草の展覧会で長八の魚づくしの図の衝立の出品があったことを覚えている。ことに図取りといい、鏝先の働きなどは巧みなもので、私はここでいかにも長八が名人であることを知った』
入江長八は天祐または乾道と号し、文化十二年(1815)伊豆国松崎村明地に生まれた。貧しい農家の長男だった。生来の手先の器用さに将来は腕をもって身をたてようと志し、12歳のとき同村の左官棟梁関仁助のもとに弟子入りし、19歳のとき江戸へ出て絵を狩野派の喜多武清に学んだ。26歳のとき日本橋茅場町の不動堂再建にあたり、長八は表口御拝柱の左右の柱に一対の龍を描き上げて一躍名人として名声を博した。長八の漆喰鏝絵は西洋のフレスコに勝るとも劣らない壁画技術として、芸術界でも高く評価されている。
美術館は1984年の開設。展示は『富岳』など50点(撮影禁止)、どれもみごとだが、建築界の芥川賞といわれる「吉田五十八賞」受賞の対象となった入れ物がまた素晴らしい(石山修武氏の設計)。現代的なデザインに古来の漆喰・なまこ壁がよく調和している。
漆喰鏝絵芸術といえば、上関(山口)の四階楼の豪快なそれを思い出す(⇒ブログ)。それに福島の事故で鳴りをひそめていた原発建設はどうなっているだろう。安倍天下、原発推進派が勢いを得ているに違いない。

岩科学校2岩科学校1スペーサ、タテ 岩科学校国指定重要文化財)…長八美術館から山側に1.5㌔ほど入ったところにある日本で3番目に古い小学校。明治13年の建築とか。ちなみに、一番古いのは「睦沢学校」(甲府、明治8年)、次が「開智学校」(松本、明治9年)。長八美術館、商家の中瀬邸とセットで見学料700円。漆喰となまこ壁の外壁、優美に曲線のバルコニー(バルコニーの外には出られなかった)。明治初め、ここはまだ小さな農漁村だっただろう、そんなところに早々と立派な小学校を建ったのも驚きだが、もっと驚きは工事費 2630円のうち、4余りが寄付金、その内1強の290円が村民の寄付金であったということ。明治の1円は現在の2万円に相当するそうで、その額はおよそ600万円ということになる。
岩科学校・展示2岩科学校・展示1岩科学校5岩科学校4岩科学校3岩科学校・教室岩科学校・校長室
中に入る。校長室や授業の様子が再現されている。中には赤ん坊をオンブした生徒も。明治時代の一村、そういうこともあっただろう。教材や近くの平野山から出土した縄文式土器などの展示、中でも目を惹くのは入江長八や高弟佐藤甚作の作品である。2階西の間(客室)欄間の『千羽鶴』、2階天井のランプ掛けと鳳凰、玄関の扁額『岩科学校』の上の龍(扁額は時の太政大臣三条実美の書)。その玄関を中心にシンメトリーな造り、1階は大きく張り出している。左部の前に植えられたマツがみごと。村役場だったという売店(喫茶コーナーあり)で一休憩。
岩科学校・西の間1「千羽鶴」岩科学校・西の間2「千羽鶴」岩科学校・玄関天井岩科学校6岩科学校・売店&喫茶
雨も降り続いていることだし、『ちょい旅』の目的は“温泉”にもある。早々に宿に入った。大浴場(温泉)は最上階6階、展望バツグン、サンセットに当たればサイコーだったが・・・

弁天島遊歩道5弁天島遊歩道4弁天島遊歩道3弁天島遊歩道2弁天島遊歩道1(伊豆まつざき荘と松崎伊東園ホテルスペーサ、タテ弁天島…昔は島だったが、今は陸続き。宿のすぐ近くにあり、街見物の前に一周200㍍という遊歩道を歩く。変化に富んだおもしろい散歩だった。

中瀬邸3中瀬邸2中瀬邸1スペーサ、タテ明治商家中瀬邸」…明治20年 呉服商家として建てられ、数代で財を築いた。昭和63年、(財)松崎町振興公社が買い取った。母屋から続く土蔵、離れとをつなぐ渡り廊下の船
中瀬邸・舟底天井2中瀬邸・舟底天井1中瀬邸・土蔵2中瀬邸・土蔵1スペーサ、タテ底天井、調度品やコレクションなど必見。
中瀬邸・展示3中瀬邸・展示2中瀬邸・展示1スペーサ、タテ
伊那下神社3伊那下神社2伊那下神社1スペーサ、タテ伊那下神社…『八方睨みの龍』(天井絵)など入江長八の名作がある長八記念館(浄感寺)、だがセット料金に含まれず500円@人でパス。斜す向かいの伊那下神社に行く。一風変わった手水鉢で“汚れ手”を清め参拝する。樹齢千年というイチョウ(親子イチョウ)に感服。さして遠くないところに伊那“上”神社もある。
近藤平三郎生家スペーサ、タテ近藤平三郎生家など…松崎町観光協会の隣りに近藤平三郎という人の生家があった。説明によれば、氏は(1877-1963)日本薬学界の最高権威。薬種商の長男として生まれ、東京帝国大学薬学科を卒業、ドイツ留学後同大学薬学主任教授となり、アルカロイドの研究に大きな足蹟を残した。昭和12年日本薬学会会頭、28年日本学士院会員となり、33年文化勲章を受章した。そういう土壌なのか、松崎は優れた人材を輩出してきたものだ。
ときわ大橋スペーサ、タテときわ大橋は松崎のシンボル、なまこ壁で欄干を装飾した長さ30㍍ほどの橋。那賀川にかかる。付近は中瀬邸や伊豆文邸、なまこ壁通りなど、みどころいっぱい。 伊豆文邸スペーサ、タテなまこ壁通り2なまこ壁通り1スペーサ、タテなまこ壁通りは“通り”というより路地、片側は荒地だが風情がある。伊豆文邸は明治43年の建築、呉服商の家だった。無料休憩所になっている。

石部の棚田(レンゲ)2石部の棚田(レンゲ)1石部の棚田2石部の棚田1スペーサ、タテ石部の棚田など…松崎から南、雲見へ向かう途中、棚田に寄る。海岸から2㌔ほど狭い道を登ったところ。田植えや稲刈りの時期はさぞ美しかろう。 展望(駐車場)1展望(駐車場)2スペーサ、タテ松崎と石部の間に展望の良い駐車場があり、広々とした海(駿河湾)とかすかに富士を見る。大気が澄んでいれば、ナント南アルプス北岳が見えるらしい!! 道沿いに何か点々と立っている。彫像だった。彫刻ラインというらしい。気にとめると事故につながりかねない。棚田では珍しくレンゲの花を見た。

雲見神社2雲見神社1スペーサ、タテ雲見浅間神社…雲見海岸の“駐車場”というか“スロープ”に車をおいて雲見浅間神社へ。神社は海辺りに聳える烏帽子山(標高162m)の山の上にある。2月に発症した変形膝関節炎の再発を怖れながら、石段330段を急登し拝殿、そこ
烏帽子山頂展望所1烏帽子山頂展望所2烏帽子山頂展望所3スペーサ、タテから同じくらい高の急坂を登って本殿。本殿のすぐ上が山頂展望所。山頂展望所からは素晴らしく、まさに絶景ポイントだったが、富士山はまったく見えず。
うなぎ処「京丸」2うなぎ処「京丸」1スペーサ、タテ松崎に戻り、コンビニで小腹を抑え、豪勢に沼津『京丸』のうな重でフィナーレ。ちょい旅にしては、遅い帰宅となった。

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松崎のブログをまとめている間に、あの忌まわしい『311』がきた。地震・津波は“天災”で ある意味 しかたがないが、原発事故は“人災”である。NHKはその数日前から特別番組を組み始めたが、民放は相変わらずタレント・俳優などがゾロゾロと出てくる“情報トーク”番組」ばかり。内容は他愛のないおしゃべりとおふざけ、わざとらしい笑い。おそらく台本なんかないのだろう。とくに地デジはひどい。NHKも ここ数年 タレント・俳優を重用するようになった。そして民放との“バランス上”高いギャラが払われる。源は受信料。彼らの説明が聞きやすく、内容も気が利いていればまあ我慢できるが、“自前の”アナウンサーのほうがよほど知的で、話し方の訓練もしているのでずっと聞きやすい。例外は『新日本風土記』/『もういちど、日本』の松たか子ぐらいだ。彼らにお高いギャラを払うくらいなら受信料を下げてほしい。もっとも民放のギャラも企業の広告料からで、それは商品・サービスの価格に含まれているから元は消費者の懐からである。 これまでNHKから民放に転職したアナウンサーは多い。とくに女子アナ。民放のほうがずっと高収入のことがその理由の一つだろうが、、その後みんなパッとしない。活躍できる番組が少ないのだろう。民放は、ドラマといえば安易な刑事もの、旅番組といえば宿での食事をこまごまと。以前、大山に登ったときの宿の人に聞いた話。NHKと民放がほぼ同時期に自然番組の収録に来たことがあるが、民放に雇われた一行はNHKよりずっと質素だったという。民放は収入の多くは番組の制作ではなく、自分たちの懐や給料や芸能人のギャラに入っているのだろう。
被災者の多く、とくに放射能汚染で避難を余儀なくされている人々の多くはもはや故郷に帰れる日は来るまい。何せ福島の事故レベルはチェルノブリやスリーマイル島を超える史上最悪なのだから。避難解除された地域も除染作業で削り取られた土が大量に野積みされたまま。袋が破れたり傷ついたりして いつなんどき 放射線が洩れ出すか分からない。そうでもなくとも放射線はすこしづつ洩れているではなかろうか。役所もなし、学校もなし、店もなし。避難解除すれば、国や東電は保証金や賠償金を支払わずに済む。原発では汚染水タンクが増え続けている。早晩、敷地外にタンクを作るか、処理済みと称して海に流し始めるのだろう。使用済み燃料の取り出しもままならない。無事故で役目を終えた原発の廃炉すら、巨額の費用と長い年月、困難な技術が必要。圧力容器を突き抜け格納容器の底に溜っているとみられる燃料デブリの取出しは不可能なのではあるまいか? 圧力容器内に留まり、量もぐっと少ないスリーマイル島(1979.3)でも燃料デブリの取出しに11年かかった。チェルノブイリ(1986.4)は原発そのものを石棺で覆ってしまった。その石棺は外からの風雨と内からの放射線で朽ち、今度はその石棺ごと覆うシェルターを建設中である。それでも放射線を“隔離”することはできない。半径30㌔以内は立入り禁止である。
間で総額26円といわれる復興税も福島事故の後始末に相当の額が投入されているに違いない。早々と決まった値上げ分もかなり充当されているだろう。加害者の元幹部は大枚の退職金を得て悠々自適の余生を約束され、故郷を追われた被害者は苦渋の老後を強いられる、日本という国のナント理不尽なことか 地震・津波と違って、家屋や田畑は無害で残っている。但し、5経った今、田畑は荒地と化し、家屋はイノシシやタヌキいの棲家になった。皮肉なことに彼らが身をもって放射線の影響を教えてくれるだろう。首都圏から200㌔あまりのところの建屋壁1枚の中は致死量の放射線が充満している。なんらかの事由で、これが漏れ出さないという保障は全くない。燃料デブリが再臨界を起こすあるいは起こしている可能性もあるという。
福島はもう安全、福島のような事故は2度と起きない、厳しい安全基準“書”を作ったので起きるはずがないらしい、政財界は原発再開に舵を切っている。僻地の発電所からの送電はコストがかかる。原発は(使用済み燃料の処分及び最終保管費用、廃炉費用も含めて)コストが安い上に安全というならば、地方ではなく東京・大阪・名古屋などの大都市近郊に作ったほうがよい。(安全なら不要のはずだが)交付金や協力金なども不要となり、地方の道路整備や公共施設の費用まで電力料金の一部として払わされることがなく、世界一高いといわれる(日本の)電力料金も安くなるだろう。
今日(24)の目的地は鳥海だが、まだお昼を過ぎたばかり。思いつきで、湯殿山神社に寄ってみようと、月山道路から湯殿山有料道路に入る。ところが、ほどなくロープが張ってあって先に進めない。正面に人気がない大きな建物。2012年の豪雪で損傷した建物が未だ復旧せず、休業中の「湯殿山宿舎ゆどのやま」だった。また、湯殿山有料道路は11月上旬~4月下旬冬季閉鎖 月山道路の入口にそれなりの標示があればよいのに不親切、あるいは通行止めは毎年のことなので常識ということか。

とって返し羽黒山へ。いつも使わせていただいている「いでは文化記念館」に車を停め(記念館は休館日)、羽黒山神社に行く。困ったときの羽黒山?
羽黒山・神橋羽黒山須賀の滝スペーサ、タテ神橋を渡り、須賀の滝を見る。初冬の参道は小雨降る空模様にも影響されてか、参拝者は数えるほど。樹齢1000年を越えるといわれる天然記念物爺スギを拝む。そして、薄暗い杉木立の中に国宝五重塔が立っている。 五重塔から爺杉爺杉と五重塔羽黒山爺杉スペーサ、タテ千年変わらぬ風景、イヤ江戸時代まではその周囲には数多くの仏教伽藍があったが、明治政府の蛮行(廃仏毀釈)により悉くたたき壊された。日本中どこのお寺に行ってもこのような五重塔はないだろう。体内に大国主命を祀られ羽黒山に於ける“地位”は末社。彼は自分も皆とともに破壊されればよかったと思っているかもしれない。

羽黒山二の坂茶屋スペーサ、タテ羽黒山五重塔羽黒山五重塔五重塔から本格的な石段の登り。明治以降建てられたのだろう、左右に末社がいくつか並ぶ。ほぼ中ほどにある二の坂茶屋はスッポリ雪囲いされて来春を待っていた。今年もお会いした茶屋のおばあさんは来年も元気に登ってこられるだろうか? 羽黒山山頂鳥居スペーサ、タテ羽黒山三神合祭殿羽黒山三神合祭殿スペーサ、タテ
霧靄の中に赤い鳥居が現れ、羽黒山山頂に到着。隋神門から山頂の神社までは2㌔石段の数2466羽黒山参道スペーサ、タテ「三神合祭殿」は冬仕度の真っ最中。鉄骨を組終り、プラスティックパネルの取付け段階。五重塔は何の雪対策も成されていなかった。もう何年も幾度も見てきたが修理しているのを見たことがない。素木造りで風雪・風雨にはより弱い気がするが、倒壊の心配はないのだろうか?

鳥海山スペーサ、タテ翌朝(25)、鳥海温泉「湯楽里」の食堂で食事中のこと。海上をこちらに向かって十数羽のオオハクチョウが横に並んで飛んでくる。カラスやハトのようにてんでバラバラではない。ちょうど同じ高さ。ゆったりと優雅そのものの飛翔に魅せられた。彼らは「湯楽里」の前で北に向きを変え、今度はタテ一列になって視界から消えていった。宿のスタッフによれば、稲刈りが終わった田んぼへ向かったのだそうだ。カメラを部屋においてきたことが悔やまれた。

劔龍山永泉寺スペーサ、タテチェックアウトし、道の駅「鳥海ふらっと」で新鮮かつ安価な野菜を買込んでから、古刹「永泉寺」(ようせんじ)に行く。永泉寺、山号は剱龍山。慈覚大師が弘仁十四年(823)鳥海山中腹に建てた御堂(鳥海山興聖寺)が前身、永徳二年(1382)源翁和尚が再興。永泉寺と改名し曹洞宗に改宗した。『剱龍山』の由来は、 劔龍山永泉寺スペーサ、タテ
鳥海山麓に恐ろしい毒蛇が庶民を苦しめていることを耳にした慈覚大師が嵯峨絶壁の岩窟で護摩行法に勤め祈祷をしたところ、百日目に毒蛇は真っ二つになり、頭は天に飛去り尾は大師の護摩壇の下に落下した。落伏(ここの地名)はこの伝説が生んだ『尾落臥』から変じたもので、剱龍山は龍(蛇?)の尾に剣があったことから付けられた。
老杉の巨木や松の古木が生い茂り人手を最小限に抑えた庭といい、開山当時そのままの本堂をはじめとする建物といい、独特の雰囲気と情緒がある。朱赤の山門(仁王門)に至る石段(参道)はかなり長く苔に覆われている。仁王像が健在。門を入ると、眷属の狐が一対ではなく一体。妻が、例によって、御朱印を頂こうとしたが、御住職は不在だった。「石造九重層塔」を見るため裏手の山道を登る。九層塔は亀ヶ崎初代城主(志村伊豆守光安)の墳墓。永泉寺には七不思議の伝説が伝えられているが、その雰囲気からそれもうなづける。
スペーサ、タテ永泉寺本堂スペーサ、タテ永泉寺石造九重層塔スペーサ、タテ永泉寺石造九重層塔スペーサ、タテ永泉寺仁王門スペーサ、タテ永泉寺参道

箕輪鮭採捕場箕輪鮭採捕場牛渡川スペーサ、タテ永泉寺から、藤沢周平『義民が駆ける』の舞台となった玉龍寺に向かいかけたが、気が変わり、永泉寺方面へとって返し、国指定史跡丸池様」(湧水)へ。丸池様は牛渡川沿いの箕輪サケ採捕場の裏にあった。牛渡川は鮭の遡上で有名、ちょうどその時期であった。テレビではよく見るが実際を目にするのは初めて。なかなか壮観であった。
丸池丸池丸池スペーサ、タテ丸池は湧水のみを水源とする大きな池(直径20㍍/水深3㍍50㌢)。美しいエメラルドグリーンの水面に周囲の鬱蒼とした原始林がその影を映す。池底に沈んだ倒木は朽ち果つることはなく、神秘的・幽玄的な情景を醸し出している。池畔には鳥海山大物忌神社の末社、丸池神社の本殿と拝殿が建っていた。
割烹さわぐち箕輪鮭採捕場採捕場に寄りイクラを大量に買う。干し鮭(寒風干し)はまだ昨日干し始めたばかりとのことだった。
久しぶりに土門拳記念館に行くつもりだったが、昼から雨または雪という予報に、酒田市内の割烹「さわぐち」で昼定食(鮭ではないが海魚三点、豪華美味で安い)を食べ、早々に山形をあとにした。
月山道や山形道は霙混じりの雨、東北道那須高原SA前後は小雪が舞っていた。
「午前晴れ/|午後曇りときどき雨」という予報に、石川雲蝶巡りの中日(18日)、奥只見湖(銀山湖)と奥只見ダムを観光した。喜ぶべきか悲しむべきか複雑だが、天気は夕方まで持った。
奥只見シルバーラインへ奥只見シルバーラインゲートスペーサ、タテ銀山湖へのルートは、急カーブが連続しすれ違いもままならぬ国道352号(酷道という異称もあるくらい)とバイパス的な発電所建設のために開発され、のち新潟県に移譲された奥只見シルバーライン(県道50号)の二つ。後者を行く。
奥只見シルバーライン1奥只見シルバーライン2スペーサ、タテ無人のゲートを通ると[奥只見ダム22㌔|銀山平14㌔]の標識、内18㌔がトンネル この道路のもう一つの特徴は標高差が500㍍もあること。照明は暗く、側壁は岩壁がそのまま露出しているところも
奥只見シルバーライン3奥只見シルバーライン4奥只見シルバーライン5スペーサ、タテ多々。つかの間の“外気区間”や時おりのスノーシェッド(覆道)にホッとする。トンネルの数は19(銀山平までは17)、11号トンネル(栃の木、[奥只見ダム17㌔|銀
奥只見シルバーライン6奥只見シルバーライン7奥只見シルバーライン8スペーサ、タテ山平9㌔])を過ぎると1000㍍以上の長いトンネルが続く。17号トンネル(明神、3920㍍)をかなり走ったところで、トンネル内で銀山平方面に右折、ほどなく長いトンネルから解放された。

奥只見湖遊覧船銀山平船着場奥只見湖遊覧船銀山平待合所判断ミスでR352を尾瀬御池方面に進み、奥只見湖遊覧船の銀山平乗船場に戻ったが、幸い第1便(10:00)にじゅうぶん間に合った。昼から天気が悪くなるという予報に、宿(民宿旅館源次郎)を早く出た
奥只見湖遊覧船の外輪奥只見湖遊覧船内(8:25)のも幸いした。遊覧船の奥只見ダムまでの所要時間は40分。13時の4便に乗れば、2時間余、奥只見ダムを見学・散策できる勘定、このプランに決める。さてファンタジア号は定刻通
奥只見湖遊覧船から荒沢岳スペーサ、タテり10時出港したが、乗客はナント我々二人だけ(定員300)。乗組員の方に気の毒になった。船はミシシッピー川を航行していた船を模した外輪船、奥只見湖遊覧船からのパノラマスペーサ、タテゆったりと静かな水面を進む。秋、湖のまわりは黄や赤に染まるという。が、今は一面の深い緑。紅葉シーズンには日に8便(今は3便)、大勢の観光客が押
奥只見湖遊覧船から平ヶ岳スペーサ、タテし寄せるそうだ。船内アナウンスが荒沢岳を紹介する。平ヶ岳の紹介もあったが定かに分からず。山の上の鉄塔および送電線は只見幹線。275kvの超高圧で川越変電所に送られているという。
奥只見湖遊覧船から奥只見ダム船着場奥只見湖遊覧船から奥只見ダム2奥只見湖遊覧船から奥只見ダム1スペーサ、タテやがて複雑に入り組んだ入江の最奥に奥只見ダムが見え、ほどなく船着場に着いた。 奥只見ダム堤奥只見ダム堤からスペーサ、タテ奥只見ダムの貯水量は国内一、二位、発電量は黒四を凌ぐ。遊覧船を降り、ダムの堤を歩き、157m下の下流を覗く。その先には、大鳥ダム、田子倉ダムがある。
奥只見電力館から奥只見ダム奥只見電力館「秘境奥只見」スペーサ、タテダムから『秘境奥只見』探索へ。“秘境”といっても大きなレストハウス、スキー場、ホテルまである。東屋風の展望所のまわりは草茫々で近づけない。その展望所にはおそらく利用されることがない空き地(駐車場)があった。辛うじて残された自然、池のまわりを歩き、最後に電力館を見学し、高所から奥只見ダムを俯瞰する。奥只見発電所は国策会社電源開発が所有する。発電した電力は東京電力と東北電力に送られる。
関越道谷川岳PAスペーサ、タテ予定通り、13時の便で銀山平へ。帰りは団体2組といっしょ、銀山平にバスが2台待っていた。枝折峠(越後駒ヶ岳登山口)を通る国道352号は難路ということで、再び奥只見シルバーラインを魚沼(民宿旅館源次郎)に戻る。
翌日19日は湯沢インター近くの瑞祥庵(仁王像)だけ見て、横浜へ戻った。
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