上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
14日、道の駅「喜多の郷」から国道121号を米沢へ向かう。国道121号(大峠道路)は、山間(やまあい)を縫うように走る旧国道(米沢街道)に変わって建設されたもので、県境部は橋かトンネルという珍しい道路。1992年から順次開通区間が延びているが、昨年5月、米沢から喜多方に走ったときから進展はしていないようであった。全長3940㍍の長い大峠トンネル内で山形県(米沢市)に入り、道の駅「田沢」で小休止後、市街に入った。

今夜の宿(白布温泉西屋旅館)のチェックインは15時なので、久しぶりに米沢の街を歩く。松ヶ岬公園(米沢城址公園)も上杉伯爵邸庭園も紅葉・黄葉がちょうど見ごろであった。

松ヶ岬公園(米沢城址公園)
紅葉1紅葉2タカオカエデ紅葉3紅葉4
3枚目はタカオカエデという種類、葉が細く紅葉が美しいという説明が付いていました。
松ヶ岬公園上杉鷹山1上杉鷹山2上杉神社園児の行列
紅葉だけでなくサクラの古木も見事(1枚目)。米沢といえば上杉鷹山公(2枚目)。鷹山公の名言は『なせば成る・・・』、『伝国の辞』もありますが、これは『民の父母』。17歳で上杉家を継ぐに当り決意を詠んだもので『受けつぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母』と書いてあります(3枚目)。上杉神社社殿(4枚目)。上杉神社にお参りした保育園児の行列に出会いました。聞けば2歳とか(5枚目)。

上杉伯爵邸(上杉記念館)
上杉伯爵邸1上杉伯爵邸2上杉伯爵邸3上杉伯爵邸4上杉伯爵邸5
庭園を眺めながら米沢の郷土料理を頂くことができます。かなり昔、ここで米沢牛のステーキを食べたことがありますが、その後の米沢牛はもっぱら駅弁「どまんなか」。今夜は“米沢牛のすきやき”、庭園だけ見て、白布温泉に向かいました。

白布温泉
白布大滝道路標識には“shirabu”、これまで“shirafu”とばかり思っていました。白布温泉も米沢市ですが、西吾妻山の山フトコロにあります。西吾妻山には以前2度ほど登ったことがありますが、前日、ロープウェイで天元台まで上がるので、白布温泉は素通り、泊まるのは初めてです。
チェックインにはまだ早いのでロープウェイの麓駅まで行き、戻りに、途中見つけた白布大滝へ。“磐梯山より険しい道”を滝壺へ降りる。3段合せて落差50m、けっこう迫力があるが、上段は“堰”になっていた。自然のままでは崩壊の恐れがあったのだろう。白布温泉が懸かる川(大樽川)は最上川の源流とのこと。ついでに最上川は同一県内(山形県)だけを流れる、大河にしては珍しい川です。
西屋旅館全景西屋旅館(裏山から)西屋旅館に戻り今度は裏山へ。小さいがかなり古い薬師如来尊堂が3つあり(うち1つは改築中、一つは再建のため?解体)、それぞれ東屋、中屋、西屋とある(3つは白布温泉を代表する老舗旅館)。写真(←)は西屋を国道側と裏山から撮ったもの。
エントランスロビー館内温泉場ディナー
写真左から・・・①玄関とエントランス、館内は籐ゴザが敷き詰められスリッパを使わないのでたいへん心地よい(タビックスが用意されている)。 左手に②帳場と囲炉裏端スタイルのロビーがある。ほかに団欒室もある ③ゆったりとして落ち着いた雰囲気の館内。 ④中庭と温泉場。豊富な湯が絶えず渡り廊下の下に流れ出ている。 ⑤すきやき膳コースの夕食。場所は大広間。写真のほか岩魚の塩焼きや舞茸のどびん蒸しなどもつきました。

白布温泉の歴史はたいへん古く、開湯は正治元年(1312)。眼病で苦しんでいた出羽の人・佐藤常信という人が川のように熱湯が湧き出るこの地を発見。その下流で両眼の腫れた白い斑の大鷹が湯浴みをし、瞬時に平癒して飛び立つのを見て、この湯を『白斑の鷹湯』と命名したと伝えられているそうだ。
西屋も創業約700年、現在母屋に使われている萱葺きの部分(全景写真の左部)は約190年前に建てられたそうだ。お湯はもちろん源泉かけ流し、但し60℃と熱いので山水を加水して温度を下げている。風呂石は御影石、もともとは白かったが湯の成分で黒光りするようになったいうのも歴史を感じさせる。豊富な湯量は大広間の床暖房にも使われている。
東屋と中屋も(おそらく)西屋と同じくらい古く、萱葺き屋根の3軒が並んでいた。しかし、2000年3月25日、中屋から出火し東屋に延焼、2軒は全焼してしまった。西屋は奇跡的に類焼を免れたという。萱葺きの母屋には燃えた跡がない。その後東屋は再建したが中屋はまだ、東屋と西屋の間がすっぽり空いている。東屋、中屋。西屋の老舗三軒が並んだ光景はさぞや見事であったろうと惜しまれる。
西吾妻スカイバレー(猪苗代米沢線)は11月15日から冬季通行止め。翌日、再び米沢に戻り、栗子トンネルを潜り、矢板まで一般道(国道4号)で我慢、矢板ICから高速で横浜に帰りました。
スポンサーサイト
13日朝、裏磐梯はスッポリと真っ白い霧に覆われていました。しかし、地元の人の「あと15分もすれば晴れる」の話しのとおり、見る間に霧はとれ晩秋の日が射してきました。
820道の駅「裏磐梯」を出て、通れるのは今週いっぱいの磐梯山ゴールドラインを猫魔八方台登山口へ。ゴールドラインが開くのは8時と予想していたが、案外早く7時から開いていました。閉鎖は17時だが、八方台からの登山コースは最短ルートなので、この時間に遅れる心配はまずないという見込みです。

登山口840、猫魔八方台登山口(標高1194m)到着。広い駐車場に車が数台、トイレ完備、休憩舎もある。出発850。車高が高い四駆なら走れそうな道を歩くこと30分ほどで中の湯(標高1320m)。板が打ちつけられた窓や出入口、一部崩れかかった壁や屋根の様子から“冬季休業”ではなさそうだ。(あとでネットで調べたら廃業していた)分岐
中の湯からは山道らしくなり、傾斜もきつくなった。まだ融けない霜で滑りやすいところもある。すこし進むと裏磐梯登山口からの道と合流した。道標(写真→)には[八方台登山口1.2㌔/裏磐梯登山口4.6㌔]とある。裏磐梯登山口の標高は820mであるから、八方台コースは距離で3.4㌔・高さで370mも楽できる。その対価は¥750(ゴールドライン通行料)。
道は尾根筋にあったり、山腹を巻いたりしている。ガイドブックによれば、“火口壁"の縁や斜面を歩いているらしい。磐梯山は“火山”、それもつい最近(1888年)まで活動していた火山なのだ。

飯豊連峰大方は樹林に遮られ展望は悪いが、時おりそれが切れた隙間から裏磐梯高原や檜原湖、飯豊連峰が見えた(←写真)。2000mを越える飯豊連峰の山頂部が白く輝いて美しい。弘法清水
中の湯から1時間30ほどで弘法清水に着く。磐梯山に登るすべてのコースはここで一つになる。名前の通り水場があったが、[四合目弘法清水]という看板が立っている。“四合目”? 磐梯山は1819m、弘法清水は1600mを越えているから、30m/1合、登山口の標高は1500m 計算が合わない。誰かの悪戯?!
岩肌桧原湖道標(写真→)によれば、ここから山頂まではわずか500㍍、しかし険しく歩きづらい道となった。ところどころ雪が残っている。森林限界を過ぎても身の丈以上のクマザサが生い茂り、相変わらず展望はきかない。
写真左は火口壁の荒々しい岩肌、右は裏磐梯の複雑な地形。湖沼が点在し(左から桧原湖、小野川湖、秋元湖)、火口壁が伸び(手前の緑の緩やかな尾根)、岩肌むき出しの櫛ヶ峰から尾根が伸びる。写真右の右後ろは吾妻連峰。写真(左)でははっきりしないが、月山の白い頂きがはるか遠くに見えていた。

山頂1130、磐梯山山頂。標高1819m。360度のパノラマ。
(↓)猪苗代湖が強い晩秋の日を反射している。思ったより遠く小さい。猪苗代湖の右遠景は那須連山。 (↓)安達太良山鉄山箕輪山(中央3つの山)。 (↓)吾妻連峰、右近景は櫛ヶ峰。磐梯山は昔は一つの山だったが、爆発で中央部分が吹き飛ばされ2つの頂き~磐梯山と櫛ヶ峰~ができた。
猪苗代湖安達太良山吾妻連峰燧・会津駒
南西…名前が分からない山なみが続くなかで、唯一分かったのは左端最遠望の尾瀬燧ヶ岳会津駒ヶ岳だけ。越後駒ヶ岳や妙高山もこの山なみのどれかである。右近景の低い山は古城ヶ峰というらしい。
飯豊連峰1飯豊連峰2北西(←)飯豊連峰。連峰の右が主峰飯豊本山、左が最高峰大日岳。会津盆地を覆っていた雲海は昼を過ぎてようやく消えた。手前のゲレンデのある山は猫魔山。中の湯

陽射しは強く風は弱い。昼寝でもしたい気分だったが、1215下山。中の湯(13:55-14:00)で、来し方磐梯山を仰ぎ見て(写真→)、1420、八方台駐車場に戻った。

今夜も道の駅(喜多の郷、温泉併設)で我慢し、明日(14日)は米沢経由で吾妻山麓の白布温泉・西屋旅館に泊まるというのが、(おそらく)今年最後の『東北紀行』の日程です。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。