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福岡・熊本帰省の終わり、(楽しい用事ではないので 気晴らしに)、曇りときどき雨あるいは雨ときどき曇りという予報ではあったが、予定通り 『九重』に行くことにした(7月2・3日)。

7月2日…久住山(牧の戸⇔久住分れ)と九重“夢”吊大橋
やまなみハイウェイR57から阿蘇山ホテル(料金重視で大津町のホテル)をチェックアウトし(8:00)、57号線を阿蘇方面へ、宮地駅前で左折する。阿蘇五岳には低く雲がかかっていたが、どうにか山並みを見ることができた。カルデラを一直線に突っ切り、外輪山の縁をヘヤピンカーブで上がると「やまなみハイウェイ」。緩やかに起伏する丘陵、海抜は800m前後、美しい緑の大草原がどこまでも続く。日本では、おそらくここでしか見られない風景だろう。一帯は牧場地だが、牛馬の姿はまだない。
牧の戸登山口スペーサー道は 再び ヘヤピンカーブの坂となって、牧の戸峠に着く(9:20、標高は1330m)。大きなレストハウスと広い駐車場がある。今にも雨になりそうな空模様。車はまばら。学生のころ、久住には幾度か登ったことがある。おそらくここからも登ったことがあるはずだが、記憶はまったくない。身支度を整えて出発(9:40)。久住山まで4.8㌔、高度差450mである。 牧の戸レストハウス沓掛山
コンクリートで固められた簡易舗装の坂道を登る。開けた緩斜面の台地に東屋が建っていた。牧の戸レストハウスが見える。ここらあたりまでは観光客が上がってくるのだろう。 久住分れへ3久住分れへ2久住分れへ1スペーサー簡易舗装が途切れ、定かでない沓掛山のピーク(1503m)を過ぎると、平坦な尾根道となった。道は雨風と登山者にかなり浸食されている。強い南風が絶え間なくガスを運んできて、見えるはずの九重連山は深い霧の中だが、幸い 雨は落ちてこない。

久住分れへ5久住分かれへ4、扇ヶ鼻分岐赤川登山口(南側、牧の戸登山口は西側)からの登山道を合流し(扇ヶ鼻分岐)、星生山(ほっしょうさん)への道を分け、緩やかな登りを登ると久住分れ(11:38、1650m)。 久住分れ久住分れ避難小屋高度が上がったせいでもあろう、ガスはいちだんと濃くなり、避難小屋が霞む。数十㍍先を行く妻の姿も定かでない。ほどなく本降りの雨となった。避難小屋に逃げ込み、装備を固め、腹ごしらえもする。ありがたきは「避難小屋」である。 ミヤマキリシマスペーサー沓掛山2沓掛山1スペーサー山頂(1757m)まであと30分ほどの行程だが、しかし、雨足は弱まりそうにない。登頂を断念し、下山する(12:30~13:40)。
※写真は咲き残りのミヤキリシマ。写真はすべてクリックで拡大できます。

九重“夢”大吊橋2九重“夢”大吊橋1スペーサー今宵の宿は、牧の戸温泉「九重観光ホテル」。チェックインには早いので、九重観光の新しい目玉『九重“夢”吊大橋』を見物する(歩く)ことにした(平成1810完成)。この吊橋、対岸に民家1軒あるわけでなし、百㌫観光目的で作られたもの。 震動の滝・女滝と男滝男滝女滝女滝と子滝スペーサー10分ほどのところに白鳥神社という神社があるが・・・ 長さ390m、高さ173mは日本一という。その代わり、総工費はナント192200。通行料は500だから、工費だけでも3844人が歩かなければ“元”が取れない勘定になる。 九重“夢”大吊橋5九重“夢”大吊橋4九重“夢”大吊橋3スペーサー
橋は鳴子川(筑後川の支流の支流)沿いの九酔渓という渓谷に架かっている。上流側にある男滝、女滝はなかなか見ごたえがある。女滝の横に子滝というのもあるが、判然としなかった。3つ合わせて「震動の滝」といい、『日本の滝百選』に入っている。 アクロバット的工事!1アクロバット的工事!2スペーサー
目を奪われたのは、大きく土砂崩れした ほとんど垂直の斜面、昨年の集中豪雨の爪痕であろう、に張り付くようにして作業していたショベルカー。何本かのワイヤを張って固定し、ショベルをふって大きな石を川へ落としたり、斜面を削ったりしている。コンクリートで固めるために“整地”しているのだろう。ハラハラドキドキの光景だった。 長者原ビジターセンタースペーサー
大吊橋から宿に向かう途中、長者原ビジターセンターに立ち寄る。
明日はここから、九州アルピニストのメッカ「坊ツル」に行く予定。 『一、人みな花に酔うときも 残雪恋し山に入り 涙を流す山男 雪解(ゆきげ)の水に春を知る ニ、ミヤマキリシマ咲き誇り 山くれないに大船(たいせん)の 峰を仰ぎて山男 花の情(なさけ)を知る者ぞ 三、四面山なる坊がつる ・・・ (坊がつる讃歌)』の坊ツルである。


7月3日…長者原⇔坊ツル・法華院温泉山荘
タデ原湿原筑後川源流の碑朝から無情の雨。しかし、坊ツルに行きたいという熱情を消し去るほどではない。長者原ビジターセンター(長者原登山口)から出発し(9:05)、タデ原湿原を横切ると森林帯。湿原入口に九州一の大河『筑後川源流の碑』が立っていた。 坊ガツルへ1坊ガツルへ2、ブナ坊ガツルへ3スペーサー雨ヶ池越まで4㌔、300mの上りである。さらに坊ツルは1.8㌔(長者原登山口1050m、雨ヶ池1350m、坊ツル1220m)。木々の葉が傘となって雨を防いでくれる。ブナの木が1本あった。九重にブナ 、おそらく ブナの南限ではなかろうか?  坊ガツルへ5、雨ヶ池越坊ガツルへ4すこし急な上りのあと木道が現れると、視界が開け、雨ヶ池(10:53)。一帯は窪地になっていて、雨が降ると池ができるのだそうだ。キスゲが一輪と、ノハナショウブはここかしこで雨に萎れていた。私たちも雨に濡れながら坊ツルを目指す。 坊ガツルへ6、坊ガツル俯瞰坊ガツルへ7
再び樹林帯に入る。ほどなく坊ツルを一望できるところがあった。ベンチが一つ。大船山(たいせんざん)と平冶岳(ひいじだけ)の中腹から上は分厚い雲の中。ここで、“立食”のお昼とする(宿はお弁当付き九重登山プラン)
坊ガツル1坊ガツル2そこから、意外と長い道のりがあってツルに降りる(11:45)。ミヤマキリシマの季節は終わり、本格的な夏山シーズンの幕開けを待つ坊ツルに登山客の姿はなかった。 法華院温泉山荘1追憶の一葉(法華院温泉)
半世紀近くも前、ポンチョという雨具に(当時 セパレートタイプのレインウェアなどなかった あったとしても学生の身ではとても買えない)、夕立を凌ぎながら久住山から坊ガツルに下り、かなりぬるめの湯だったが 法華院温泉でホッと一息ついたことを思い出す。。翌日(宿はテント)、大船山に登ったが、登山道で牛に道をふさがれ往生したっけ。そんな遠い、断片的な記憶をたどるうち法華院温泉山荘に着いた。 ※追憶の一葉は1968年当時の法華院温泉。中央が私。坊ガツルには、学生時代、季節を変えコースを変え、2,3度 行った。

法華院温泉山荘2スペーサー山荘に人気(ひとけ)はなく、静寂そのもの。立派な休憩舎(無料?)に雨宿りする。福岡から来たという先客(体格の良い若者二人)がいた。 坊ガツル3スペーサー
かつて、ここは天台の霊場であり九重山法華院白水寺といった。本坊を弘蔵坊という。「坊がつる」の由来は、この本坊弘蔵坊のある“つる”だからといわれている。“ツル”は水流のある平坦地をさす。 坊ガツル4スペーサー
スガモリ越をして長者原に戻るという若者に遅れること数分で、私たちも法華院をあとにする(12:50)。木々の葉の間から雨が降り注ぐ。雨ヶ池を過ぎると(13:50)、雷も鳴り出した。近くて0.5秒、遠くて数秒。樹林帯の中なので、よもや我が身に落ちることはあるまいと思うが、 花1花2ピカッと光るたびに身が縮む思い。金属製のストックを投げ出したくなる。加えて気がかりになったのは往路にあった徒渉箇所の増水。しかし 水量はほとんど増えておらず、 大驟雨の中 無事 長者原に帰りついた(14:55)。終わってみれば、楽しい「坊がつるウォーキング」であった。

7月3日・4日、長者原や牧の戸周辺の旅館・ホテルは、“合宿”とかで軒並み満室で、宿は横浜とは反対方向の南麓の「国民宿舎久住高原荘」。“国民宿舎”というが、なかなかいい宿だった。濡れた装備・衣類を“ボイラー室”で乾かせたし、夕食は豊後牛(赤身と霜降り)・豊前豚(ロース)のステーキ、ヤマメなどなど。久しぶりに“ビーフ”を味わった。
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