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2月21日:縄文杉トレッキング
屋久島といえば、まず 誰もが一度は会いたい『縄文杉』、次に 九州育ちの登山愛好家としては 一度は登りたい九州最高峰の『宮之浦岳(1935m)』だが、今日はその第一の願望を実現する日である。もっとも片道11㌔、標高差710mの“登山”並みの行程をクリアできれば、である。
マップ~縄文杉未明の4時35分 車が来た。今日のガイドは田中さん。ガイド歴14年、東京の出身。同行は 昨日と同じ 西村さん母子。息子さんはイギリスの大学を卒業、就職も決まり、我が世の春の屋久島旅行である。考え方もしっかりした好青年だった。加えてハンサム。事前の話では、今日は9人のツアー客にガイドが二人付くということだったが、実際には4人にガイド一人だった。
トレッキング出発点の荒川口まで約1時間。前半は島の東海岸を走ったはずだが真っ暗で分からない。後半、屋久島自然館から荒川分れ(標高約900m)まで道は上りで、そこからぐんぐん下る。荒川口(標高約600m)の駐車場は狭く(20台ほど)、私たちが着いたときは駐車区画はすでに満車、田中さんもこれは予想外だったらしい。道路わきに駐める。学生旅行で賑わいはじめる3月から、屋久島自然館~荒川口は一般者の乗入れができなくなる。

縄文杉1(東の空)縄文杉2(トロッコ軌道)縄文杉3(小杉谷橋)縄文杉4(小杉谷集落跡)車内で朝食を摂り、東の空が白み始めたころ出発(6:30?)。今でもたまにトロッコが走るという軌道の上を歩く。枕木の間隔と歩幅が合わず歩きにくい。枕木を無視して歩くのが疲れないコツというが・・・ トンネルを通り、手摺りのない橋(太忠橋)を渡る。残った雪に 余計 緊張を強いられた。小杉谷橋(この橋には欄干あり)を渡ると小杉谷集落跡。伐採事業に関わった人が 最盛時 500人以上住み、小中学校もあったそうだ。縄文杉5(三代杉)
小杉谷集落跡からはレールの間に木道があり歩きやすくなった。辻峠(白谷雲水峡)からの道を右から合わせる(楠川分れ)。小杉谷山荘跡で休憩。トイレが個々に3棟ある。錆びた五右衛門風呂が山荘の名残りを残していた。山荘跡からほどなくで三代杉。“二代”は数多く見てきたが“三代”は珍しい。初代が約2000年で倒れ、倒木更新した二代目が約1000年で伐採され、その上に切り株更新した三代目は樹齢500年といわれる。
縄文杉6縄文杉7(仁王杉)雪が深くなり持参の鉄製ではなく、田中さんが用意したゴム製のアイゼンを付ける。鉄製のアイゼンでは木道や木の根を痛めるからである。仁王杉を見る。阿形は健在だが、吽形は倒れた横木だった。縄文杉8(トロッコ軌道終点)
荒川口から8.1㌔、トロッコ軌道からようやく開放された。橋(大杉谷)を渡ったところに立派なトイレがあり、橋の手前が大株歩道の入口。縄文杉まで距離はあと2.5㌔だが、標高差は400mも残っている。
縄文杉9(翁杉)翁杉:2010年9月に倒れるまでは、縄文杉に次ぐ大杉だった(胸高周囲:12.6m、樹高:23.7m、推定樹齢:2000年)。縄文杉12(ウィルソン株)縄文杉11(ウィルソン株)縄文杉10(ウィルソン株) ウィルソン株豊臣秀吉の大坂城築城に際し、銘木の献上を命じられた薩摩の島津氏によって切り倒されたとされているが、ウィルソン株は標高1000mを越える高所にある。もっと低い搬出が容易なところから切り出したはずと否定する意見もある。とにかくみごとな切り株で、切り株の中から見上げる空と木々がまたおもしろい。位置によって切り株がハート型に見えるところがあり、若い女性に大人気だそうだ。
縄文杉16(夫婦杉)縄文杉15(大王杉)縄文杉14(大王杉)縄文杉13(田中さん)大王杉:縄文杉が発見されるまでは島最大の杉とされていた。真っ直ぐ伸びた太い幹、周囲に広げた枝ぶりの堂々とした姿形は“大王”の名にふさわしい。樹高:24.7m、胸高周囲:11.1m、推定樹齢:3000年。ガイドの田中さんは大王杉がいちばん好きだそうだ。 夫婦杉:大王杉の近くにある。夫が妻にそっと手を伸ばしているように見える。

ウィルソン株に興じ大王杉に感動し、地獄の一丁目・二丁目・三丁目の急坂を登ると縄文杉は近い。縄文杉への最後の登り(地獄の四丁目)を前に、テラス状の広場でお昼。水場もある。屋久島の水は超軟水、喉越しが柔らかくまろやかな味だ。
縄文杉17(縄文杉)縄文杉18(縄文杉)縄文杉19(縄文杉)縄文杉20(縄文杉)砦のような鑑賞デッキを上がると、縄文杉(標高1300m)が目の前に! これまで写真やビデオでは幾度となく見てきた縄文杉だが実物はやはり格別。真っ直ぐ伸びた大王杉と違って、何本かの幹を編みこんだようにくねくねとうねり“合体木”のようにも見える。樹高は25.3m、胸高周囲は16.4m、推定樹齢は2000-7200年。樹齢にずいぶん幅がある。7200年は周辺のスギの年輪測定とこの幹の太さの対比から推定されたもの。これは現在では否定されている。2000年は外周の若木を放射性炭素を使った科学的な方法で測定したものだが、中が空洞になっているため、2000年以上ということしか分からなかったらしい。2000年にしろ7000年にしろ、気の遠くなるような悠久の歳月を生きてきた縄文杉、いったいあと何年生き続けるのだろうか!
シーズン中 縄文杉の鑑賞デッキは見物客で溢れるそうだ。しかし今日は15組ほど。多くはガイド付きの若い男女のグループだが、彼らのほとんどは すでに 帰路についているので、鑑賞デッキは(私たちの)貸切状態だった。雪の上に仰向けになり縄文杉を見上げる。シーズンオフだからできるパフォーマンスである。

縄文杉24(トロッコ軌道)縄文杉23(千手観音杉)縄文杉22(小杉の森)縄文杉21(ヒメシャラの森)縄文杉と別れ(13:20)、大株歩道からトロッコ軌道へ。私たち夫婦にはかなりハイペースに感じたが、ふつうのペースらしく、またこのペースでないと明るいうちに荒川口に戻れない。縄文杉25(安房川河原)
途中、安房川の河原に下りて一休み。田中さんの熱いコーヒーで元気を回復したと思ったが、足は 相当 へばっていたらしく、一時 膝にまったく力が入らなくなってしまった。こんなことは初めて。どうにか自力で立ち上がり、太忠橋を渡るときは 前後を田中さんと西村さんの息子さんにガードしてもらい、18時頃 荒川口にたどり着くことができた。

縄文杉26(倒木更新)縄文杉27(年輪)縄文杉28(小杉谷休憩舎)縄文杉29(太鼓岩)①倒木更新。②非常に密な屋久島の杉の年輪。③小杉谷集落跡のにある休憩舎、屋久島の杉は屋根(平木)に使われてきた。また土埋木を切り出して工芸品等が作られている、④トロッコ軌道から太鼓岩を見る。
縄文杉32(翁岳)縄文杉31(宮之浦岳)縄文杉30(宮之浦岳と翁岳)大株歩道から⑤宮之浦岳と翁岳、⑥宮之浦岳、⑦翁岳。
屋久島には九州本土より高い山が6つもある。宮之浦岳(1935m)、永田岳(1886m)、栗生岳(1867m)、翁岳(1860m)、安房岳(1847m)黒味岳(1831m)。ちなみに九州本土最高峰は久住山で標高1791m。


2月22日:屋久島から
屋久島~鹿児島1(宮之浦港)屋久島~鹿児島2(佐多岬)宮之浦港12:00-13:50鹿児島港南埠頭(高速船ターミナル)。帰りの座席も右舷側。天気が良ければ大隅半島(佐多岬)や桜島が見えたはずだが…、佐多岬が霧の中に霞んでいた。鹿児島港から市内一の繁華街(天文館)まで歩き、バスで鹿児島空港(10~20分おき、港から空港への直通バスはない)。鹿児島空港20:50-22:25羽田空港(定刻)。
※第一日『白谷雲水峡・太鼓岩トレッキング』へ
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旅行会社のエコツアーを利用し屋久島に行った。旅行期間は4日間(2月19日~22日)だが前後2日は移動日なので実質は2日、第一日は白谷雲水峡と太鼓岩というところを歩き、第二日が縄文杉トレッキングである。社会に出るまで熊本に居たが屋久島には行けずじまい。島の様子がまったく分からないので、宿まで送迎ありのガイド付きのツアーである。

2月19日:屋久島へ
鹿児島~屋久島2(開聞岳)鹿児島~屋久島1(桜島)羽田空港6:35(5分遅延)-8:45(15分遅延)鹿児島空港。ジェット気流が強かったのが遅延の理由。鹿児島空港9:40-10:30鹿児島港南埠頭(高速船ターミナル)。鹿児島空港は霧島山の南西、錦江湾の奥まったところにあり、鹿児島市内からは遠い。桜島の影響だろうか?鹿児島~屋久島3(種子島)鹿児島~屋久島4(屋久島) 鹿児島港12:20-14:10宮之浦港。屋久島航路の高速船(ジェットフォイル)は2社が運航しているが我々のは「ロケット」。座席指定で右舷側だったので薩摩半島を見ながら進む。開聞岳を過ぎ錦江湾の外に出る。波は湾内と変わらぬ静かさ。最高所でも300m足らずの種子島が海面スレスレに長々と延び、それとは対照的な“洋上アルプス”屋久島の上半分は雲を被っていた。
宮之浦港では旅行会社から委託された現地スタッフ(ガイド会社)が出迎え、明日いっしょに歩くらしい二人連れ(親子?)と共に、ツアーの説明やトレッキング上の注意(ストックやアイゼンなどについて)を聞く。明日のガイドは渡辺という人だが、明後日のガイドは未定という。説明のあとスーパー「ヤクデン」に行き行動食を補充、そこまで迎えに来てもらった車で宿に向かう。宿は3泊とも旅荘「美山」、市街(港)からかなり山側に入ったところにあった。

2月20日:白谷雲水峡・太鼓岩トレッキング
マップ~白谷雲水峡8時30分、渡辺さん(ガイド)の車で白谷雲水峡へ。渡辺さんは島の人でバスやタクシーの運転手をしていたが、定年後、請われてガイドの仕事をしているとのこと。およそ30分で白谷雲水峡の入口(白谷広場)。駐車場はかなり広い。 白谷雲水峡1(入口)白谷雲水峡3(飛竜落とし)ガイドブックによれば、こことヤクスギランドの二カ所が屋久島の森を手軽に鑑賞できるところらしい。
9時過ぎ出発する。白谷川の渓流に沿った遊歩道。「憩いの大岩」と名づけられた花崗岩の岩床を歩き、飛竜橋から飛竜落しの滝を見、さつき吊橋を渡ると楠川歩道と呼ばれる登山道となった。
白谷雲水峡4(さつき吊橋)白谷雲水峡5(白谷小屋分岐)緑は次第に深く濃くなり、照葉樹から針葉樹が主体の森に変わる。杉の大木が目立つようになった。屋久島では樹齢千年以上のものを「屋久杉」、それ未満のものを「小杉」というそうだ。そうすると(これまで見た)現存の大木はどれも“小杉”ばかりで、屋久杉の多くは切り株や倒木である。入口から2時間で白谷小屋。トイレと小休止のあと佳境「苔むす森(もののけ姫の森)」に入る。
白谷雲水峡6(もののけ姫の森)白谷雲水峡7(もののけ姫の森)白谷雲水峡8(もののけ姫の森)白谷雲水峡9(もののけ姫の森)苔むす森(もののけ姫の森)
白谷小屋分岐から辻峠付近まで鬱蒼とした原生林の森が続く。岩に付いた苔、その上に降り積もった雪はこの時季ならでは光景。雪が音を吸収するのだろう、森閑とした世界。白谷雲水峡11(もののけ姫の森)白谷雲水峡10(もののけ姫の森)“月に35日降る雨(雪)”が大地に森に与えるのだろう、しっとりとした味わいと潤い。加えて人気の少ない静かさはこの時期ならでは。
以前、ここに『もののけ姫』の看板が立っていた。それと気づかず歩いたハイカーから『もののけ姫の森はどこにあったのか』と尋ねられることが多かったのが設置の理由の一つらしいが、作者からクレームがあったとかで今は撤去されている。。しかし、森の美しさはそんな人間の物欲的な争いとは無縁である。そんなものはむしろ無いほうがよい。
白谷雲水峡12(辻峠)白谷雲水峡13(太鼓岩)白谷雲水峡14(大きなつらら)白谷雲水峡15(辻の岩屋)辻峠で道は2つに分かれる。真っ直ぐ進めば「楠川分れ」で縄文杉トレッキングコースに合流する。左の道を登れば数百㍍で太鼓岩。太鼓岩へ。しかし、太鼓岩は折悪しくガスが湧き上がり、展望はゼロだった。白谷雲水峡17(白妙の滝)白谷雲水峡16(さつき吊橋)
太鼓岩を下り、「辻の岩屋」と称するせり出した巨岩の下で昼食を摂る(14時頃)。
帰りは往路を戻り5時頃白谷広場に戻る。結局、弥生杉と奉行杉は迂回せず、歩行約5㌔/標高差約450m(太鼓岩1050m)のトレッキングだった。

白谷雲水峡a(くぐり杉)白谷雲水峡b(七本杉)上:くぐり杉と七本杉
中:屋久島には約600種のコケがあるそうだ。スギゴケ、ミズゴケ、スナゴケ、サガリゴケ・・・
下:ヒメシャラ、モミ、?、気根杉、二代杉、ヤクシカ
白谷雲水峡c(コケ)白谷雲水峡d(コケ)白谷雲水峡e(コケ)白谷雲水峡f(コケ)白谷雲水峡g(コケ)
白谷雲水峡h(ヒメシャラ)白谷雲水峡i(モミの木)白谷雲水峡j(曲がり杉)白谷雲水峡k(気根杉)白谷雲水峡l(切り株更新)白谷雲水峡m(ヤクシカ)
・屋久島が土壌が浅く杉は根を広く張ることで体を支えている。さらに、幹の途中から根(気根杉)を出して補強しているものもある。気根杉は多く見られた。
・屋久島の杉の世代継承には2形態ある。切り株更新と倒木更新。伐採された株の上に新しい杉が育つ切り株更新は屋久島独特の形態である。
・屋久島のサルとシカは本土のものより一回り小さい。二日のトレッキングでヤクシマザルを見る機会はなかったが、ヤクシカはたびたび目にした。島の人口と変わらないほど生息しているとのこと。

※第二日『縄文杉トレッキング』へ。
2月5日高尾山に行きました。最近の高尾は、高尾山口の薬王院駐車場に車をおいて高尾駅まで電車で戻り、バスで陣馬高原下へ。そこから陣馬山~高尾山を縦走し、高尾山口に戻るというパターン。バスは1時間に1本、今日は「7時50分」になんとか間に合いました(自宅出は5時45分)。
陣馬高原下に着くと、数名のハイカーが出発準備に取りかかっていました。増便があったらしい。私たちのバスも20名ほどの乗客、陣馬山は真冬でも人気のようです。日曜日ですが、ハイカーの大部分は中高年。ほとんどの人がスパッツを付けています。我々はスパッツはまだしもアイゼンの用意もない。加えて 靴は古いほうで、ソールの溝は磨り減っている。いささか不安なスタートとなりました(8:25)。

和田峠陣馬高原下~和田峠(8:25-9:40、3.7㌔/標高差+370m):バス停からは和田峠への車道(陣馬街道)歩き。1.3㌔地点の分岐からも、ハイキングコースは敬遠して車道を歩き、和田峠に到着。和田峠は車が2台のみ、閑散としていた。ほどなくマウンテンバイクの若者が2人、反対側からやってきて 陣馬山への林道を押していった。また 単独の中年男性が陣馬山から下りてきた。
和田峠~陣馬山1和田峠~陣馬山2和田峠~陣馬山(10:10-10:40、1.1㌔/標高差+170m):和田峠から陣馬山へは、山道(階段)と林道(山頂にある茶屋の荷揚げ用)の2ルートある。和田峠~陣馬山4和田峠~陣馬山3彼の中年男性の『アイゼンなしでは山道はきついと思います』というアドバイスにしたがって、すこしまわり道になるが林道を選ぶ。林道を歩く人は少ないのだろう、踏み固められていないのでアイゼンなしでも滑ることはなかった。和田峠から800㍍、ハイキングコースの道を左から合わせると山頂は近い。
陣馬山からの展望2陣馬山からの展望1陣馬山山頂(10:40-11:10、標高857m):山頂はかなりの賑わいだった。雲が低く厚く、展望は悪い。富士は見えず、丹沢も薄っすら。一軒だけ開いていた茶店で、ナメコ汁で温まる。マウンテンバイクの二人は藤野のほうに下りていった。
陣馬山~明王峠1スペーサー陣馬山~明王峠2明王峠陣馬山~明王峠(11:10-11:55、1.9㌔):陣馬山からは幾度か歩いた道。もっとも雪道は初めて。滑らないように 一歩一歩 慎重に歩く。明王峠までふつう30分のところを45分かかった。明王峠(標高735m)は高尾から来た人と高尾へ向かう人が時間的・位置的に交叉する所、陣馬に負けぬ賑わいぶりだった。
明王峠~景信山1スペーサー明王峠~景信山2明王峠~景信山3(送電鉄塔)明王峠~景信山(12:05-13:45、3.8㌔):北へ陣馬高原下、南へ底沢へ下る十字路(底沢峠)を過ぎ、堂所山を巻く。続く2つのピークも巻く。景信山からの眺望明王峠~景信山4しかし それを越えれば景信山(標高727m)、という3つ目のピークは巻き道がない。その下りで派手に滑ってしまった。ぬかるみと見えたその下はツルツルのアイスバーンだった。まず私、それから妻、これがホントの“夫唱婦随”である。ほうほうのていで、植生保護に張ってあるロープの外に逃れる。坂の下の雪で、衣類やザックにべっとり付いた泥を落とす。見ていると、ほとんどの人ははじめから、登山道外のまだ雪が残っている脇を降りてくる。被害は甚大であったが、いい経験になった。

城山1(電波塔)景信山~城山景信山~城山(14:05-15:15、2.1㌔):雪が降ったのは一週間ぐらい前、高尾山から景信山は“人通りも多く”、雪はほとんど残っていないだろうと予想して、城山2(変なオブジェ)城山3(大山)途中エスケープをせずにここまで来たのだが、小仏峠(標高548m)へ下りる急坂の一部はアイゼンでも難儀しそうなほど凍結していた。道脇の立ち木をたよりになんとかそこをクリアし、峠から上りに転じ、人影もまばらな城山(標高670m)に到着した。
高尾山からの展望高尾山の三角点城山~高尾山(15:20-16:25、2.3㌔):昨年11月 歩いたとき大きな倒木が道を塞いでいたが、今日はその部分だけ切り取られていた。道は 相変わらず 泥んこ道か滑りやすい道。モミジ台は北を巻き(南の巻道はすこし長い)、山頂直下の石段を高尾山山頂(標高599m)に上がっていった。
高尾山ケーブル・高尾山駅高尾山~ケーブル・高尾山駅(16:30-17:00、2㌔ぐらい/標高差-115m):さんざん雪道に悩まされつづけてきたので、また 関東ローム層むきだしの稲荷山コースはこれまで以上に滑りやすいだろうということで、高尾山からは“自力”下山はやめ、“他力(ケーブルカー)”で下りました。
そして下山後 、妻お勧めの『高橋家(たかはしや)』へ。いつも混んでいるそうだが、閉店間ぎわ(ラストオーダー5時半、閉店6時)で空いていました。そばは細めで柔らかめ目、つゆが濃からず薄からず、なかなかいい味でした。
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