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2013.11.28 平泉・中尊寺
旅行会社のパックを利用して平泉中尊寺に行った。230,600のパックに含まれるものは東京⇔仙台の新幹線往復(座席指定)とホテル1泊(モンテエルマーナ仙台)。仙台着271645、仙台発281945で、その間の行動は自由である。
御朱印帳2御朱印帳1スペーサー『何故、中尊寺?』・・・妻は 昨年 瑠璃光寺を訪れたときから“御朱印”を始めているが、華鬘(花輪)をあしらった中尊寺金色堂の御朱印帳(カバー付き、カバーには金色堂の外観があしらわれている)がたいへん気に入ったこと。御朱印も見開き2頁に亘り珍しい。
長距離列車は昨年の常念岳登山以来(八王子~松本/豊科)、新幹線に乗ったのはいつだったか?覚えていない。少なくとも今世紀ではない。東北新幹線ホームに上がると、長い“鼻”を突き合わせた最新鋭車両が停まっている。「はやて」と「こまち」?、秋田新幹線や山形新幹線は東北新幹線の間は連結して走るらしい。童心にかえってシャッターを切りまくる。じき、私たちが乗る「やまびこ211号」が入線してきた。やはりカッコいい新鋭車両、E2系?だった。
新幹線から吾妻連峰新幹線から安達太良山新幹線から高原山と那須連峰新幹線から日光連山スペーサー指定席車両はガラガラ。日光連山、那須連峰、安達太良山、吾妻連峰と車窓に次から次へと展開する山なみに、退屈する間もなく列車は仙台駅に到着した。

東北道車窓2スペーサー東北道車窓1、虹東日本急行バス仙台駅前バス停28、仙台駅前9発東日本急行バスで中尊寺へ。すぐ東北道に入る(仙台宮城インター)。マイカーでは幾度となく走った東北道だが、目線が高いハイデッカー車から見る風景は新鮮。広い空は清々しく、刈取られたあとの田んぼも美しい。雨が降ったのだろうか?長者原サービスエリア付近では虹を見た。
中尊寺境内図一関インターから30ほど、1040、中尊寺に到着。帰りは1510発、毛越寺もまわれないことはないが、まずはゆっくりのんびり、中尊寺を鑑賞することとする。 中尊寺入口スペーサー月見坂1月見坂2、総門跡スペーサー東物見スペーサー
月見坂(表参道)を上がる。道の両側に中小の御堂(子院)が並ぶ。八幡堂、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂・・・。弁慶堂のあと、東物見(台)から『夏草や 兵どもが 夢の跡』(衣川)を見下ろす。
弁慶堂1弁慶堂2スペーサー弁慶堂(愛宕堂):本尊は愛宕地蔵尊(勝軍地蔵)。文政九年(1826)の再建。御本尊の傍らに義経と弁慶の木像が安置されているが、弁慶像は、文治五年(1189)四月、高館落城とともに主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿である。・・・由来から
屋根下の(梁や蟇股の)彫りがなかなか見応えがあった。
薬師堂スペーサー薬師堂:縁起抜粋…薬師堂は藤原清衡が中尊寺境内に堂塔40余字建立の一字。旧跡は他の所にあったが、明暦三年(1657)に現在地に建立された。堂内には慈覚大師作と伝えられる薬師如来と、脇仏として日光菩薩、月光菩薩が安置されている。また薬師如来の分身または化身とも言われる十二神将が併置されている。薬師信仰は東北地方に平安の昔から中尊寺を中心に盛んに行われた。とくに眼病の人々には盲僧信仰として広く信仰されたのがこの薬師如来であり、この御堂であった。

中尊寺本堂スペーサー山門をくぐって本堂にお参りし、瑠璃光寺で求めた御朱印帳に御朱印を頂く。
説明板より…名前のとおり中尊寺の山内十七ヶ院を包括する中心道場。建武四年(1337)の火災により本堂ほか多くの堂宇が焼失したが、伊達藩の庇護によって多くが再建された。現在の本堂は明治42年の再建。「中尊寺建立供養奉願文」に記され、歴史の中(廃仏毀釈のこと?)で失われた丈六(485㌢)の釈迦如来を、平成25年、再び本尊として造顕した。壇の両脇には、総本山比叡山延暦寺より分灯された「不滅の法灯」が護持されている。

再び子院めぐり。観音堂、峯薬師堂、不動堂、鐘楼、大日堂、阿弥陀堂、・・・弁財天堂、釈迦堂、西谷坊(神楽殿)を経て境内最奥の白山神社(能楽殿)へ。阿弥陀堂と弁財天堂の間は、拝観料が必要な金色堂・経蔵・旧覆堂・讃衡蔵と、食事&休憩のかんざん亭である。
峯薬師堂1スペーサー峯薬師堂:説明板より…もと経塚山(金色堂の南方)の下にあったが、天正年間(1573-1591)に荒廃、のち元禄二年(1689)現在の地に再建。 峯薬師堂2スペーサー本尊は藤原末期の作。丈六(2.7㍍)の薬師如来坐像でカツラ材の寄木造り・漆塗りに金箔をおいたもの(重要文化財)。讃衡蔵に安置されている。現在の御堂は昭和57年の改築。本尊も薬師如来を中心とした日光菩薩、月光菩薩の三尊で、昭和63年、仏師松尾秀麻師の作。
上がり框に“眼のお守り”が置いてあった。また前の池にはモリアオガエルが生息するらしい。
中尊寺鐘楼スペーサー梵鐘は、説明板によると、康永二年(1343)に金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘。撞座は長い歳月にわたる打鐘で窪み、現在この鐘が撞かれることはない。鐘身の銘文には建武四年(1337)山上に堂塔が火災により焼失したと記し、奥州藤原氏以後の歴史を伝える資料としても貴重である。径86㌢。岩手県指定文化財、とある。
スペーサー不動堂大日堂スペーサー中尊寺境内スペーサー阿弥陀堂弁財天堂
西谷坊スペーサー弁財天堂:茅葺の寄棟造りで、廻りを池で囲まれた小島の上に建っている。床を高くして湿気から護る造りが趣きのある外観にもなっている。説明板から…当堂は宝永二年伊達家寄進の堂宇にて弁財天十五童子像を安置。弁財天はインドの薩羅我底河より生じたる神にて水に縁深く池、河の辺に祀られる。
西谷坊には重要文化財の野外神楽殿があったが、大々的な修復中だった。

金色堂スペーサー讃衡蔵(宝物館)で、金色堂・経蔵・旧覆堂の共通拝観券を購入して、新覆堂(金色堂)へ。まず、旅の主な目的である御朱印帳を求め御朱印をいただく。中尊寺は二度目だが、かなり昔のことで、記憶にあるのは金色堂と旧覆堂ぐらい。人波に押されて立ち止まることもできず、須弥壇内部は人の頭でよく見学できなかった。今回は、世界遺産指定から2年が経ち、紅葉も終わった時期で、ゆっくりと心ゆくまで、その豪華絢爛たる美を堪能することができた。
国宝金色堂初代清衡によって、天治元年(1124)に建立された阿弥陀堂で、昭和37年、解体大修理が行われた。防災・防湿に万全を期した鉄筋コンクリート造りの新覆堂はこの時建設された。ということは、当初の目的は奥州藤原氏の“霊廟”として建てられたものではなかった? 中央に御本尊阿弥陀如来、前左右に勢至菩薩と観音菩薩、横に地蔵菩薩が三体づつ、それらの仏像たちを四天王の二人である持国天と増長天が守護するという独特の配置。須弥壇の中には初代清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体、四代泰衡の首級が安置されている。
泰衡は頼朝に屈して秀衡の遺言を破り、義経・弁慶を討った人物。彼自身、家来河田次郎の裏切りで、奥州藤原氏はわずか四代で滅亡する(文治五年、1189)。泰衡は義経の首を差し出すことで平泉の平和と自身の助命を図ったが、頼朝は家人の義経を許可なく討伐したことを理由に泰衡追討に向かい、さらに泰衡の首を届けた河田次郎に対しては、「譜第の恩」を忘れた行為は八虐の罪に当たるとして斬罪する。頼朝、権謀術策に長けたなかなかの策略家である。泰衡の首は故実にならい、眉間に八寸の鉄釘を打ち付け柱に懸けられた。その後、泰衡の首は平泉に戻され黒漆塗りの首桶に入れられ、秀衡の眠る金色堂の金棺の傍らに納められた。
芭蕉句碑スペーサー金色堂を出ると、芭蕉の超有名な『五月雨の 降り残してや 光堂』の句碑があった。俳人長谷川櫂氏(NHK:100分de名著「おくのほそ道」)によれば、この句は『夏草や 兵どのが 夢の跡』と対句を成し、藤原氏の栄枯盛衰を通して人の営みの“確かさ”と“儚さ”を表しているのだそうだ。
※確かさ:「儚さ、はかなさ」の反義語のつもりで使っている。適切な用語が思いつかない

経蔵スペーサー重要文化財経蔵:いわゆる中尊寺経を納めていた御堂。創建時の再建されたものであり、堂内には平安時代の彩色模様が確認できる。国内最古の保安三年(1122)の棟札が伝えられる。本尊の騎師文殊菩薩と四脊属像(重文)、堂内具(国宝)、紺紙金字一切経(国宝)等の経典類は、現在、讃衡蔵に安置・収蔵されている。
金色堂旧覆堂1金色堂旧覆堂2、内部スペーサー重要文化財金色堂覆堂:古くは鞘堂と呼ばれた。正応元年(1288)の棟札より、鎌倉幕府によって金色堂の修復が行われ覆堂が建てられたと考えられてきた。近年の調査では、金色堂建立後50年ほどで簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったとみなされる。昭和38年、新覆堂の建築に伴いこの場所に移された。
かんざん亭からスペーサーきらびやかな金色堂。その金色堂を500年の風雪から守ってきた旧覆堂をあとに讃衡蔵(さんこうぞう)へ。讃衡蔵とは「奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡の衡)の偉業を讃える宝蔵」という意味。仏像・仏具、経典・書画や副葬品など国宝・重文オンパレードの展示品の質と数には 心底 驚かされた。
毛越寺は一度は訪れたこともあり、またの機会ということにして、かんざん亭で、軽食と長い休憩を取る。
白山神社能舞台1白山神社能舞台2スペーサー白山神社重要文化財能舞台:小さな社と大きな能舞台の取合せが面白い。白山神社は嘉祥三年(850)中尊寺の開祖慈覚大師円仁が加賀白山をこの地に勧請し、自らは十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号したのが始まりとされる。 白山神社と能舞台スペーサー
現在の能舞台は嘉永六年(1853)伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納されたもの。茅葺の寄棟屋根、欄干で囲まれた本舞台や鏡の間を繋ぐ橋掛、鏡板に描かれた「老松」など、たいへん印象深い建物だった。 ただ、参道脇に立つ異様にでかい[看板」、鳥居よりも高い!、には興趣をそがれた。

赤堂稲荷衣川と前九年後三年役碑中尊寺入口に戻る途中、本堂から北参道を下りて、衣川の土手へ。写真の石碑『前九年後三年役衣川古戦場跡』は東物見に立っていたもの。衣川から国道4号線を中尊寺に向かって歩いていると、赤い鳥居が目に入り(赤堂稲荷)、“時間潰しに”そこそこ高い石段を昇り降りする。 東日本急行バス中尊寺バス停スペーサー
中尊寺バス停に着いたが まだ 時間がある。今一度 月見坂を往復する。乗客は私たちをいれても3人。仙台~中尊寺・急行バスの運行は11月いっぱいまでである。
東北道車窓1東北道車窓3スペーサー夕暮れがせまる東北道、赤く染まったサンバイザーに何やら黒い小さい“影”が・・・ 塒を急ぐ?鳥の群れだった。ガンかカモか、いくつかの鳥の群れは“V字編隊”の形を変えながら、東から西の空へと去っていった。
スペーサー東北道車窓2、夕焼けと鳥の群れスペーサー鳥の編隊1鳥の編隊2鳥の編隊3
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能見堂緑地アプローチ・市街図能見堂緑地アプローチ・地形図これは、2010年6月から、一部(金沢文庫駅側入口から能見堂緑地入口の間)、通行止が続いている六国峠ハイキングコース「迂回路」の、能見台駅または金沢文庫駅から能見堂緑地入口までのルート説明です。通行止が解除される見込みは当分ないようです。

能見台駅から
写真1:能見台駅から①写真2:能見台駅から②写真7:能見堂緑地入口へ①スペーサー能見台駅から国道16号線を南へ進み、谷津二の橋信号の手前で(能見台から1.3㌔)、鋭角に右の細い道に入る(写真1・地図 能①)。すぐ踏切があり(写真2・地図 能②)、それを渡ったところに『谷津関ヶ谷不動尊』の標柱があり、その方向に進む。(写真7・地図 ①)。なお、ここで金沢文庫からルートと合流します(後述)。
写真8:能見堂緑地入口へ②写真9:能見堂緑地入口へ③写真10:能見堂緑地入口へ④写真11:能見堂緑地入口へ⑤スペーサー右は線路、左は中層マンション(シティ金沢文庫)の道路を100㍍ほどのところで、左に階段を上がる(写真8・地図 ②)。 写真12:能見堂緑地入口スペーサー階段を上がると、[左 六国峠ハイキングコース]の指示がある(写真9・地図 ③)。以降はこの指示が随所にあるので、それにしたがい(能見堂緑地に沿って進めば)、その入口に着くことができる。道なりに歩き(写真10・地図 ④)、左折すると(写真11・地図 ⑤)能見堂緑地入口(写真12)である。谷津関ヶ谷不動尊入口はその先600㍍ほど

金沢文庫駅から
写真3:金沢文庫駅から①写真4:金沢文庫駅から②スペーサー金沢文庫駅から国道16号線を北へ進み、谷津二の橋信号の手前で(金沢文庫から700㍍)、左に踏切を渡る(写真3・地図 文①)。二つ目のT字路を右折する(写真4・地図 文②)。 写真6:金沢文庫駅から④写真5:金沢文庫駅から③スペーサー角の掲示板に大きな(新しい?)案内図が貼ってある。踏切を渡ってすぐ一つ目のT字路を右折してもよい。
掲示板のある角からすこし歩いて、次のT字路を右に曲がると(写真5・地図 文③)、正面に中層マンション(シティ金沢文庫)が見える(写真6・地図 文④)。公園(谷津染井公園)の横を通り、道なりに右にカーブすると、能見台からの道と合流する(写真7・地図 ①)。

能見堂緑地
能見堂緑地1、紅葉と黄葉能見堂緑地2能見堂緑地3、通行止めゲート能見堂緑地、能見堂跡スペーサー能見堂緑地に入る。まだ何本かの木々は秋の名残を残していた。擬木の階段を上がって、通行止めのゲートを確認し、能見堂跡へ。能見堂跡の広場で昼食&休憩後、不動池に下りる。
不動池で、“紅一点”の木を愛で、ノンビリと泳ぐカモ3羽を写真に撮る。いったん 園外に出て、谷津関ヶ谷不動尊の入口から再び園内へ。石段を昇って谷津関ヶ谷不動尊を拝み、瀧不動を眺める。そこから坂道を登ると、能見堂跡からの尾根道と合流する。
スペーサー能見堂緑地、不動池1能見堂緑地、不動池3 能見堂緑地、不動池2スペーサー谷津関ヶ谷不動尊1谷津関ヶ谷不動尊2谷津関ヶ谷不動尊3
市民の森入口バス停スペーサー金沢自然公園、展望台金沢自然公園スペーサー能見堂緑地~金沢自然公園、釜利谷料金所能見堂緑地4、分岐谷津関ヶ谷不動尊から金沢自然公園までさしたるポイントはなく、マンション・民家が見え隠れする単調な尾根歩きとなる。
低区配水池、高区配水池(塔)を経て、七曲り広場、馬の背広場への道を左に見送り、横横釜利谷料金所から駐車場への引込線の脇を歩き、1時間ほどで金沢自然公園の広場に着く。
金沢自然公園からは、(イ)大丸山を経て鎌倉天園ハイキングコースまたは(ロ)瀬上・氷取沢市民の森に足を延ばすか、あるいは(ハ)正面駐車場に下り、市民の森バス停で、金沢文庫駅行または京急富岡駅行|洋光台駅行|能見台車庫行のバスを待つか、である(今日はハを選択)。
称名寺は家から2.5㌔、散歩に好適地である。裏山を周れば、足腰のちょっとした鍛錬にもなる。帰り、疲れたときのエスケープは、まだ使ったことはないが、高運賃のシーサイドライン。一度だけ入ったことがあるが、参道には茶屋(ふみくら茶屋)もあり、贅沢気分も味わえる。
写真1、仁王門スペーサーいかめしい阿吽の金剛力士像が睨みをきかせる山門(仁王門)をくぐると(仁王門は通行不可なので実際は横の木戸から入る)写真2、浄土式庭園スペーサー写真3、古木イチョウイチョウ スペーサー美しい庭園が広がる。称名寺の庭園は、苑池(阿字ヶ池)に架かる反橋・平橋(橋をつなぐのは中之島)を渡り、金堂(極楽浄土)に達する浄土式庭園の典型。現存する同一方式の庭園としては平泉の毛越寺(1150年頃)などがある。
写真4、八角堂広場スペーサー八角堂広場(金沢山、きんたくさん)へ登る。標高76m(境内は10m)の高台からは八景島、海の公園、野島が一望である。遠く房総半島も。広場からかなりのダウンとすこしのアップで稲荷山休憩所。ここはわずかに北側が開けているが、常緑広葉樹に囲まれ展望なし。3つめのピーク日向山の途中に北条実時墓所がある。 写真7、北条実時墓所~称名寺境内写真6(植物)写真5、北条実時墓所スペーサー
称名寺は金沢北条氏の菩提寺。鎌倉幕府の要人北条実時(1223-1276)が建てた持仏堂から始まったと推定され、六浦にある宝樹院に伝わる旧常福寺の本尊阿弥陀三尊像の像内文書には、1259年に称名寺が建立されたという記録がある。
※金沢北条氏は二代執権義時の五男実泰が始祖だが、若くして出家したため、二代実時が実質的初代とされる。金沢氏は学問の家柄としても知られ、実時は隠居した後に金沢文庫の基礎を作った。

写真11、鐘楼と称名晩鐘スペーサー写真10、反橋と紅葉写真9、阿字ヶ池畔の紅葉写真8、金堂と釈迦堂スペーサー北条実時墓所から、今日は日向山にはまわらずに、称名寺境内に下りた。金堂の横に建つの釈迦堂は、仁王門とともに風格ある伽藍の一つ。廻縁付きの宝形造という造りだそうで、屋根は茅葺き。また、鐘楼は『称名晩鐘』として、金沢八景の一景となった。図は称名寺境内から金沢文庫へのトンネルの壁にあるパネルで、大錦版画といわれるものである。
鎌倉アルプス地形図スペーサー天園ハイキングコース(鎌倉アルプス)を、明月院から明王院まで踏破した。スタートは北鎌倉駅、予定のゴールは鎌倉駅。ホームは「鎌倉・秋の休日」を楽しもうという人でごったがえしていた。その人の波に揉まれて明月院へ向かう(10:10)。 ※写真・地図はクリックですべて拡大できます
明月院口~勝上献~大平山~天園
写真1:明月院口写真2:明月院口~勝上献1写真3:明月院口~勝上献2(桐慕茶屋)スペーサー明月院の門前から3,400㍍ほどで、右へ滑り止めの舗装をした坂道を上がる(写真1・マップ①)。直進すれば今泉台・六国見山。続いて50㍍ほど先を左折(角に小さな標識がある)、行き止まりが桐慕(とんぼ)茶屋、その手前で左の山道に入る。
写真4:明月院口~勝上献3写真5:明月院口~勝上献4写真6:明月院口~勝上献5写真7:明月院口~勝上献6写真8:明月院口~勝上献7写真9:明月院口~勝上献8スペーサー明月院から建長寺上の勝上献(しょうじょうけん、“献”は山冠がつく)の道は登りは初めて。これを利用すれば、建長寺で“通行料”を払わなくて済む。歩きやすい道を100mほど上がり勝上献に到着(10:50、写真10・マップ②)。
写真10:勝上献スペーサー写真11a:勝上献展望台1写真11b:勝上献展望台2スペーサー展望台とその周辺は建長寺から上がってきた観光客で押すな押すなの大盛況、どうにか景色を眺めることができた。漠とした大気に、空と海との境ははっきりせず、白い富士が中空にぼうっと浮かんでいる。勝上献を出発(11:00)。
写真12:勝上献~覚園寺分岐1写真13:勝上献~覚園寺分岐2、十王岩写真14:勝上献~覚園寺分岐3写真15:勝上献~覚園寺分岐4写真16:勝上献~覚園寺分岐5写真17:覚園寺分岐スペーサー勝上献から天園は岩が露出したちょっとワイルドな道あり、穏やかなこもれびの道ありの、コース中でも変化に富んだ部分。勝上献から200㍍足らずで十王岩というビューポイントがある。素通りすることが多いが今日は寄ってみた。若宮大路がまっすぐ材木座海岸に延びている。大気が澄んでいれば大島も見えるだろう。さすが「かながわの景勝50選」である。最初のエスケープポイント覚園寺分岐を通過(11:15、写真17・マップ③)。
スペーサー
スペーサー写真18:覚園寺分岐~天園1写真19:覚園寺分岐~天園2(鉄塔)写真20:覚園寺分岐~天園3写真21:覚園寺分岐~天園4写真22:覚園寺分岐~天園5(トレラン)写真23:覚園寺分岐~天園6写真23:覚園寺分岐~天園7写真24:覚園寺分岐~天園8
写真25:覚園寺分岐~天園9、大平山(クラブハウス前)スペーサー晩秋の日曜日、鎌倉は山も多くの人が行き交う。足元のおぼつかないお年寄りから体全身を使って上り下りする幼児まで、賑やかなグループや楽しそうな二人連れ、ちょっと寂しい独り者・・・、トレランのグループとも出会った。小さな岩山を越えると、鎌倉CCクラブハウス前の広場。たくさんの人が木陰にお弁当を広げている。 ところで、鎌倉市街地図やネットのブログによれば、越えた岩山が鎌倉市の最高点大平山(159m)・・・国土地理院の地形図では大平山はもすこし先の天園(六国峠)付近になっている。

天園~鎌倉宮分岐~瑞泉寺分岐~明王院口
写真28:鎌倉宮分岐写真27:天園展望所写真26:天園(峠の茶屋)スペーサー天園(峠の茶屋前)を通過(11:45)し、展望所(岩山の上)から 三たび 鎌倉市街を一望する。ここから市街は、獅子舞・亀ヶ淵の森を隔てているのでわずかしか見えない。岩山を下りると、二つ目のエスケープポイント鎌倉宮分岐(12:00、写真28・マップ④)。
スペーサー
鎌倉宮分岐から瑞泉寺・明王院への道を進む。しばらく 木々に包まれた平坦な尾根道が続いたあと、岩盤に挟まれたところから下りとなった。山の斜面に見覚えのあるお地蔵様(貝吹地蔵、写真33b)がいる。瑞泉寺までは 以前 一度歩いたことがあるが(能見台緑地~大丸山~天園~、→ブログ)、瑞泉寺への下降点は定かに覚えていない。崖の上に戻ったが、尾根にそれらしき道はない。このまま瑞泉寺に降りても、それはそれでよしと決め、昼食&休憩を取ることにする。しかし 適当な場所がない。少なくなったとはいえ、ハイカーが時々通るので道端に座りこむのは気が引ける。幸い 脇道が見つかり、妻が持たせてくれた赤飯のおにぎりとゆで卵のお昼を食べる。
本道に戻ると、中高生ぐらいの女の子たちが続々と下りてくる。その最後尾まで待つ。ワイワイガヤガヤ、女の子たちの列は渋滞しがち。そうこうするうち、後ろのグループが追いついてきた。やはり女性ばかりだが、すこし年上。“前後に花”にウキウキしながら歩いていると、『ザックが開いてますヨ、閉めてもいいですか』とグループの一人。昼食のとき ポケットのジッパーを上げ忘れたらしい。『ありがとう』、礼を云って小物が落ちなかったチェックする。この凡ミスで、つかの間の“前後に花”は終わり。
スペーサー写真29:鎌倉宮分岐~瑞泉寺分岐1写真30:鎌倉宮分岐~瑞泉寺分岐2写真31:鎌倉宮分岐~瑞泉寺分岐3写真32:鎌倉宮分岐~瑞泉寺分岐4写真33a:鎌倉宮分岐~瑞泉院分岐5a写真33b:鎌倉宮分岐~瑞泉寺分岐5b、貝吹地蔵写真34:鎌倉宮分岐~瑞泉寺分岐6写真35:鎌倉宮分岐~瑞泉寺分岐7
スペーサー
写真38:瑞泉寺分岐~明王院口2(植物)写真37:瑞泉寺分岐~明王院口1写真36:瑞泉寺分岐スペーサーようやく三つ目、最後のエスケープポイント瑞泉寺分岐に到着(12:40、写真36・マップ⑤)。大きな標識が立っているが、まったく記憶がない。地図(鎌倉市街図)を見ると瑞泉寺本堂はすぐそば 4年前は違う道を下りたのか? 標識はその後立ったのか? 単に忘れただけなのか?
今日の予報は「午後早い時間から降水確率50%」。天園ハイキングコ-ス完歩は天候によっては次回…と、朝 家を出たが、雨は落ちてくる気配はない。明王院に向けてウォーキング続行(12:45)。
スペーサー
スペーサー写真39:瑞泉寺分岐~明王院口3写真40:瑞泉寺分岐~明王院口4写真41:瑞泉寺分岐~明王院口5、初め弁天写真42:瑞泉寺分岐~明王院口6写真43:瑞泉寺分岐~明王院口7写真44:瑞泉寺分岐~明王院口8(民家)写真45:明王院口
写真47:県道金沢鎌倉線写真46:明王院山道ギリギリまで家々が迫るところから、再び 樹林帯に入ってしばらく歩くと、時を感じさせる鳥居と石の祠があった。鎌倉弁天社(初め弁天、写真41)というらしい。そこからはどんどん下りとなり、やがて民家の横を通って、[ハイキングコース入口]の標識がある角(写真45)を折れると、明王院の門前に出た(13:07)。
一休み後、道路左右に浄妙寺、報告寺、杉本寺などの名刹が並ぶバス道路(県道204金沢鎌倉線)をゆっくりノンビリ鎌倉駅に向かって歩き(約4㌔)、豊島屋本舗で鳩サブレーを土産に買った。

天園:東郷平八郎元帥がこの地を「まるで天国の園で遊ぶよう」と絶賛した言葉がそのまま慣用地名になったそうだ。
貝吹地蔵:元弘三3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めのとき、東勝寺で自害した北条高時の首を持って逃げまわっていた家来某を、地蔵がホラ貝を吹いて瑞泉寺の裏山に導いたという伝説が残されている。そのおかげで、高時の首を無事埋葬することができたという。
初め弁天:江戸時代の江の島弁財天信仰の名残のようで、金沢方面から江の島へと向かう旅人が初めて参拝したのがこの弁天社だったことから「初め弁天」と呼ばれているらしい。したがって、江の島は「終り弁天」とも呼ばれていたという。
(注)国土地理院の地形図には、今日歩いた尾根道以外にも麓の住宅地に下りる多くの“間道”が記載されている。が、そのような道はほとんど見当たらず、ほぼ一本道で迷うことはありません。
2013.11.12 晩秋の瑞牆山
地形図スペーサー三度目の瑞牆山(みずがきさん)。初回はまだ雪が残る20043、2回目はシャクナゲが咲き誇る20086だった(⇒ブログ)。また、日本アルプスや東北の山に行く機会がなかった今年、初めての2000m峰である。標高2230m、鳥海山の七高山(外輪山最高峰)と同じ。
瑞牆山は全山が花崗岩で形成された岩山で、山頂部は岩峰群が屹立した特異な山容を持つ。瑞牆(瑞垣)とは神社の周囲の垣根のこと。玉垣。
富士見平と富士見平小屋登山口~富士見平登山口スペーサー中央道双葉SAで仮眠し、登山口駐車場を出発したのは840。瑞牆山まで4㌔、標高差は700mだが、途中 天鳥川を徒渉して登り返すので、累積高度差はそれ以上である。 すっかり葉を落としたシラカバの林を抜け、落ち葉に埋もれた林道を横切り、里見坂の急坂をジグザグに登ると、夏は枝葉に遮られてほとんど見えない瑞牆山の岩峰群が目に飛びこんできた。ベンチで長休止後、ミズナラに変わった富士見平への尾根道を登る。950、富士見平小屋が立つ富士見平に到着。黄葉したカラマツ林に包まれた小屋前の広場にはテントが2張。富士見平は金峰山との分岐点でもある。ここから瑞牆山と金峰山の両方に登る健脚家も多いらしい。それぞれ2時間と3時間の行程。
※富士見平小屋は 以前 小屋の管理人が単独行の女性を暴行殺害するという事件があり(1983)、長い間閉鎖されていたが、最近 営業を再開した。但し 食事は要予約である。

富士見平から富士山スペーサー富士見平でもしばし休憩し瑞牆山に向かう。到着したとき、辛うじて見えていた富士山は じき 雲に隠されてしまった。 道は、天鳥川に落ちる飯森山の山腹に付いたほぼ水平な道、 富士見平から瑞牆山へスペーサー富士見平~天鳥川下降点1富士見平~天鳥川下降点2スペーサー樹林の間から瑞牆山が見え隠れする(このあたりの木は針葉樹)。やがて 天鳥川への下降点。小川山への分岐点でもあるが、大きな倒木が道を通せんぼしている。ほとんど廃道のようだ(昭文社の地図は破線表示、国土地理院の地形図にはなし)桃太郎岩天鳥川徒渉点スペーサー天鳥川下降点スペーサー
急坂を100m近く下り天鳥川を渉る。水量はせせらぎ程度。対岸に人工と自然(倒木)のベンチがあり、一休み後(10:35-45)、山頂まで切れ目なく続く急登にかかる(1㌔、500mの上り)。
シャクナゲ天鳥川徒渉点~黒森分岐2天鳥川徒渉点~黒森分岐1スペーサー巨岩「桃太郎岩」の横の鉄製の小さな梯子を昇り、木製の大きな梯子を昇る。樹林帯の中、目印は色あせた赤いリボン。岩場にはたまに赤ペン。“正しい”ルートが意外と分かりにくい。 天鳥川徒渉点~黒森分岐3天鳥川徒渉点~黒森分岐4天鳥川徒渉点~黒森分岐5スペーサー高度をあげるにつれ、シャクナゲが目立つようになってきた。瑞牆山のシャクナゲは有名である。道はいっそう険しく、時に大きな露岩を這い上がる。頭上が明るくなり、天を突く岩峰(大ヤスリ岩?)が現れた。 天鳥川徒渉点~黒森分岐6b border天鳥川徒渉点~黒森分岐6aスペーサーその真下を右へ迂回すると、今度は人一人がやっとの岩の隙間をくぐる(写真→、左は往路で 右は帰路で撮影、天鳥川徒渉点から75
大ヤスリ岩スペーサー後方の景色スペーサー天鳥川徒渉点~黒森分岐7スペーサー天鳥川徒渉点~黒森分岐8
天鳥川徒渉点~黒森分岐9天鳥川徒渉点~黒森分岐10その後も、四苦八苦の登りがしばらく続き黒森(弘法岩)分岐。ここで、植樹祭公園からの登山道(黒森コース)を合わせる。 黒森分岐~瑞牆山頂スペーサー黒森分岐b黒森分岐aスペーサー分岐から平坦な道となって一息もつかの間、鏡餅のような大小二段の石が立ちふさがる。ロープがなければ登るのはとても無理。最後に梯子を昇り、富士見平から2時間30、1240、一枚岩から成る 瑞牆山頂に立った。

①金峰山②富士山方面③瑞牆山頂④南アルプス方面⑤八ヶ岳スペーサー山頂からの眺望は今“二つ”。とくに南側の稜線には雲がかかっていた(②富士山、④南アルプス)。加えて寒い(駐車場が3~4℃だったのでたぶん0℃以下)。15分ほどで下りる。  ①金峰山(きんぷさん、2595m)、五丈石と金峰山小屋のアップはこちら。 ③瑞牆山山頂(2230m) ⑤八ヶ岳連峰、その山座同定はこちら
瑞牆山頂~黒森分岐スペーサー帰路、“鏡餅”を難儀して降り(下りのほうがむずかしい、写真→)、黒森分岐で昼食(13:00-13:25)。以後、天鳥川徒渉点14:55-15:05、富士見平15:35-15:40、登山口駐車場着16時25分。 ①黒森分岐~天鳥川徒渉点②富士見平~登山口
①山腹のカラマツ?の黄葉、そのアップはこちら(黒森分岐から25下ったあたり)。 ②瑞牆山の見納め?、里見坂への下降点で。
増冨鉱泉で暖まり、帰りも双葉SAに1泊。翌朝は今日以上の好天気で、SAから櫛形山の左に白く輝く南アルプス(塩見岳あたり?)が見えていた。登山口の駐車場で、明日は金峰山と云っていた60代前半と思しき男性は、もう出発しただろうか?
過去二度の瑞牆山はそれほど大変とは思わなかったが、今回はメチャメチャ疲れた。幸いじき治ったが、帰路、天鳥川から登りでは右足の痛みも。 70はさまざまな身体機能が落ちる“境目”と、テレビか何かで聞いた(見た)ことがある。私は来年70歳、日頃の鍛錬が大事だが、ただ平地を歩くだけでは不十分。山坂・階段を散歩コースに取り入れなければ、と反省させられた山行だった。
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