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今日(27日)の予定は、先日(23日)道が分からず 諦めた大仏切通しと釈迦堂口切通しです。結果は大仏切通しは一歩も歩けず(土砂崩壊のため“通行止め”になっていた)、その代わり、釈迦堂口切通しを “禁を破って”通り抜けました(通行禁止であることは分かっていた)。巡った寺社は佐助稲荷神社安国論寺です。

マップ(大仏切通)鎌倉駅前バス1番乗場から藤沢行(江ノ電バス)に乗る。 ※駅前ロータリーにいた青い服を着た人(某バス会社)に「藤沢行」の乗場を尋ねたら、それは江ノ電だから黄色い服を着た人に聞いてくれと、取りつくしまもない応対だった。八雲神社
大仏隧道をくぐり(トンネルがなければ歩くのだが)火の見下という停留所で下車。大仏切通しを歩く前に八雲神社にお参り。八雲神社は火の見下から すこし 藤沢寄りの三叉路を右に曲がった角にある。道路に面した石段を上がったところに 社が一つあるだけの小さな神社だった。ポイント③ポイント②ポイント①
バス停(火の見下)に戻り、左の路地へ曲がろうとすると、電柱の張紙が目に留まった。『-お知らせ-大仏切通は土砂崩落により通行止めになっています』 往生ぎわ悪く(私の)、奥に進む。続いて、角の家の塀に古びた案内板。どうにか『←大仏切通し』と読める。裏大仏ハイキングコース・大仏坂口家の後ろは裏山、山道に入るところに、『工事中御協力をお願い致します』の看板が立ち、ロープが張ってあった。
諦めて バス停に引返し、計画どおり、裏大仏ハイキングコースから佐助稲荷へ行くべく、二つ 駅を戻って大仏坂で下車。トンネル出口すぐの道路ぎわの石段がハイキングコースの[大仏坂口]。石段の昇り口に標識が立っているが、注意して見ると大仏切通通行禁止の張り紙があった。(先日は見過ごした!)
ポイント⑤ポイント④石段からハイキングコースは右の坂を行くが、コース中、休めるところがない。左の階段を昇り、先日の“ミス”で見つけた長谷貯水池で、すこし早い昼食を摂った。
さて、右の坂を登り始めてすぐ、登り口にロープを張って通れないようにした、左に登る階段があった。反対側から降りてくれば右に登る。何も書いてないが、ここが大仏切通の大仏側口であることは間違いない。通行禁止が いつ 解除になるか分からないが、これで大仏切通しの両側の入口が確認できたわけだ。

裏大仏ハイキングコース1裏大仏ハイキングコース2裏大仏ハイキングコース3(「樹ガーデン」)つい4日前のコースを逆向きに歩く。2度目だと“ゆとり”も出て、新しい発見もあるものだ。陽射しは弱いが、木々の紅葉が美しい。すこし広場になっているピーク、カフェ「樹ガーデン」の案内があるところ、で一休み。カフェに下りていった中年の夫婦が「閉まっていた」と戻ってきた。
佐助稲荷神社本殿裏大仏ハイキングコース7(佐助稲荷分岐)裏大仏ハイキングコース6裏大仏ハイキングコース5裏大仏ハイキングコース4木漏れ日が落ちる気持ちの良い道を緩やかに下ると ほどなく 分岐。急坂をジグザグ、最後は鎖に頼って、真っ赤な鳥居と幟がひときわ鮮やかな佐助稲荷神社に下りた。

佐助稲荷神社参道中段佐助稲荷神社参道、拝殿から佐助稲荷神社拝殿とお狐様本殿から拝殿に下りる。拝殿の横に 売店がありや休憩所が設けられている。長い参道(石段)の下、神社の入口には、“縁結び”の『十一面観世音菩薩』が祀ってある。御開帳は5月18日だそうだ。山腹に建ち緑に囲まれた境内は かなりの参拝客だったが、当日の賑わいはたいへんなものだろう。 ※拝殿の写真は合成です。
“佐助稲荷”の由緒に、伊豆の蛭ガ小島に流されていた源頼朝が病に伏していた時、『かくれ里の稲荷』(稲荷の大神)と名乗る翁が夢枕に立ち、平家討伐の挙兵をうながした。後に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探しあて、稲荷神社を建てたと伝えられる。幼少のころ佐殿(すけどの)と呼ばれていた頼朝を助けたので、『佐助』の名を付けた、とあった。

ピーグル犬佐助稲荷神社をあとにし、鎌倉駅に向かう。繁華街近く、銭洗財弁天(宇賀福神社)や寿福寺など 有名な寺社もあるので、買物客や観光客で 人通りはいっそう多くなった。市役所通りを避け、閑静な住宅地に入る。と、ある一軒で、ピーグル犬が塀の上に顔を出し、行き交う観光客を眺めている。楽しそうでもなく 、かといって退屈そうでもない。彼はいつもこうやって、午後のひとときを過ごしているのかもしれない。

マップ(釈迦堂口切通)地下道をくぐり鎌倉駅東口へ、段かずらを歩き、八幡宮を南から東に抜けて、バス通り(金沢鎌倉線)に出る。次の目的地は釈迦堂口切通し。釈迦堂口切通しは、地図によれば、杉本寺のかなり手前で 右に入る細い道があるはず。注意して歩きます。ポイント⑥ポイント⑦
信号[岐れ路]を過ぎ、[大御堂橋]の信号で右を見ると、ありました、[釈迦堂口切通]の標識が。ここから650㍍です。標識は大御堂橋の袂に立っているので、バス通りからは見えません。橋を渡り、しばらく行くと次の標識。杉本寺は真っ直ぐ行って左、釈迦堂口切通しはここで右折ですが、“通行禁止”と明記してあります。3つ目の標識、あと150㍍・・・ポイント⑧
民家が途切れ山道となりました。入口はチェーンが張られ、『この先釈迦堂切通しガケ崩れのため通行禁止』の看板が立っています。しかし、道の右端は“微妙”に通れそうです。後ろから男の人が 一人 歩いてきます。躊躇なく 前進することにしました。釈迦堂口切通1釈迦堂口切通2釈迦堂口切通3
山道をすこし進むと、カーブして見えなかった釈迦堂切通しが… その景観に圧倒されました。切通しというより 大きな岩をくり抜いた“隧道”です。凄い迫力に言葉が出ません。向こうから通り抜けてきたのか、往復しただけなのか分からないが、中高年の団体が歩いてきました。
おっかなびっくり、大きな岩の下を通り 反対側(大町側)に抜けました。やはり『この先崖崩れの恐れあり・通行止』『落石注意』の看板がありましたが、こちら(大町側)からは 真近かに “切通し”を見ることができます。しばし その圧巻に見とれている間にも パラパラと人影が見えましたが、交通の便が悪いせいでしょう、大町側に歩いて行ったのは一人、二人でした。
釈迦堂口切通しは「鎌倉七口」には入っていません。誰が造ったかも分かっていないが、材木座・大町と六浦・金沢を結ぶ重要な物流ルートとして開かれたようです。名前はこの丘陵にあった釈迦堂(北条泰時が父義時の菩提を弔うために建立)に因むそうです。

ポイント⑪ポイント⑩ポイント⑨釈迦堂口切通しが通り抜けできなければ、両側から(切通し)を見るため、街をぐるっとまわるつもりでいた。しかし その必要がなくなったので、先日の“道間違い”を確認しながら大町の住宅地をバス通り(鎌倉葉山線)に出る。
※釈迦堂口切通し大町側口はバス通りをローソンで左折するが、間違いの元は、その先300㍍ほどの三叉路で、右に行くべきところを左へ行ったこと(写真中)、標識はない。

安国論寺山門バス通りを左へ、逗子方面に行くと安国論寺と妙法寺がある。名越切通しを歩いた日(11月16日)、妙法寺は見たが、安国論寺は休みだった(月曜定休)。その時の門前の感じが良かったので、安国論寺に寄り道することにする。安国論寺本堂と紅葉安国論寺本堂と紅葉安国論寺本堂と紅葉
拝観料¥100を受付の箱に入れて境内へ。山の斜面に建てられているので、境内は広く起伏もあり 歩きがいがある。緑の中に、イチョウとカエデの紅葉が鮮やかだった。
山号は妙法蓮華山、宗派は日蓮宗。寺名は、日蓮上人がここで書いた『立正安国論』に因む。長勝寺や妙法寺とともに、日蓮上人の松葉ヶ谷松庵跡の一つで、『松葉ヶ谷霊跡安国論寺』とも呼ばれる。

釈迦堂口切通しを見て歩いたときの高揚した気分は、静かな落ち着いた雰囲気の安国論寺の境内を巡るうちに すっかり 収まって、鎌倉駅に戻った。歩いた歩数は、“17,500歩”でした。
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ハイキングコースマップ11月23日、勤労感謝の日、好天に誘われ裏大仏ハイキングコースを歩きました。大仏切通しと釈迦堂口切通しも歩くつもりでしたが、準備不足で道が分からず、切通しは化粧坂切通しと予定外の極楽寺切通しだけで終わりました。
始点:鎌倉駅、終点:新逗子駅、歩いた歩数は 21,300歩。これに最寄駅(新杉田と能見台)までを加えると 32,000歩、3万歩突破が今回の唯一の?成果でした。右の地図はコースの終点(大仏坂口)に立っていたものです。

化粧坂へ鎌倉見物でごったがえす鎌倉駅から紀ノ国屋で右折(市役所前交差点)、寿福寺・英勝寺を過ぎ、踏切りで左折し海蔵寺方面へ。標識にしたがって海蔵寺の前で左に入ると、すぐ大きな岩塊を削った坂道となります。化粧坂(けはいざか)です。化粧坂2化粧坂1
坂道はいくらも続かず、源氏山公園と銭洗井弁天・ハイキングコースの分岐点となりました。源氏山公園にちょっと寄り道。源氏山公園はモミジとイチョウの紅葉・黄葉がみごとでした。裏大仏ハイキングコースへ源氏山公園の紅葉
公園内には源頼朝像があったらしいが、見損なって、北鎌倉から延びている裏大仏ハイキングコースへ。前もって調べた大仏切通しは藤沢側から入る説明でしたが、このコースを歩けば、大仏側の標識が出てくるだろうという安直な?計画です。

裏大仏ハイキングコース2裏大仏ハイキングコース1木立の中の道。街の喧騒も聞こえてきません。人工物も視界に入らず、山中を歩いている気分です。化粧坂や源氏山公園は多くの人で賑わっていましたが、ハイキングコースに入ると、人気(ひとけ)も ぐっと 少なくなりました。目と耳は快適でも、ところどころの“足元は要注意”をアップダウンすると、ちょっと開けた山の上に出ました。幼い子供を二人連れた家族がお弁当を広げていました。
カフェ『樹ガーデン』の看板が木の枝にぶら下がっています。コースをはずれてすこし下ったところにそれらしき建物の屋根が見えます。あとで調べると、「樹ガーデン」は全席屋外の“オープン”カフェ。湘南の海と、運がよければ富士山が見えるそうです。
裏大仏ハイキングコース3裏大仏ハイキングコース4裏大仏ハイキングコース5おばさんたちなど、いくつかのグループが『樹ガーデン』の方から登ってきました。私もコーヒー一杯飲みたいところでしたが、コンビニで仕入れたお茶とオニギリで我慢し、大仏方向へウォーキング再開。途中 補助ロープが付いた急坂もあったが、後半も おおむね 快適な小径を どんどん 歩いていくと(下っていくと)、やがて街の物音が聞こえるようになり、最後は長い階段を降りて、「大仏坂口」に出ました。裏大仏ハイキングコース・大仏坂口
源氏山の分岐から約2㌔、そこは大仏隧道(県道32号、藤沢鎌倉線)を鎌倉側に出たすぐのところでした。ここから高徳院(大仏)まで400㍍、コース途中に大仏切通しへの標識は見当たらず、このまま大仏の方へ行こうか行くまいか、一考のあと、大仏切通しを求めて 再び 階段を昇り返し、上部で左へ分かれた階段を さらに 昇ると長谷配水池。見晴らし台や木製のテーブルと椅子もあって、休憩に適地です。大仏切通しは? 長谷配水池から道が2本ありました。1つは配水池をまわるような[か細い道]、他は坂の下に民家が見える[広い道](実はこれは極楽寺への道でした)です。

疑心暗鬼で[か細い道]に踏み入れました。それは、古びた白い布切れが枝に結びつけられてはいるものの 雑木と草むらに覆われた藪漕ぎのような道で、どうやら“尾根すじ”に付いているようです。切通しに尾根すじは さすがに 可笑しいので5,6分で配水池に戻り、今度は [広い道]を、そのうちトンネルの向こう側(藤沢側)に出るかもしれないと思いながら下っていきました。「トンネルの向こう側に出るかもしれない」、これは すぐ 勘違いと分かりました。民家の住居表示に[極楽寺二丁目]とあったからです。長谷貯水池に出た時点で すでに 大仏隧道の上を越えていたのです! ※大仏坂口にあった地図の拡大図を よく 見ると、ハイキングコースの もすこし 源氏山寄りに[大仏切通へ]の分岐がある。但し、そこには(ネットによれば)標識らしきものはないそうです。

極楽寺の住宅地をひたすら歩くと 稲村ヶ崎小学校にぶつかり、そこで左折、江ノ電の踏切を越えまた左折、予定外の、車でも通れる極楽寺坂切通しを歩き、成就院と虚空蔵堂を過ぎて 由比ヶ浜海岸へ。すぐ街中に入り、再び 江ノ電の踏切(由比ヶ浜駅、鎌倉寄り)を渡り、六地蔵を過ぎ、三たび 江ノ電の踏切を渡って 下馬交差点。帰りは新逗子駅まで歩くことに ほぼ 決めていたので(¥150節約)、若宮大路を突っ切って逗子方向へ進む(県道311号鎌倉葉山線)。
先日、安国論寺・妙法寺界隈を歩いたさい見た標識で、釈迦堂口切通しは通行禁止になっていることは分かっていたが、行けるところまで行ってみようと、安国論寺の参道入口のすこし手前で 住宅地の道へ左折する(ローソンが目印)。しかし 釈迦堂口切通しに着く前に行き止まりになってしまった。 ※あとで分かったことだが、釈迦堂口切通しは 途中 二又に分かれた道を右に進むべきだったらしい。
県道に戻り逗子方向に向かう。トンネルを歩くのは気が進まないが、時間も遅くなり、山(名越)を越え、薄暗くなった法性寺の墓地を通るのは もっと 気が進まない。市境の3つのトンネルを抜けて、新逗子駅にたどり着いた。

今日は切通しを歩くという目的からは失敗続きでした。が、裏大仏ハイキングコースの素晴らしさを知ったこと(道はけっこう険しい)、“通し”ながら、3万歩以上も歩いたことが収穫でした。
大仏切通しと釈迦堂口切通し、2つを一日で歩くには 早出が必要なようです(今日、家の出たのは10時過ぎ)。とくに、通り抜けできない釈迦堂口切通しについては 両側から見るための”より短い”迂回ルートの検討、藤沢側から大仏側に歩く方が良さそうな大仏切通しついては “より安い”交通機関の検討が必要です。もちろん、道を間違えないことが いちばん 重要なことです。
マップ1マップ28日の「朝比奈切通し(朝夷奈:あさいな)」に続いて、16日(月)、逗子と鎌倉の市境にある「名越切通し(なごえきりどし)」を歩きました。
京急新逗子駅からJR鎌倉駅まで、妙法寺など、いくつかの寺社も巡って、およそ17,500歩でした。

京急新逗子からJR逗子へ。東口に立っているコースマップをカメラに撮り(末尾に掲載)、横須賀寄りの踏切を渡って西口側にまわる。まず目指したのは岩殿寺
トンネルの先に久木小学校がある久木小学校の正門前を左へ紫色の家を過ぎて右に曲がる住宅地の静かな道を進み、トンネルを出ると久木小学校の正門に突き当った。そこを左折、次いで右折と学校に沿って歩く。学校の西の角を左に曲がり、紫色の家を目印に進む。”紫”の家は変形四つ角に建っており、そこで右折する。四つ角を右に曲がると岩殿寺の山門が見える
石垣のある大きな家が建つ四叉路を右に曲がると参道(?)。道の奥に岩殿寺の山門が見える。四叉路を真っ直ぐ進めば、バス通りに出る。また、石垣には[岩殿寺]の標示板が懸かっているが、歩いてきた方向からは(右折しないと)見えない。岩殿寺山門石段を昇って観音堂へ
岩殿寺。“がんでんじ”と読む。参道入口の大きな石柱に『坂東三十三観音霊場第ニ番札所』とあった。8日に訪れた杉本寺が第一番、午後、妙法寺から鎌倉駅へ行く途中にあった安養院が第三番だった。※その他ネットで調べると、馴染みがあるところでは、長谷寺が第四番、弘明寺が第十四番でした。 山号は海雲山。泉鏡花は逗子滞在の間 しばしば 岩殿寺を訪れたそうである。 山門から長い石段を観音堂に上がる。観音堂の前では、十数名の白装束姿の信者さん(お坊さん以外はすべて女性)がお経を唱えていた。

バス通りに出て右(鎌倉方向)に曲がるバス通りを鎌倉方向に進む岩殿寺の次は法性寺。四叉路に戻り右折、バス通りへ。バス通りに出て鎌倉方向に進む。ガードレールがあるのはよいが、人一人 すれ違いもままならないほど 歩道の幅が狭い。左側は横須賀線の線路が迫っており、歩道はない。踏切の手前で曲がるとすぐ法性寺の山門がある
バス通りは500㍍ほどで踏切りを渡るが、法性寺はその手前で右に入る。右へ入るとすぐ山門がある。法性寺山門(名越切通し入口)白猿をあしらった扁額
法性寺(ほっしょうじ)。山号は猿畠山。山門の脇に[↑名越切通し]の立札がある。山号も変わっているが、白猿がぶらさがった扁額(表札)が面白い。白猿の由来は「松葉ヶ谷(午後訪れた妙法寺などがある地域)で布教活動を行っていた日蓮は、その活動の激しさゆえに他宗徒の怒りを買い、小庵を焼き討ち(松葉ヶ谷の法難)されてしまうが、その際、白猿に導かれ法性寺に逃れた」という伝承に基づくそうだ。

奥の院(正面)と仏殿名越切通し案内図!山門から本堂・奥の院までは遠い。おまけに長い坂道だった。途中に境内の案内図があった。走り書きだが、名越切通しを初めて歩くという者にとっては たいへん 役に立つ。本堂と奥の院が建つ広場に上がる。広場にはベンチもあり、恰好の休憩ポイントだが、このコース中、腰を落ち着けることができたのはここだけであった。お猿畠大切岸大切岸(右)と墓地(左)の間の細い道を登る
さらに奥に進むと、墓地と畠(お猿畠)に出た。畠の後ろにそそりたつ断崖がある。大切岸(おおきりぎし)と呼ばれる人工の崖だ。大切岸は北条泰時が宿敵三浦氏の侵入に備え造営した防護施設で、崖の上から矢を射ったという
名越切通しは大切岸と墓地の間の細い坂道を登る碑の前は小広場名越切通しは左へ進む
坂道を登りきったところで道は左右に分かれた。右は大切岸の上を歩き、鎌倉逗子ハイランドを経て衣張山方面。名越切通しは左だ。民家の横を下り気味に進むと、『無縁諸霊之碑』が立つ小広場に出た。ノラネコが3匹たむろしていた。みんなよく太っている。切通しへの道逗子と鎌倉への分岐、切通しは逗子側
ようやく“切通し”らしい山道となった。が、切通しはなかなか現れない。まもなく、道は また 左右に分かれた。右は[鎌倉市大町/長勝寺・安国論寺方面]、左は[名越切通・まんだら堂やぐら群]とある。鎌倉側に下りたいのだが、そうすると、肝心の『切通し』を見ないことになる。切通し入口~逗子市亀ヶ岡(小坪)側名越切通し/第一切通し
切通しまで あと どれくらいあるか分からないが、(当然)左の道に進む。史跡調査のため立入り禁止の「まんだら堂やぐら群」を過ぎると、また道標があって、[↑(直進):名越切通第一切通・亀が岡団地/→(右):小坪階段口・バス停(緑ヶ丘入口)]とある。直進すると、ようや く切通しが…、但し たぶんこれだろうという感じ。そこを過ぎると道幅が広がり、[名越切通・第一切通]は↓(逆向き)となった道標と、切通しの歴史と構造を詳細に説明したパネルが立っている。[→(右):鎌倉市大町/長勝寺・安国論寺方面]、[←(左):名越切通・まんだら堂やぐら群]の分岐からは10分ほどの距離だった。そしてその先は、100歩、歩くか歩かないくらいで亀ヶ岡住宅地、『名越切通しウォーキング』はあっけなく終わった。   長いですが、パネルの説明を転記します。

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   国指定史跡 名越切通し Nagoe Kiri-Doshi(the pass out through the mountains)
名越切通は鎌倉時代に尾根を掘り割ってつくられたとされる通行路で、鎌倉幕府の事績を記した『吾妻鏡』の天福元年(1233年)八月十八日条に「名越坂」として登場するのが資料に見られる最初です。近世以降は「鎌倉七口」のひとつとしても数え上げられ、鎌倉と三浦半島を結ぶ道として重要な役割を果たしてきました。切通の周辺には、鎌倉の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸(人工的な崖)、やぐら(四角い横穴に石塔を建て、納骨・供養する施設)や遺体を火葬した跡なども多く分布しており、中世都市鎌倉の周縁の歴史的景観をたいへん良く残しています。
◇現在の切通の姿◇
現在の名越l切通の道筋には、尾根の岩盤を掘り割って道をつくり、両側が急な崖になっているところが3カ所ありますが、最も高く切り立ったこの部分を第一切通と呼んでいます。鎌倉時代に外敵の侵入を防ぐために、あえて狭くつくったと言われていますが、発掘調査を行ったところ意外な結果が明らかになりました。
現在私たちが歩いている切通は路面の幅が1~1.5mhどですが、その下に複数の古い道路面が重なって発見されました。最下層(現地表から約60cm下)の道路面は幅2mほどで、そこから18世紀後半以降に作られた陶磁器が出土しました。これによって、現在の道筋の地下に埋もれている最も古い道は、江戸時代に使われていたということがわかったのです。
その後、地震などによって両側の崖が崩れるたびに道が埋まり、そのつど整地・修復して新しい道をつくったため、どんどんかさ上げされて路面が高くなったと思われます。一時期は道幅を広げる工事も行われたようで、路面の幅が3m、両側に排水のための溝も設けられていました。しかし、明治16年(1883年)にトンネル道路が、同22年(1889年)に横須賀線が開通すると、切通も幹線道路としての役割を終え、埋もれるがままに修復の手を加えられることもほとんどなくなり、最終的に現在のようなすがたになったと考えられます。
~~~~~~~~~~~~~~~~(逗子市教育委員会社会教育課文化財保護係、平成21年3月)


踏切りを渡りバス通りへ鎌倉市大町側の切通し入口さて このまま 切通出口(入口)を出てしまうと、バス通りのトンネルを通るか、ぐるっと海岸側に回らなければ鎌倉へ行けないので、来た道を戻る。途中、妙性寺で食い損ねたオニギリを(立ったまま)ぱくつき、30分ほで鎌倉市大町五丁目に出た(12時55分)。切通しの標示は何もない。踏切りを渡る。横須賀線のトンネルがすぐ後ろにあった。
安国論寺線路沿いに歩いてバス通り(県道311号鎌倉葉山線)、再び踏切りを渡る。[安国論寺]の標識が見えたので、何の知識もないが寄ってみることに。バス通りを離れ、ほとんど逗子方向に戻るように鋭く右折した通りに入る。奥に見える山門が安国論寺らしい。しかし山門は閉まっていた。※あとで調べたところによれば、①月曜定休 ②安国論寺の名前は、日蓮上人が前執権北条時頼に建白した『立正安国論』からとったものと分かりました。妙法寺(奥)
門前は四辻になっており、左は[妙法寺通り]とある。バス通りとほぼ平行のようなのでその道を進む。右に折れた路地入り口に[松葉谷妙法寺]と彫られた石柱が建っている。奥に山門らしきものがある。扉は閉まっているが、フラフラと山門に向かって歩く。山門とは別に左側に入口があった。拝観料¥300。岩殿寺(¥100)、法性寺(無料)とも寺社見物としてはマアマア、安国論寺は休みだったので、予備知識ゼロだが見物することにした。

妙法寺仁王門妙法寺(苔寺)~庭園と本堂妙法寺。山号は楞厳山(りょうごんざん)。“楞厳”は妙法寺を再興した日叡上人の幼名。(開山は日蓮上人) 中に入ると、手入れが行き届いた木々豊かな庭と、立派な本堂が目についた。裏山を越えると法性寺(のはず)である。本堂の右横から石段を昇ったところに仁王門がある。妙法寺法華堂の彫刻妙法寺法華堂妙法寺法華堂の彫刻妙法寺鐘楼
仁王門からさらに石段を昇ると、水戸家が寄進したという法華堂鐘楼。法華堂は建物自体も屋根下の彫刻もなかなかみごと、鐘楼の小ぶりの鐘はかなり古そうだった。(本堂と仁王門は肥後細川家の寄進)

松葉ヶ谷御小庵跡鐘楼横から石段はさらに延びている。石段を昇り詰めると、松葉ヶ谷(まつばがやつ)御小庵跡があった。説明によれば、建長五年(1253)、安房国清澄寺で日蓮宗を開いた日蓮が鎌倉名越に来て、立正安国を力説、文永八年(1271)まで布教伝道の拠点とした庵の跡である。小庵は安国論寺など数箇所あったらしい。松葉ヶ谷の法難の際、白猿に助けられたことは法性寺のところで述べた。護良親王のお墓
道は山上まで続いている。山上には、護良親王(大塔宮)の墓があった。護良(もりよし/もりなが)親王は名前を覚えている程度。説明によれば、後醍醐天皇の皇太子で当山五世日叡上人の父宮。建武の中興に力を尽し征夷大将軍になったが、のち鎌倉二階堂に幽閉され、建武二年(1335)、二十八歳で亡くなった護良親王の墓から鎌倉の街と海
墓所から鎌倉の街と海(たぶん稲村ヶ崎と江ノ島)を眺め、護良親王の波乱万丈の生涯に一時(いっとき)の思いをはせた。木立に佇む法華堂苔むした石段(法華堂から仁王門)
下り道。樹間に静かに建つ法華堂に 改めて 円覚寺や建長寺などにはない味わいを感じた。法華堂と仁王門の間の苔むした石段を見下ろす。この苔むした石段だけで、妙法寺は“苔寺”と呼ばれているらしい。JR逗子駅前案内図
“苔寺”と聞いて、京都西芳寺のような庭を連想してしまうと期待はずれになる。“苔寺”と呼ばずとも、妙法寺は、美しい庭と風情ある建物や山上からの眺望など、見どころたくさんのいい寺であった。
進行状況によっては、大仏坂も歩くつもりだったが、妙法寺を出たときは 2時をまわっていたので、それは次の機会、鎌倉駅に向かった。
マップ11月8日、鎌倉「七切通し(七口)」~亀ヶ谷坂、化粧坂、巨福呂坂、大仏坂、極楽寺坂、朝比奈、名越~の一つ、朝比奈切通し(正確には「朝夷奈(あさいな)」と書く)を、横浜(六浦)側から鎌倉側(十二所)へ歩きました。
自宅から称名寺・金沢八景、県道23号(環状4号、原宿六浦線)、朝夷奈切通し、県道204号(金沢鎌倉線)、鎌倉八幡宮・鎌倉駅まで、22,320歩でした。

横浜(六浦)側入口1横浜(六浦)側入口2国道16号から環状4号線へ[六浦交差点]で右折し、公田方面へ進むこと4㌔以上、車道歩きに いい加減 飽きたころ、横浜横須賀道路[朝比奈インター]の標識が見えてくる。(バスもあります、「朝比奈」下車)道祖神を見て横横をくぐる
道標[朝夷奈切通]にしたがって、路地に入ると、200㍍ほどで横浜側の「朝夷奈切通し」入口。道脇に道祖神(庚申塔)が並んでいる。すぐ横横道路の高架があり、その下をくぐると、大都会の中とは思えない静かな山道となった。緩やかな上り坂、道幅は広くて歩きやすい。日曜日であるが、行き交う人はさほど多くない。
切通し1熊野神社・かまくら道分岐熊野神社への道左右に崖がそそり立つ“切通し”を抜けると(ここがいちばん狭い切通しだった)、ほどなく [かまくら道・熊野神社分岐]。ここを歩いたことがある妻から『熊野神社は一見の価値あり』と聞いていたので、分岐を左へ。辺りは森閑とした杉木立である。

熊野神社拝殿杉木立の中に佇む熊野神社熊野神社は杉木立の中に忽然と現れた。小さな鳥居をくぐり、長い石段を上がると拝殿、続いて 短かい石段の上に本殿が建つ。拝殿も本殿も小ぶりだが、立派である。二つの社殿は建て替えて まだ 日が浅いらしいが、周囲の雰囲気によく溶け込んでいる。熊野神社本殿とスギの古木熊野神社本殿とイチョウの古木熊野神社本殿とスダジイの古木
本殿のそばに残る古木が また いい。スギ、イチョウ、スダジイ、“名木”として管理されている。
熊野神社は分岐から5分ぐらいのところにあるが、寄り道する人は少ないようだ。本殿の先に さらに 山道が続いていたが、“探検”は次の機会ということにして、切通しの道に戻る。
※分岐にあった由来板を読み忘れたが、熊野神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)から勧請された神社で、手広、極楽寺、浄明寺など、鎌倉にもいくつかある。

朝夷奈切通しは鎌倉と六浦を結ぶ古道(六浦道)で、仁治2年(1241)、第三代執権であった北条泰時によって造られたという。鎌倉時代、六浦は外港として重要拠点であった。
切通し4切通し3切通し2切通し(切岸)は300㍍ほど続く。右の写真の中央は いわば 撮影ポイントで、開削(人工の崖)の跡を 最も顕著に 残している。切り取った石は社寺の灯篭や石段などに再利用したそうだ。道筋には、大小の「やぐら」も目についた。
※「やぐら」は山の斜面部を四角く掘った洞穴で、お墓・供養所。土地を有効利用するため、街中への墓所建設が禁止されたことによる埋葬方法といわれている。
鎌倉(十二所)側入口2横浜側と違って、鎌倉側はジメジメした道となった。ところどころ、ぬかるみや水溜りがある。岩の上を水が流れているところさえある。ここ数日 雨は降っていない。どこからか、絶えず水が流れて来ているらしい。これで、雨でも降ったら 相当 難儀する道である。
「朝夷奈切通し」出口、すなわち鎌倉(十二所)側入口に着く。切通し区間は、熊野神社往復を入れても、4,000歩に満たなかった。鎌倉側入口には小さな滝があり、滝の横に、昭和16年、鎌倉青年団が立てた立派な石碑があった。

鎌倉(十二所)側入口1出口から 左右に道があるが、[左:十二所果樹園]とあるだけで、右は何とも出ていない。どこかの子供会らしき一行は十二所果樹園の方へ行った。どっちへ進むか しばし 思案していると、同じく 左に行った夫婦二人組が まもなく 戻ってきた。聞けば、“柵のようなものが続いているだけだった”といって、“右”の道を歩きだした。私もそれに習う。
滝から流れ落ちた水は太刀洗川、先で滑川に合流し、材木座海岸に注ぐ。太刀洗川に沿った車道を しばらく 歩いて、道標[朝比奈切通し・十二所果樹園]が立つ、県道204号(金沢鎌倉線)に出た。あとは ひたすら 鎌倉八幡宮、鎌倉駅を目指して歩くだけであるが、沿線には名刹が多い。いくつか見物することにする。

浄妙寺(門前から)報国寺(前庭と鐘楼)浄妙寺(写真左)と報国寺(写真右)は昔、かなり昔だが、中に入ったことがあるので、今回は 門前または前庭だけで済ませた。浄妙寺は鎌倉五山第五位とあって大きなお寺。報国寺は「竹の庭」が有名だが、萱葺きの鐘楼がなかなか風情があった。杉本寺(鐘楼と本堂)杉本寺(苔むした石段)杉本寺(仁王門)
鎌倉で最も古い寺ということを 最近 知った杉本寺は、初めてでもあり中に入る。拝観料¥200を納め、長い石段を萱葺きの仁王門(写真左)へ上がる。両脇に『十一面杉本観音』と書かれた幟がいくつも並ぶ。仁王門から本堂(観音堂)までの石段は真ん中と左右に3つある。通行禁止の真ん中は石に付いた苔が美しい(写真中)。左の石段を、鐘楼や本堂が建つ平地に上がる(写真右)。本堂はやはり萱葺きである。堂内に三分の1ほど入り、「十一面観音」を拝顔する。お顔は“仕切り”の影になり、暗くてよく見えなかったが、当座の“四つの願い”をして 右の石段を県道204号に下りる。
お寺はどこも多くの人で賑わい、とりわけ、八幡宮から鎌倉駅は人ごみをかきわけて歩かないと、前に進めないほどでした。
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