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2012.03.26 身延山久遠寺
小さな旅『静寂に凛とたつ~山梨県身延町~』で放映された身延山久遠寺に行った(3月25日~26日)。久遠寺はおよそ700年前に建立された日蓮宗の総本山。標高1153mの身延山の麓にある。久遠寺と奥の院がある山頂との標高差は約700m、距離は約5㌔(表参道)または約6㌔(裏参道)で登山並み。ロープウエイも通っている。
蛇足ですが、小さな旅の“旅人”は、中高年男性はかくありたいと思う国井雅比古アナと一柳亜矢子アナ。身延山の担当は一柳さんでした。歴代の女性アナ同様、なかなかの美人です。

東名御殿場JCT25日早朝 自宅を出て、横浜町田ICから久しぶりに東名高速を走る。東名は まもなく(4月14日) 新東名の大部分(御殿場~三日月)が開通するという。世の中の動きに疎い間に 第二東名の工事は進んでいたらしい。東名は 年に何度か大渋滞するが、第二東名まで作るほどの需要があるのかどうか? そういう理由であれば、東北道や中央高速も“第二”を作らなければならなくなる。
“第二”で、もっと疑問なのはリニアモーターカー。新聞は読まず、テレビのニュースはめったに見ないが、開発は中止あるいは縮小と思っていたが、ブラタモリで、鉄道総研の人が2025年に開業予定と真面目な顔で語っていたのを見て驚いた。JRには、別会社(清算事業団)に移したが国鉄時代の巨額の債務があり、その多くを国民負担で解消しようとしている。線路建設にかかる莫大な費用は借金返済にまわすべきである。福島原発の事故処理や被災者の補償賠償にも多額の税金が投入されるだろうし、昨今、老朽化した高速道路や上下水道などの社会インフラの補修をどうするかも大きな問題になっている。あれもこれもとなると、消費税を際限なく上げ続けなければならない。

しかし、一介の年金生活者が騒いだところで世の中の流れが変わるものではない。無駄な嘆きは切り上げ、我々の“小さな旅”に戻る。富士ICで東名から西富士道路へ。“西富士”といってもその長さは7㌔足らず、あとは一般道(国道52号など)を約40㌔走り、横浜の自宅から3時間30分(道の駅「とみさわ」での朝食休憩こみ)で宿坊「覚林坊」に着いた(8:05)。

東コース起点覚林坊に車を置き、東コースを身延山へ(8:30)。このコースは山頂の久遠寺奥の院への表参道なので舗装され道幅も広い。途切れることのない坂道で歩くには骨が折れる。 太田家墓所丈六堂釈尊堂丈六堂枝垂桜山内最古の堂宇・鬼子母神堂(十如坊)、日蓮宗尼僧法団本部である丈六堂(釈尊堂)を過ぎ、大光坊(大黒堂・三光堂)で小休止。
開花は遅れているが 丈六堂の脇にみごとな枝垂桜があり、ガラス越しにしか見えないが釈尊堂内は金ピカの仏様(釈迦牟尼佛というらしい)が安置されていた。丈六堂のすこし先に立派なお墓があった。太田家の墓所とある。そしてその横に『太田道灌の略歴』が刻まれた石碑。江戸城を築き歌道にも通じた太田道灌はここに(も)眠っているらしい。大光坊から身延山の山頂を仰ぎ見る。まだかなり遠い。ロープウエイの駅も見える。
廿六丁大光坊はほぼ中間点(甘六丁)で、そこから先は無舗装だが道幅は広く、間断なく登りが続く。まわりは杉の人工林、中には樹齢4,500年はあろうかと思われるみごとな巨木もある。粉雪のごとく花粉が舞い落ちる。幸い、二人とも花粉症ではない。 東照宮杉林の参道法明坊に到着。山頂までもうひとがんばりだ。法明坊はお水屋ともいい、日朗というお坊さんが日蓮聖人が身延山に登るたびに清水を捧げたことに由来する井戸(日朗上人の井戸)がある。井戸より、その先にあった「東照宮」という“山車”のような“祠”のようなモノが興味を引いた。かなり時を感じさせる。それを納めた“覆堂”は至って簡素(粗末)で、(東照宮は) 長年 風雨に晒されてきたようだ。東照宮という名前が気になりあとで調べると、側室であるお万の方が家康の供養に造立したもの(1636年、1828年再建)。やはり徳川家康に関係があるものだった。

思親閣法明坊から30分、下から2時間で参道終点(10:30)。展望台(東側展望台)がある。天子山塊の後ろに上半分ほど見える富士は雲を被っていた。日蓮聖人のお手植えという4本の杉を見、奥の院思親閣境内を抜け、もちろんお参りはして、北側展望台へ。 身延山頂展望~奥秩父山系北側展望台に身延山山頂を示す標柱が立っていた。いちばん楽しみにしていた南アルプス3000mの峰々は雲の中。
パネルによれば、前衛の山々の上に白峰三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)や塩見岳はむろん、荒川三山(悪沢岳など)の山頂部分が見えるらしい。北の金峰山、わずかに頂きが白い、をはじめとする奥秩父山系は見えた。その山座同定はこちら
七面山境内のベンチで軽い昼食を済ませ展望台に戻ったが、やはり雲は晴れず、諦めて七面山展望台次いで東側展望台(ロープウエイ奥の院駅隣り)に行く。
春木川を隔てて身延山の真西に対峙する七面山は標高1982m、身延山より800mも高い。西コースの途中で七面山への分岐があるが、ここから下って登るのはたいへんだろう。 富士山と天子山塊富士山
富士山は頂きを覆っていた雲はおおかたとれていた。西側から富士を見る機会はめったにない。東から見る白富士はのっぺらぼうだが、西からは、大沢崩れの荒々しい山肌がアルプス的景観を見せ印象的だ。富士と天子山塊の山座同定はこちら
西コース(裏参道)は次の機会に歩くことにして、来た道(東コース)を久遠寺に下る。
久遠寺大鐘楼久遠寺五重塔久遠寺枝垂桜久遠寺境内で目を引くのは五重塔、鐘楼と枝垂桜。国内で二番目に高い(38.2m)五重塔は平成の再建だが、創建当時(元和五年、1619年)の姿を復元したという。 久遠寺三門石段塔としては珍しく深紅に塗られている。鐘楼は二段の垂木をもつ大きな造りで、天井の組木や柱頭の彫り物も凝っている。枝垂桜は咲けばさぞみごとと思われる大木が数本。通りや広場にはボンボリが並び、門前町はあとは開花を待つばかりといった感じだ。287段の石段(菩提梯)を三門に降りる。この三門がまた立派。日本三大三門のひとつらしいが、それも道理だ。

ところで『久遠寺』とは響きも語感もいい名前だ。調べてみると、それは日蓮宗の本尊、法華経の「久遠実成(くおんじつじょう)」の釈尊(お釈迦さま)に由来する。「久遠実成」とは法華経の教えにおいて、釈迦は35歳で悟りを開いたのではなく永遠の過去から仏(悟りを開いた者)となって輪廻転生してきているという考え方。この久遠実成は法華経・如来寿量品にしか説かれていないそうだ。



26日、朝から青空が広がっている。この分なら南アルプスが見えるだろう。朝勤“(ちょうごん”と読む。文字通り 朝のお勤め)に参列、早朝の1時間(6時~7時)、久しぶりに心身引き締まる思いがした。宿坊に帰って朝食のあと、始発(8:40)のロープウエイで身延山へ。
①南アルプス展望②白峰三山と塩見岳③塩見岳と荒川岳④鳳凰三山⑤天子山塊と富士川
身延山は1153mの低山ながら、東に富士山(3776m)、西に日本第二位の北岳(3193m)、四位の間ノ岳(3189m)、六位の悪沢岳(3141m)を展望できる有難い山。荒川中岳(3083m、13位)、塩見岳(3052m、15位)、農鳥岳(3051m、16位)、わずかだが赤岳(八ヶ岳連峰、2889m)、観音岳(鳳凰三山、2840m)、薬師岳(同、2780m)、上河内岳(南アルプス南部、2803m)も見える。
写真左から、①南アルプス全貌、その山座同定はこちら。②北岳は残念ながら雲の中で見えないが、白峰三山と塩見岳、その山座同定はこちら。③塩見岳と荒川岳、その山座同定はこちら。④鳳凰三山、その山座同定はこちら。⑤富士山から南へ続く天子山塊と富士川。

富士山ロープウエイ(9:20)で下山。国道52号から国道1号。道の駅「富士川楽座」に寄って、富士の“山”と“川”を見る。数年ぶりに箱根を越え、小田原へ。目的は甘味処『岡西』でオハギを買うことと、千度小路(船頭小路とも?)を歩くこと。小田原にはしばしば来るが千度小路は知らなかった。やはり 一柳アナが旅人で、小さな旅『潮香りて千度小路~神奈川県小田原市~』で紹介されたところである。 マップ
漁業の中心は早川に移ってしまったが、鈴廣本店など老舗の水産物店が点々と残っている。岡西(千度小路ではない)は臨時?休業で目的を果たせなかったが、削り節(籠常)と干物(早瀬幸八商店)を買い、伊勢屋の和菓子を持って小田原宿なりわい交流館(無料休憩所、湯茶のサービスがある)で一休み後、横浜に帰った。
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マップ啓蟄を過ぎて(今年は3月5日だったとか)、ようやく寒さも薄らいできた21日、南房総・伊予ヶ岳に出かけました。もっとも 目的は房総の旨い魚を食べることで、山はそのための“事前行動”です。
首都高湾岸線から十数年ぶりのアクアラインを走り(通行料800円、森田健作の最大の?業績)、富津館山道路を延々と南下、鋸南富山ICから県道89号(鴨川富山線)を東進。富津館山道路の風景は実に殺風景でした。
登山口(平群天神社)梅園と伊予ヶ岳信号「平久里中」を左折、続いてすぐ左の鳥居を潜り平群天神社敷地内の登山者専用駐車場へ。菅原道真を祀る天神社に学問の習得ならぬ登山の安全を祈願して出発(8:10)。樹齢千年ともいわれる2本並んだ巨大なクスノキを仰ぎ、思いがけなく白梅を愛でる。その梅林越しに、“房総のマッターホルン”あるいは”房総の妙義”の異名を持つ伊予ヶ岳が岩峰を見せている。
登山道3(展望所)登山道2(富山伊予ヶ岳分岐)登山道1畠道から竹林を抜け、雑木林の道を進む。よく整備され指導標も完備、傾斜は緩やか。道端にはマムシソウが列を成して首をもたげている。富山への分岐点を過ぎ、一登りすると東屋がある展望所(8:45-8:46)。『ハイキングコースはここまでです。この先大変危険ですので注意してください。』登山道4(ロープ場・クサリ場)と、やや意味不明な看板が立っている。展望所から道の様子は一変、山頂まで急斜面の岩場が続いた。看板の意味するところは『ハイキングコースらしい道はここまでです。この先ロープとクサリ場が連続するやや危険な道となります。じゅうぶん注意してください』であった。
伊予ヶ岳(南峰)山頂南峰からの展望3,400㍍の岩場を這うようによじ登り、伊予ヶ岳(南峰)山頂に上がる(9:10)。標高336.6m。東京湾、三浦半島、相模湾を隔てて白い富士が霞む、目を凝らせば南アルプスも。それにしても千葉に“伊予”ヶ岳とは?、何か『いわれ』がありそうである・・・
阿波斎部(あわのいんべ)という人が、だいぶんスケールは違うが、ふるさと四国の石鎚山を偲んで付けたらしい。石鎚山は四国のみならず西日本の最高峰、「伊予の大岳」ともいう。では阿波斎部とは誰か? 阿波斎部は、古代、天富命(あめのみこと)とともに四国阿波から移住した人で、阿波斎部が居住したところを阿波から分かれたということで「安房(あわ)郡」と名付けた。麻を栽培したが、麻の古語は「総(ふさ)」というそうで、「房総」はその“総”と安房の“房”との組み合わせというわけである。古事はなかなかおもしろい。
北峰から南峰北峰からの展望(富士山)北峰からの展望(富山)伊予ヶ岳(北峰)山頂北峰へ。北峰には三角点があった。展望は南峰とほぼ同じだが、南峰のときより雲が晴れてきて大島が見える。富山(とみさん)は伊予ヶ岳、御殿山とともに富山(とみやま)三名山の一つ。往復2時間の伊予ヶ岳だけでは物足りない人は富山と伊予ヶ岳をセットで登るらしいが、途中の分岐点からではかなりの距離であろう。鋭い山容の南峰を撮影して南峰に戻る。
マムシソウ県道から伊予ヶ岳時間とともに展望がよくなる可能性は高かったがすぐ下山(9:40)。私たちより先に南峰に着き、ガスコンロで煮炊きするなどくつろいでたご夫婦は、これから北峰に向かうところだった。ストックもカメラもしまいこんで岩場を下りていると、下から賑やかな声が聞こえてくる。あとちょっとで展望所というところで中高年パーティと出くわした。調布から来たという20名の団体である。道端に退がって彼らを通り過ぎるのを待つ。

食事処「ばんや」道の駅から富士山天神社に戻り、県道89号から海岸線(国道127号)を北上。富士山が海の上にそのほぼ全容を見せている。道の駅「きょなん(鋸南)」から富士を撮り、本日のメーンイベント保田漁港の食事処「ばんや」へ。「ばんや」は食事時ということもあったが、平日にもかかわらず大盛況だった。海ほたるからメニューはメジナの煮付け、ヒラメの刺身とイワシの唐揚げ(ゴボウ揚げ)。値段は手ごろ、料理は早く、係りの動きもテキパキ、久しぶりに旨い魚を食べた。
帰路、アクアラインの「海ほたる」に立ち寄り、周囲のウォーターフロント、羽田に離着陸する飛行機―多くは着陸する飛行機だが―を撮る。
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