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今年のNHKの大河ドラマは『風林火山』。風林火山といえば武田信玄。乾徳山は武田信玄の菩提寺:恵林寺の山号である。
乾徳山…けんとくさん、いい名前である。そして いい山であった。

乾徳山には 過去2度 登ろうとした。しかし、1度目はガスに鍋をかけたまま家を出てきたのでは、という危惧から中腹で引き返し、2度目は妻の体調が悪くなり、登山口から一歩も登らず帰ってきた。
今回もアクシデント発生。しかし、今回は過去の2回とは異なり、ケガ人救助という貴重な体験であった。
アクシデントは下山中に起こった。起こったというより遭遇したといったほうが適切だが、その話の前に、『3度目の正直』から始める。

ゴールデンウィークではあるが、妻は 例年 5月1~3日、時には4日も仕事に出る。そこで、1日と2日、一人で丹沢登山を計画していたが、この二日に限って、天候が崩れるという予報。しかし、今日(29日)は上天気で、明日まで続くという。私より遅く起きてきた妻を口説き、急遽、乾徳山行きを決める。
バタバタと車やザックに荷を詰め、昼過ぎに家を出る。塩山の地元スーパーで食料を買い、ほうとう屋で、私はトンカツ、妻はアジフライを食べ(ほうとうは 二人とも あまり好きではない)、「花かげの湯」で湯に入り、何度も利用したことのある道の駅「花かげの郷まきおか」に泊まる。

30日6時45分 道の駅を出発、6時55分 徳和登山口(標高891㍍)に到着。1300㍍まで車で上がるお手軽コースもあるが、本格的登山シーズンを控え、足腰を鍛え直そうと、1000㍍チョットを登る徳和コースを選んだ。4月半ばに登った、四国の石鎚山と剣山を合わせた標高差と ほぼ 同じである。

KENTOKUSAN-1だんだん狭くなる、単調な車道(林道)歩きを 20分ぐらい 強いられたあと、スギ林の中の登山道に入る(7:30)。道が山腹のジグザグの登りから尾根筋に変わると、落葉樹(カラマツ?)の林となった。新芽は、まだ木のテッペンの方だけに吹いている。
錦晶水(8:49-9:04、写真1→)で一息入れる。50分ほど手前にあった銀晶水はチョロチョロであったが、ここは豊富だ。
視界が開けはじめ、樹林の間から周囲の山々と抜けるような青空が見えるようになると、国師ヶ原、次いで扇平(9:45~10:00)。扇平、“おおぎっぴら”と読むらしい。先に進んだ高いところから振り返ると、正に“扇”の形をした草原だった。すこし霞んでいるが、残雪豊かな富士山や南アルプスが美しい(写真2↓と3↓)。ガイドブックによれば、丹沢も見えるらしいが、同定できなかった。
KENTOKUSAN-2KENTOKUSAN-3

KENTOKUSAN-4扇平の、つかの間の緩やかな草原歩きが終わると、道は岩がゴツゴツした急登となり(←写真4)、やがて連続した2段の鎖場。しかし、岩に足懸かりがあり、鎖は補助程度で登ることができた。鎖場を越えて、いったん台地のような場所に出る(11:03)。
頂上はアト一息であるが、山頂直下に長い鎖場(←写真5)が待ち構えている。妻は、ここが“頂上”と決め込んでしまった。

KENTOKUSAN-5せっかくここまで頑張ったのだから、妻をおいて、標高2031㍍の乾徳山頂上へ(写真6↓)。山頂直下の鎖場は一枚岩にかけられ、足懸かりは ほとんど ない。上りはともかく、下りはかなり苦労した。
すこし春霞が濃くなってきたが、改めて 360度の眺望を楽しんで、妻の待つ所へ戻る。 KENTOKUSAN-6陽射しは強いが風があり、少々寒い。
暖かいところで食事をしようということになり、下山開始(11:35)。山頂もけっこう人がいたが、連休2日目、天気も上々、時刻はまだ早く、これから頂上を目指す人も多い。2段の鎖場では、かなりの数の“上り”を待って扇平まで下り、昼食を摂る(12:20-12:55)。30分足らずと時間が短いのは、メニューが簡単だったからである。


さて『ある出来事(アクシデント)』に遭遇したのは、銀晶水(13:50)を過ぎてまもなくである。久しぶりの本格的(?)登山で、足腰が アチコチ 痛くなり、遅れがちに下っていたところ、先行する妻が、木の根元に座っている青年と何やら話している。近づいてみると、青年は一歩も動けない様子。片方のズボンが血で滲んでおり、かなり痛むらしく、胸やわき腹をしきりに抑えている。時おり、息苦しそうに顔をしかめる。
扇平を出てまもなく、我々を 足早に追い越して行った青年だった。駆け足で下って、岩に躓くか制動が効かず、転んでしまったらしい。
林道までは もう さほどは残っていないはずであったが、携帯は圏外。ほかに誰か通らなかったか?と尋ねると、一人いるという返事。彼も我々を追い越して行った単独行の若者である。彼はマキロンのような塗り薬を置いて下ったとのこと。彼の名誉のために付け加えると、彼は集落に着いて警察に電話したが、話が消防(救急)にうまく伝わらなかったらしい。

助けを呼びに(私か妻の)どちらかが先に下りようか、肩を貸して いっしょに下ろうか、あるいは、まだかなりの人が下りてくるはずだから、その人たちを待とうかなどと思案しているうちに、我々より10歳ぐらい若い夫婦が下りてきた。奥さんは、モタモタするだけの我々と違って、かの若者が置いていった薬やご主人のバンダナを使い、テキパキと応急手当てを始めた。しかし、いずれにしろ、どうにかして ケガ人を 林道まで運ばなければならない。私より大きくたくましいご主人がケガ人を背負い、私と妻で それぞれ 2つのザックを持ち、奥さんは救急車を呼びに、先に下りることになった。(携帯は通じない)
ほどなく、夫婦づれ2組と、彼よりさらに若い3名の男性グループが相次いで通りがかった。転んださい、足や肋骨を折っているかもしれない。骨折とまでもいかなくても、ヒビが入っているかもしれない。背負って下りるのは危険ではないかということになり、しばし議論があったが、その中の一人が ザックで担架を作ったことがある という。

彼がリーダーとなって救助作戦が開始された。ザックは なるべく 中身を出すようにとの指示で、私のザックの中身を妻のザックに移し、もう一つは彼自身のザックを使って、2つのザックをつなげる。それから、ザックの両側をテーピングテープでストックに固定する。ストックは2本づつ。我々は 最近 2本ストックを使っているが、これが大いに役立った。常は、もっとイロイロな救助用品を携行しているが、今日に限って…と話していたが、即製の担架が出来上がり、彼の奥さんが“試験台”となった強度試験も大丈夫。あまりの手際の良さに感心し、あとで聞いたところ、彼は神奈川県勤労者山岳連盟のメンバーで、遭難対策部で活動しているという。
担架を 前後左右 男6人で抱え、狭い山道を慎重に下る。20分ほどで林道に出ると、タイミングよく、山梨県消防本部の救急車が林道を上がってきた。かの青年を 無事 救急車に移し、お互いの労をねぎらい、それぞれの帰途に分かれていった。救急車は簡易X線装置を備えていることを初めて知ったが、彼は打ち身だけだったそうである。



先に下りた奥さんが引き返してきた。結局 登山口近くまで歩き、そこで(携帯から)119番できたという。道々、休日で登山者が多かったことが幸いしましたネ、やはり単独行は危険ですネ、などと話しながら、16時25分 登山口駐車場に戻った。

昨日のほうとう屋は混んでいたわりにはマアマアで、近くにこれといった食堂もなく、花かげの湯で汗を流したあと、スーパーで刺身や惣菜、ビールを買って、その場で夕食。
連休2日目とあって、中央高速は 予想通り 大渋滞。「大月~小仏トンネルまで渋滞25km」という掲示板情報に、手前の初狩PAで 2時間ほど休み、帰宅した。

※写真の補足説明
1.錦晶水:洗顔可、ゆすぎ可、飲用可。
2.富士山:乾徳山から直線で約52km。撮影時焦点距離:35㍉換算で約90㍉。
3.南アルプス:白峰三山(右)から赤石岳(左)まで一望に。撮影時焦点距離:35㍉換算で約105㍉。
4.登山道で:この岩の間を登ります。抜けるような青空は、露出補正なし・無修正です。
5.山頂直下の鎖場:鎖を登っている女の子を男の子が心配そうに(?)上で待っています。
6.乾徳山山頂(標高2031㍍)。深田百名山の選にはもれましたが、変化に富むいい山でした。
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10日午後、往復2時間ほどのトレーニングを終えて、国民宿舎「石鎚」にチェックイン。昨日は数組の泊り客があったらしいが、本日は私たちだけ。1階はまだ準備中で、2階に案内された。
時間制のお風呂で温まり、夕食。品数は多くないが、鶏肉と野菜、どちらもタップリの鍋で おなか一杯になり、夕食後 すぐ床に入った。

石鎚山登山(4月11日)

昨夜の栄養豊富な暖かい食事と3日ぶりの畳の上の睡眠で、元気を取り戻し、いよいよ、四国はもちろん、西日本最高峰(白山以西、1982㍍)の石鎚山登山の開始(7時45分)。スカイラインのおかげで、標高差は約500㍍、歩行距離も約4㌔に過ぎないが、今年最初の本格的登山としては 手頃である。

ISHIDUCHI-1モミやマツ、ブナなどが混在する なだらかな尾根沿いの道を進む。北面から南面に道が移ると、石鎚山の岩峰が姿を現した(→)。なかなかの迫力だ。再び道が北側に変わると、処々に残雪が目立つようになった。登山口から1時間余りで、岩峰の一つ南尖鋒の直下に到着。ISHIDUCHI-2
ここから様相が一変、ルンゼと称する 岩稜と岩稜の間をトラバース(横断)する。約400㍍の落石注意区間を 注意して? 通り抜け、稜線へ突き上げたところが、成就コースとの合流点(9時20分)(←)
ここから岩峰の一つ、弥生(みせん)までは 鎖と捲き道、2つのルートがある。後者を採る。残雪が深くなり、アイゼンを着用したが、鉄製の梯子や鉄板が渡されたところが多く、そこは雪が まったく 付いていないので歩きにくい。

ISHIDUCHI-310時30分 弥山到着。立派な社が建っている(←)。頂上山荘もあるが休業中。一服後、最高点の岩峰:天狗岳を目指す。ヤセ尾根だが、南側は草付きや低木があり、それほど恐怖感はない。ISHIDUCHI-4
山頂!! 山頂に人影はなく、その時、西日本で、私たちより高いところには、誰もいなかったわけだ。ちょっとした感動である。弥山に戻って、早いお昼を食べ、下山(11時20分)。
(弥山から天狗岳。石鎚山といえば このアングル、秋には 切り立った岩壁を 錦が彩る→)

山頂を振り返り、振り返りしつつ(写真左)、国民宿舎に戻り(13時10分)、石鎚山を眺め、眺めしつつ(写真右、ズーム使用)、スカイラインを下った(13時30分)。
ISHIDUCHI-5ISHIDUCHI-6



剣山登山(4月12日)

前日、石鎚スカイラインから 国道494号(黒森峠越えの山道)を北上し、国道11号沿いにあった「湯の里小町温泉しこく」に立ち寄り、いよ小松インターで松山道。徳島道に乗り換えて、美馬インターで下りる。四国一の大河・吉野川べりの 道の駅「貞光ゆうゆう館」に到着したのは、20時頃であった。

7時15分、道の駅を出る。登山口「見ノ越」まで約40km。
平成の大合併で「つるぎ町」となっているが、旧「貞光町」。“貞光”とは由緒ありげな地名だが、道の両側に建つ家の、屋根という屋根に立派な卯建(うだつ)が立っている。昔、葉タバコの商いで繁栄した町だそうである。
卯建の家並みを抜け、国道438号へ。大部分は一車線で、擦れ違いに難儀しながら、しかし四国の人は親切だ、おおかた私たちを待ってくれた、8時35分 海抜1420㍍の見ノ越に到着。頂上まで3.3㌔、標高差約500㍍は、石鎚山とどっこいどっこいである。

登山道は 一度 登山リフトを横切る。下調べでは リフトは運休中ということであったが、客があれば動かすらしい。中年の夫婦が(リフトで)我々を追い越していった。ブナ林の中を緩急の少ない道が続き、一汗かいて、リフト終点(西島駅)に着いた。登山口から45分。
リフトの料金を調べると¥1000、乗らなくてよかった。
TSURUGI-1ここから頂上まで3つのルートがある。最短の尾根道を選ぶ。四国は山の島、東西南北、山また山の風景を楽しみながら、40分で1955㍍の山頂に着いた。
(尾根道から剣山、建物は山頂ヒュッテ→)(平坦で広い山頂↓)TSURUGI-2
剣山は西日本第ニ(すなわち四国第ニ)の高峰だが、なだらかな山頂付近は“山”というより“丘陵”という印象。また、植生回復のため、山頂一帯は木道が縦横に敷かれている。今は使われていないという測候所の鉄塔も景観をそぐ。
剣山はわずか27㍍低いがために、首位の座を石鎚山に譲った。しかし、山としての面白味は 石鎚山にはるかに及ばない。深田百名山の一座であるが、これで?という感じ。私としては、石鎚山が“名実”ともに四国第一で良かったと思う。

TSURUGI-3風当たりを避け、まだ開業していない山頂ヒュッテの横で、ティータイムのようなメニューのランチを食べ、見ノ越に下った。(10時50分~11時40分)。
(←山腹を縫うように走る剣山ドライブウェイ(国道438号))
池内紀さんの『山の朝霧里の湯煙』で知った「岩戸温泉センター」に寄ったところ、改築中。幸い、そこから10分ほど走ったところに「剣山ゆうま(木綿麻)温泉」があり、汗を流すことができた。

美馬インターから徳島道に入り、高松道に乗り継ぎ(いったん一般道に下りなければならない)、16時35分前後、陸路(神戸淡路鳴門道/大鳴門橋)で四国を離れた。
NARUTO-1NARUTO-2
     (↑鳴門海峡に架かる大鳴門橋↑)        (↑淡路島南PAから大鳴門橋、対岸は四国↑)

AKASHI-1~~その後~~12日は淡路SAに車中泊。13日、魔耶山から朝の神戸市街を眺め、大阪・高島屋でショッピングし、その日の夜遅く、横浜に帰りついた。
(←淡路SAから明石海峡大橋と明石市。三脚を持っていかず、ブレているので(シャッター速度1.5sec)拡大写真はありません。)

所用で熊本に帰った帰路、四国に4泊した。正確には、うち 0.5泊は豊後水道の上、1泊は淡路島(兵庫県)のサービスエリア。所用も含めた全走行距離は 2627.5kmに達した。

FERRY大分・臼杵港から、フェリーで四国に渡る。利用“車”は、トラック10台ほどと乗用車1台(私たちだけ)。
4月9日2時55分、愛媛・八幡浜に入港。道の駅「みま」で仮眠し、宇和島市街へ。
途中、一人 あるいは グループのお遍路さんに会う。真っ暗な 狭い峠越え(歯長峠)の道で 気づかなかったが、ドライブマップを見ると、八幡浜から三間(みま)の道路(県道31号)沿いに、42番札所・仏木寺と41番札所・龍光寺がある。今 走っている三間から宇和島への県道57号は「遍路道」であった。

UWAJIMA-1どこの港にも、漁師、仲買人相手の旨い食堂が、一つや二つはあるもの。まっすぐ 宇和島港に行くと、大きな魚市場の隣りに 小さな食堂が1軒あった。その名も「魚市場食堂」。早速入る。カツオの刺身、シラスおろし、ジャコ天、ワラビとタケノコを煮たもの等々、¥1,950/2人、なかなかの味であった。とりわけ 小マツイカの煮付けが旨かった。“マツイカ”とは初耳なので、店のご主人に尋ねると、ここでは、スルメイカを そうとも呼ぶという。

UWAJIMA-2宇和島市の観光スポットを ネットからプリントして、持ってきてはいた。しかし、お伊勢山公園という ちょっとした高台から 宇和海を眺めただけで、大洲市へ移動。大洲は、八幡浜からなら 東へわずか15kmである。
<一般優先>に設定したにもかかわらず、高速道路を走らせようとする<ナビ嬢>に戸惑いながら、大洲市に到着。走った高速道路は“フリー区間”であったが、それと分かったのは 入口でもなく 途中でもなく、出口であった。

OSU-1大洲では、町の駅「あさもや」に車を置き(無料)、船外機を付けた渡し舟が 停泊する肱川の川べりから、茅葺の屋根と外塀が見事な 「臥龍山荘」の横を通り、明治の家並みを見て、町の駅に戻る。小さい町だから、90分もあれば 十分であった。
       (肱川遊歩道から、山は冨士山、とみすやまと読む→)

OSU-2 ←臥龍山荘→ OSU-3

UCHIKO-1続いて、東隣りの内子町へ。ナビで検索した 町はずれにある「龍王温泉」で一休み後、大正に建てられたという歌舞伎劇場「内子座」、江戸末期から明治の古い家並みが そのまま 残っている 「八日市地区」を散策する。町並みは 日暮れ時もあって、なかなか落ち着いた佇まいを見せていた。
                              (→内子座)
数台分のスペースしかないが、観光客用の無料駐車場があるのも ありがたい。

UCHIKO-2UCHIKO-3
八日市地区の家並み。写真上右はパーマ屋さん、看板の屋号の両側に“髪匠”と書かれていた。写真下左は、木蝋生産の基礎を築いた本芳我家(ほんはがけ)住宅。写真下右、黄色味を帯びた漆喰の壁が美しい。
UCHIKO-4UCHIKO-5

今回の四国の旅では、石鎚山、できれば 剣山にも登りたいと思っていた。妻は1日、神戸か大阪で、ショッピングしたいという。帰宅のタイムリミットは 4月14日である。石鎚山は 北からの成就コースと、南からの土小屋コースおよび面河コースが 主な登山コース。面河コースは ロングコースなので選択外。成就コースは、頼みのロープウェイが 今週に限って運休で、残るは土小屋コースのみ。

さて、今夜の泊まりをどこにするか? 町の北端にある道の駅「フレッシュパークからり」はトイレの位置・構造が“宿泊”に適さない という理由で却下。龍王温泉は宿泊も可能で、お遍路さんも利用する ということだったが、見た目の割りに 値段が安くなく 却下。松山へ行って、ビジネスホテルを探すのも面倒である。
昨夜の睡眠時間は“船泊”と“車泊”合わせて、4時間半程度で、明日の石鎚山はしんどい。それに、土小屋コースの登山基地:国民宿舎「石鎚」までは 90km近くあり、今からでは遠すぎる。思案の末、石鎚山方面の「道の駅」まで 行くことにした。ネットの道の駅情報では、約40km先の「みかわ」まで 行く必要があったが、半分以下のところに「小田の郷せせらぎ」があり、躊躇なく 今夜の宿に決めた。

翌日10日朝、「石鎚」に予約を入れたところ、石鎚スカイラインは 夜間(17:30~8:00)通行禁止とのこと。また オープンしたばかりで、じゅうぶんな食事のご用意はできませんが、とのこと。しかし、石鎚山に登るチャンスは滅多にない。9時前、「小田の郷せせらぎ」を出発し、途中 「みかわ」に休憩し、「石鎚」へ向かう。
石鎚スカイラインに入り、ぐんぐん高度を上げる。やがて、石鎚山が ピラミッド型の みごとな山容を 見せ始めた。NHK「日本の名峰」で紹介されていた 北側からの姿とは、ずいぶん感じが違う。
昼過ぎ、国民宿舎「石鎚」に到着。青森や福岡ナンバーの車が駐まっている。私たちも チェックインする前に、明日の“足ならし”をすることにした。明日も天気は良さそうだ。  (以下、後編に続く)

※ほとんど素通りしてしまったが、丸谷才一・山崎正和共著「日本の町」(文春文庫)を 読み返してみると、宇和島は なかなか 興味深い風土を持った城下町らしい。今にして思えば、じゅうぶん見学する時間はあったのに、惜しいことをした。
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