上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
28日 福岡から熊本に移動、30日 山鹿の町を観光した。熊本(市内)には永いこと住んだが、山鹿は初めて。もっとも、天草・八代・人吉も行ったことがない。
八千代座、向かいの資料館から八千代座外観まず、かの板東玉三郎も公演した歌舞伎小屋八千代座(国指定重要文化財)へ行く。見学の受付は向かいの資料館「夢小蔵」。 八千代座木戸口八千代座、待合から舞台と客席これがまた 文化財クラスの建物。明治20年築、八千代座は明治43年。日曜日ということもあるのだろう、朝から見学客がひきもきらず、2,30人ほど集まると、資料館見学を中断して八千代座へ・・・
下手奥から舞台、花道、床暖の枡席ガイドさんの巧みな説明に聞き入るスペーサー見学は、舞台、奈落(廻り舞台の仕掛け)、花道の上と下、2階...と劇場内を微に入り細に入り。 2階から上手側、提灯は“八千代”花道に上がって熱演のガイドさん舞台から客席スペーサーそれに、ガイドのおばさんがなかなかの役者で、身振り・手振りを加えた説明は要領・歯切れともよく、嫌味がなかった。
劇場内部は見通しの良い落ち着いた空間。柱が少ないのは“トラス構造”という洋式建築工法になっているからだそうだ。色彩豊かな天井広告画が美しい。庶民的な雰囲気を醸し出し、身近な存在を感じさせる。但し、現在でも営業を続けているのは8軒だけだそうだ。 シャンデリアはガス灯・真鍮製、高岡市の製作天井広告画とシャンデリア、8軒は今も営業中スペーサー
全体に質素な装飾の中で“シャンデリア”が際立つが、違和感がまったくない。光源は電気ではなくガスというから驚き。鋳物で有名な高岡市(富山)に製作を依頼したという。設計者(木村亀太郎という人)のセンスの良さとこだわりがうかがえる。
枡席のタタミは縁なしで床暖房だそうだ。東側の上手桟敷と花道の位置関係、花道の途中にあるスッポンなど、歌舞伎に疎い私にとって、勉強にもなった八千代座見学だった。

山鹿灯籠民芸館スペーサー民芸館内、薬師寺民芸館内を2階から鳥瞰スペーサー八千代座から山鹿灯籠民芸館へ。民芸館の建物は旧安田銀行山鹿支店。山鹿は小都市だが、大銀行が支店を構えるほどの経済力があったわけだ。館内に入る。 同古式台灯スペーサー同金灯籠2民芸館内、金灯籠1スペーサー壁面いっぱいに飾られた金灯籠と、とりわけ 陳列された神社仏閣(薬師寺や熊本城など)がみごと。
山鹿灯籠の始まりは、遠い昔、巡幸中だった景行天皇一行が行く手を霧にはばまれ立ち往生したおり、里人が松明(たいまつ)を掲げて迎えた伝説に由来するといわれる。その後、人々は 毎年 大宮神社に松明を奉納するようになり、室町時代には、その松明が紙製の金灯籠に姿を変えたのだいう。また、山鹿灯籠は木や金具をいっさい使わず、和紙と少量の糊だけで作られる。現在は城造りや神殿造り、座敷造りなどへと多様化している。
頭上に金灯籠を乗せた浴衣姿の女性たち(みんな独身の女性です、とボランティアのおじさんが嬉しそうに強調していた)が繰り広げる『千人灯籠踊り』。優雅・陶然・幻想・ノスタルジー・・・、越中八尾『風の盆』と並ぶ夏の風物詩だろう。一度、実際に見てみたいものだ。

昼はピザの店「蔓薔薇」のランチ。人気店だけあって だいぶん 待たされたが、味・値段・ボリューム(横浜の1.5倍はある!とも申し分なし。かなりの客が(食べきれず)持ち帰っていたが、私たちは完食。

和菓子と土産物「梅や」山鹿灯籠製作工房「なかしま」スペーサー食後、旧道(豊前街道)沿いの土蔵造りの現役商店を見、山鹿灯籠に縁が深いというので、円が腹ごなしも兼ねて大山神社まで足を延ばす。大宮神社は景行天皇を祀り、室町時代から続く「上がり灯籠」(毎年8月16日の深夜に金灯籠を神社に奉納する)の行事がある。
山鹿温泉「さくら湯」スペーサー繁華街に戻って山鹿温泉「さくら湯」に入る。温泉セットの持ち合わせがなく“烏の行水”ていど。元は細川藩主の御茶屋だったとか。重厚な外観、浴室・浴槽も明るく、気持よい温泉だった。 菊池川惣門跡千代の園酒造スペーサーさくら湯を出て豊前街道を南へ歩くと、千代の園酒造、惣門を経て、菊池川の川べりに至る。
江戸時代、この地域は回船問屋や米問屋、酒蔵などが軒を連ね大変賑わっていたそうだ。千代の園は現在では山鹿でただ一つの酒造元。惣門は治安維持のためにつくられたもので、火の番屋が置かれ、夜間(午後6時~午前6時)は門を閉めたという。
平山温泉「蔵ノ湯」相良寺と千手観音山鹿温泉から車で平山温泉へ。ここは行ってみただけ。途中にあったはずのチブサン古墳・オブサン古墳は見つけることができず。それから山鹿に戻って、番所地区と相良寺(相良観音)へ。 虹3虹2虹1スペーサー番所地区は“棚田”が、相良寺は千手観音がお目当てだったが、棚田は(車からなので)それらしきものを、千手観音は(閉じられたガラス戸越しに)覗けただけだった。
大津町のホテルへの帰路、梅雨空に大きく弧を描いた虹を見る。車の進路によっては、虹の一方が道路から立ち上がるようで、なかなかの見物だった。
スポンサーサイト
門司港駅構内門司駅から門司港駅へ福岡滞在中、1日空いたので門司港レトロに行き、ついでに関門トンネル(人道)を往復した。 門司港駅駅舎(修復工事中)スペーサー
門司まで車、門司から門司港まで電車に乗る。門司港レトロのシンボル、JR門司港駅舎(国の重要文化財)は、昨年9月から保存修理工事中。平成30年3月終了予定という大規模工事である。 門司港レトロハイマートと旧門司税関スペーサー
門司港レトロは3年半ぶり二度目。前回は昇らなかった門司港レトロ展望室(31F)に昇る。門司港レトロハイマートは黒川紀章の設計で、展望室の下は分譲マンション、屋上の奇抜な構築物は消防用水槽とヘリポート。 門司港レトロ展望室から①関門橋同②関門海峡同③門司港駅と関門連絡船乗場同④門司港ホテルと旧門司税関
写真…
①関門橋。②関門海峡を挟んで下関側。③関門海峡を挟んで門司港側。④真下の門司港ホテルと旧門司税関。
しおかぜの路4、関門橋しおかぜの路3、関門橋スペーサーしおかぜの路2しおかぜの路1 名物“焼きカレー”を食べて、約1㌔半のしおかぜの路を関門トンネル人道入口へ。関門トンネルは上が車道と下が人道の二層構造になっている(高速道路は関門橋)。
関門トンネル人道2、福岡・山口県境関門トンネル人道1、下関側へスペーサー関門トンネル人道へ下りる関門トンネル人道口(門司側)トンネル入口ビルからエレベーターで地下へ降りる。5,60mの深さ。通行料は歩行者は無料。 みもすそ川公園、源義経・平知盛像と関門橋スペーサー自転車、50ccバイクは20円。バイクはもちろん、自転車も押して歩かなければならない。トンネル部は780㍍。歩くにはほどよい長さである。福岡・山口の県境を跨ぎ、下関側の地上に出る。目の前はみもすそ川公園(壇ノ浦)というところで、源義経像と平知盛像が対決していた。
関門トンネル人道口(下関側)関門トンネル人道へ下りる関門トンネル人道3、門司側へ関門トンネル人道4、門司側へ関門トンネル人道5、福岡・山口県境スペーサー本州に数分いて、九州に戻る。 関門トンネル人道7、門司側に到着関門トンネル人道6、門司側へスペーサー



関門トンネル歩きの感想はちょっと変わった体験をしたという程度である。

週末ならば、北九州銀行レトロラインが動いているが、今日は水曜日、しおかぜの路を 再び 歩いて、途中 早い潮の流れ(瀬戸内海側へ)を見て門司港レトロの中心地に戻ると、跳ね橋ブルーウィングもじの開閉が始まったところであった。日に数回行うらしいが、単なるデモンストレーションであった。片や ワイヤーロープ捲き上げ式、片や 油圧押上げ式で、開閉に30分ほど要した。 ブルーウィングの開閉デモンストレーション1ブルーウィングの開閉デモンストレーション2ブルーウィングの開閉デモンストレーション3ブルーウィングの開閉デモンストレーション4ブルーウィングの開閉デモンストレーション5ブルーウィングの開閉デモンストレーション6ブルーウィングの開閉デモンストレーション7スペーサーブルーウィングの開閉デモンストレーション8ブルーウィングの開閉デモンストレーション9
旧門司三井倶楽部1旧門司三井倶楽部2その後、旧門司三井倶楽部(大正11年に三井物産が接客・宿泊施設として建築、アインシュタイン夫妻も宿泊したとか)旧大阪商船旧門司税関旧門司税関(明治45年建築、昭和初期まで税関として使用)、旧大阪商船三井船舶門司支店(大正6年建築、八角形の塔屋と鮮やかなオレンジの外壁が美しい)などを見て、門司港から門司へ。 門司港駅から門司駅へスペーサー
夕食は門司駅に近い、国道3号線沿いの回転寿司京寿司。店に入ると、たくさんの客が順番待ちで、どうなることやらと心配したが、1時間ほどで席(カウンター)に座ることができた。お寿司は、食したことはないが銀座高級店並みの美味しさ。たらふく食べて妻が会計を済ませていると(銀座高級店のおそらく五分の1!?、隣りで待っていた子供連れがようやく中に入ってきた。座った席は“新幹線”だった。
6月下旬から7月上旬、所用で福岡・熊本に帰省したおり、英彦山に登った。英彦山(ひこさん、福岡・大分県境)は弥彦山(やひこさん、新潟県)、雪彦山(せっぴこさん、兵庫県)とともに日本三彦山の一つ、また、日本三大修験の山でもあるそうだ。他は山形県の羽黒山、奈良県の大峰山。これで、雪彦山を除き すべて 登ったことになる。
九州道を小倉東ICで下り(吉志PAに前泊)、“英彦山”を目指す。ある程度、情報を仕入れていた妻によれば、別所という駐車場があるらしい。コンビニと道の駅(勧遊館ひこさん)に寄って、11、駐車場に到着。 登山口はどこ? おりよく、登山スタイルの“じもぴぃ”らしき中年女性二人連れがいる。尋ねると、石段の参道と山道の間道があるが、山道がお勧めという。付いて行くことにする。入口には表示も何もないので“初心者”には分からない。道は簡易舗装の荒廃した林道という感じだった。

登山1スペーサー九重に登るつもりでいたので足まわりの用意はあったが、地図は持っていない。旅行中の運動不足を補うためのウォーキング、山道らしくなった道をスローペースで歩く。奉幣殿の脇を通り過ぎる。奉幣殿からは急な登りとなった。二人連れは私たちよりもゆっくりペースで、後方に見えなくなった。 登山2スペーサー
台風4号は温帯低気圧となって去ったが、梅雨前線が居座り、雲が低く垂れこめた空模様。時おり 雨粒が落ちてくる。下山して来る人に聞くと、オオヤマレンゲはもう残っていなかったという。展望はもとより花も期待できそうになく、前進意欲が萎えてくる。ソロソロ“Iターン”と思い始めたとき、「英彦山山頂まで0.9㌔」の標識を見る(奉幣殿からは1.3㌔)。時刻は“まだ”1220。高低差は分からないが、2前には山頂に着けるだろう。前進三要素の残る一つ、『山頂制覇』の可能性が高まり 俄然 ギアが入る。 山頂3山頂2、英彦山神宮上宮山頂1登山3
鳥居も朽ちた神社跡?(行者堂?)を過ぎ、標識があった所から高度差は大したことがなく、1前、山頂に着く(12:55)。立派な英彦山神宮上宮が立ち、[英彦山中岳]の標識があった。標高は「11XX」、下2桁は朽ちて読めない。そこからちょっと下りたところに小広場があり、かなりの登山客が昼食・休憩中で、ベンチは空きなし。私たちは立派な標柱[英彦山山頂]、標柱に書かれた標高は1200m!! 、のそばの石をベンチで昼食休憩する。

さて、1時間ほどノンビリして、(地図がないので)来た道を戻りかけると(英彦山には北、中、南の3つの峰があり周回できる)、今日は(出発が)遅いので上までは行かないかも…と言っていた二人連れが、(降り出した雨を避けて)休憩舎にいた。『途中、オオヤマレンゲがありましたが、見ましたか?』と言う。『いいえ』と答えると、『見過ごしやすいところにあったので、いっしょに行きましょう』・・・ “もう一組”も加わり、その場所を 親切にも 案内してくれることになった。“もう一組”とは彼女らが休憩中に知り合ったらしい、花に詳しい中高年男性の二人連れである。
ヒコサンヒメシャラ1ヒコサンヒメシャラ2ヒコサンヒメシャラ3ヒコサンヒメシャラ4その花に詳しい人が教えてくれたヒコサンヒメシャラ。石のベンチで休憩中、何を見ているのだろうと思っていたが、多くの登山者が見上げていた木だった。ヒメシャラ(姫沙羅)の花は初めて。彼の話では、ヒコサンヒメシャラは阿蘇根子岳に多く、英彦山では(持ち帰りが多く)数が減っているそうだ。これは『根子岳の登山者がマナーが良く、英彦山の登山者がマナーが悪い』ということではなく、登山者の数の違いによるのだろう(根子岳は険しい)。また 図鑑によれば、ヒコサンヒメシャラは珍しい木(花)ではなく、西日本に広く分布しているようだ。
オオヤマレンゲ4オオヤマレンゲ3オオヤマレンゲ2オオヤマレンゲ1花が残っていたオオヤマレンゲの木は、行者堂?手前、中岳から下りてきて、に2本。1つは登山道をかなり離れたところにあって、この時期、英彦山によく登る人でなければ、見つけるのは至難だろう。彼女らも(見つかったのは)その下で写真を撮っている人がいたから、という。もう1つは登山道わき。これも、生い茂った葉の中に咲いているので、“上”も“下”も、よほど注意して歩かないと気づかない。まず、木を見てオオヤマレンゲと分からなければならない。花は『森の貴婦人』と譬えられるだけあって(花に詳しい人の話)、純白の気品高い花である。

下山2下山1ひとしきり『森の貴婦人』を撮影し(女二人連れは先発し、男二人は後発)、登路はパスした英彦山神宮奉幣殿に参拝(15:15-15:40)。大きな屋根、シンプルな造り、朱の少ない彩色など、落ち着きのある、威風堂々とした建物である。 英彦山神宮奉幣殿1英彦山神宮奉幣殿2スペーサー英彦山神宮参道1 英彦山神宮参道2スペーサー天平十二(740)年建立、江戸時代初めの元和二(1616)年再建の、国指定重要文化財。奉幣殿から長い石段を下り、石段の途中からショートカットして、駐車場に戻る。長いショートカットで(石段を銅の鳥居まで下り切るともっと長い)、出発前、“じもぴぃ”に会ってよかった。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。