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西日本が梅雨明けし、722(火)~25(金)、山旅に出た。目指すは中国地方の最高峰大山(剣ヶ峰1729m/弥山1709m、鳥取県)と近畿以西最高峰の石鎚山(天狗岳1982m/弥山1972m、愛媛県)。大山は三度目だが雪と雨で未踏(⇒ブログ1/⇒ブログ2)、石鎚山は七年ぶり、二度目である(⇒ブログ3)。

大神山神社大山寺
大山スペーサ、タテ米子道溝口ICを出て、22昼過ぎ、大山山麓の旅館街に到着(新東名・浜松SAで仮眠)。早速、山麓の古刹を散策した。 大神山神社神門1大神山神社神門2神門から大神山神社奥宮スペーサ、タテ
まず大山寺本堂。そこから、日本一長い(700㍍)という石畳の参道の半ばにショートカットして大神山神社奥宮へ。
大神山神社奥宮2スペーサ、タテ大神山神社奥宮1大神山神社奥宮3(本殿)スペーサ、タテ奥宮は拝殿・幣殿・本殿が一体となっ社殿と長い翼廊(50㍍)から成る壮大な伽藍。見事というしかない建築美である。翼廊の隣にある末社下山神社も小ぶりながら、奥宮に劣らぬ見応えのある建物である。
チョウチョ3チョウチョ2チョウチョ1チョウチョ大山寺宝物館の前で見たチョウ。大山周辺は昆虫、とくに蝶類の宝庫といわれている。(図鑑によれば)ウラギンヒョウモンやスジグロシロチョウという蝶が10匹近く一心不乱に蜜を吸っていた。
いったん旅館・売店が並ぶ参道に出て大山寺阿弥陀堂。宿の主人に勧められ、初めてその姿を見たときの感動は 今も 心に深く刻みつけられている(⇒ブログ1)。
大山寺阿弥陀堂1大山寺阿弥陀堂2大山寺阿弥陀堂3スペーサ、タテ阿弥陀堂を訪ねるときは 是非 登山道の側道からではなく、“参道”からアプローチしてほしい。杉木立の中、寺跡の石垣に囲まれた石段を一歩一歩上るごとに大きくなる阿弥陀堂の姿はまことに味わい深い。
大山寺阿弥陀堂6大山寺阿弥陀堂5大山寺阿弥陀堂4スペーサ、タテこの御堂の中には、木造阿弥陀三尊本尊阿弥陀如来~丈六2.79m、と両脇待像~観音・勢至両菩薩)が安置されている。国宝級の仏像は宝物館などに移されているものが多いが… 堂内拝観は予約が必要で、いつもは扉は閉じられている。ところが今日は開いていた。宝塚市の私立中学の生徒が見学に来ているのだった。何という幸運! おかげで お参りのおり、堂内の様子を見、正面と側面の窓から御本尊を拝顔することができた。

今日の宿は吉野旅館。女将さんの息子さんは大山のガイドで、NHK『にっぽん百名山』にも出演した方。明日、100名から成る大集団(宝塚市の私立中学、宿泊はホテル大山しろがね)を外3人のガイドと案内するという。ネットを見たら、吉野さんは大山ガイドクラブ会長及び大山遭難救助隊長という重鎮だった。これも何という幸運!
オオルリ2オオルリ1スペーサ、タテ翌朝、野鳥が電線にとまって美しい声で囀っている。逆光ではっきりはしないがオオルリに違いない。見るのは初めて。阿弥陀堂といいオオルリといい吉野旅館といい、(昨日は)いいことずくめだった。

大山登山(723
大山二万五千図スペーサ、タテ朝食をいただく前、吉野さんはすでにホテルに向かわれていた。コースタイム上り3時間/下り2時間ということで、我々は遅発ち(75)。大川寺橋を渡った南光河原駐車場に車をおき(スキーシーズン以外無料)、阿弥陀堂の手前で夏山登山道に入る。大山(弥山)頂上まで標高差870m/2.6㌔の行程である。 登山口~三合目1登山口~三合目2崩れやすい大山特有の地質上、横木で土砂流失を防護した階段状の道が延々と続く。まわりは気持ち良いブナの原生林、路傍にはヤマアジサイの花。前方が賑やかになった。数名の男ばかりの中高年グループと十数名の男女、女性が圧倒的に多い、のこれも中高年の団体に追いついた。こちらはガイド付きのツアー。はるか上の方からは、吉野さんらに引率された宝塚市の中学生一行であろう、元気な若い声が聞こえてくる。いっぽう、ここに来るまで、数名の一人または二人連れに追い抜かれている。今日の大山はかなりの“人出”らしい。
三合目三合目~五合目三合目(8:00-8:15)。4前の冬、ここからすこし登った“標高1100m”地点まで登った(⇒ブログ1)。緩やかな登りは三合目まで。三合目から傾斜がきつくなった。 五合目スペーサ、タテ五合目(8:45)。何人かの人がザックをおろし、どっかり座り込んでいる。どうにか記録写真を撮ることができた。五合目からほどなく行者コースの分岐があり、やがて六合目(9:05-9:15)。避難小屋があり小屋の前は平地、ベンチがいくつかおいてある。周囲は低木となり、視界が開け、小屋の背後に大山の北面が仰ぎ見える。 六合目避難小屋スペーサ、タテ六合目から(八合目まで)は大山一、二の急登。加えてザレ場。多くは蛇籠で土留めされているが登りづらい。標高が1400mを越え、ほとんどアジサイだけだった登山道脇にいろいろな高山植物が目立つようになった。さすが「花の百名山」である。 ダイセンオトギリシモツケソウナンゴククガイソウヤマブキショウマ?スペーサ、タテ 紫のナンゴククガイソウ、ピンクのシモツケソウ、ほんのり黄色味を帯びたダイセンヤナギ?(ヤマブキショウマ?)は広範囲で、ダイセンオトギリオオバギボウシ、ミヤマホツツジ、ノビネチドリは限られた場所で。
八合目八合目~山頂1八合目~山頂2スペーサ、タテ八合目(9:55)、標高1550m。ここから、特別天然記念物ダイセンキャラボクの群落の中に敷かれた木道を登る。“登る”というより“歩く”というほうが適切というくらいの緩勾配。視界を遮るものがなくなり眺望は抜群。 ナンゴククガイソウシコクフウロ振り返ると山麓の旅館街とスキー場。さらにかなり霞んでいるが弓ヶ浜、美保関、日本海が眺められる。ダイセンキャラボクが少なくなり、ナンゴククガイソウシコクフウロイヨフウロ)が群落を成している。 頂上避難小屋頂上の碑中学生の団体や一般登山者で、内も外も大賑わいの頂上避難小屋を素通りして(10:20)、まずは弥山山頂(標高1710.6m)へ。弥山は剣ヶ峰より低いが(1729m)、剣ヶ峰への縦走路は崩落が激しく通行禁止になっている。 剣ヶ峰は通行禁止オオバギボウシ、山頂で
頂上の碑は記念写真を撮る人で混雑。そうこうするうち、くだんの十数名のツアーが登ってきて 割り込むように 一人一人 写真を撮り始めたので いったん 頂上小屋に退き、昼食後 再び 山頂へ。今度はだいぶん人が少なく、落ち着いて写真が撮れた。

山頂~八合目2山頂~八合目3山頂~八合目1スペーサ、タテ11、中学生の列(後ろの方)に混じって下山開始。六合目1235。道が混んで“渋滞”しているのでスムーズに前に進まない。 行者コース分岐スペーサ、タテ行者コース、分岐~登山口スペーサ、タテ行者谷別れ1245。中学生一行と同じく、行者コースに入り元谷に下る。主にブナの樹林帯の中、急な階段が続く。分岐点が1250m、元谷(佐陀川河原)が1000mくらいで、夏山登山道三合目とほぼ同じ高さなのでそれも道理である。元谷へ下りたのは大山北壁見たさである。
元谷から北壁1元谷から北壁2元谷から北壁3スペーサ、タテ元谷それ自体は砂防堰が幾重にも造られ“谷”というイメージはないが、そこから仰ぎ見る北壁は期待通りのアルプス的景観であった。
行者コース登山口スペーサ、タテ元谷からはなだらかな山道を下り、2、大神山神社奥宮(行者コース登山口)に下山。 大山3大山橋から2大山橋から1スペーサ、タテ大山館でカキ氷を食べ(夏山登山のカキ氷は格別、“最後の”氷で二人で一つ)、ご好意で吉野旅館のお風呂でサッパリし、45、四国へ向かった。

瀬戸中央道瀬戸大橋
瀬戸中央道を四国へスペーサ、タテ米子道溝口インターのすこし先のスーパーで飲料・食料などを補給後 米子道、落合JCTで中国道、北房JCTで岡山道、岡山JCTで山陽道、そして 倉敷JCTで瀬戸中央道。鷲羽山トンネルを出るとすぐ瀬戸大橋、瀬戸大橋をマイカーで走破するのは初めてである。 下津井瀬戸大橋下津井瀬戸大橋~櫃石島橋櫃石島橋スペーサ、タテ
まず下津井瀬戸大橋(橋長1400㍍の吊り橋)、続いて櫃石島橋(斜張橋、790㍍)、岩黒島橋(斜張橋、790㍍)、与島橋(トラス橋、塔がない、850㍍)。与島橋から与島PA
岩黒島橋~与島橋与島橋スペーサ、タテ瀬戸内海夕景、与島PA北備讃瀬戸大橋、与島PAに下りる(7)。サービスエリア並みの規模で、展望など設備も整っている。今日は四国の豊浜SAまでと考えていたが、ここで仮眠と決める。瀬戸内海の夕景、対岸の坂出市街の夜景、翌朝の朝陽を眺めて与島PAを出る(735)。
朝陽、与島PA与島PAから四国へ長い2つの吊り橋、北備讃瀬戸大橋(1538㍍)と南備讃瀬戸大橋(1648㍍)、2つの区切りは定かでない、を渡り終えると四国・坂出JCT。 坂出JCTスペーサ、タテ北備讃瀬戸大橋~南備讃瀬戸大橋北備讃瀬戸大橋スペーサ、タテ高松道松山方面に進み、川乃江JCTで松山道。伊予西条インターで国道11号におり、加茂川橋交差点で国道194号に入る。加茂川橋交差点から2.6㌔、中野大橋北袂。道路標識は[右:石鎚山]だが、ナビはそのまま194号を直進するよう指示。ナビに従い直進したが、気になって(目的地[石鎚山ロープウェイ]までの)全ルートを確認したら、ナント、“指示ルート”は寒風山トンネルの前で途切れ 石鎚山ロープウェイのところ(県道12号)でまた復活している。
石鎚山ロープウェイ下2石鎚山ロープウェイ下1スペーサ、タテ引返し、道路地図と道路標識をたよりに県道12号を進み、1055 石鎚山ロープウェイ下谷駅に到着。そのままナビを信じていたらひどい目に遭うところだった。 石鎚山ロープウェイ下谷駅石鎚山ロープウェイ内石鎚山ロープウェイ成就駅石鎚神社成就社ロープウェイは下谷駅と成就駅、標高差845mを8で結ぶ。ロープウェイを降りて成就社までの“坂道(150m)を徒歩20”は予定外だったが(リフトもあるようだ)、1215 石鎚神社中宮成就社に着く。宿は白石旅館、お風呂にも夕食にも時間があるので、運動のため(石鎚山の)途中まで往復した。

石鎚山登山(7月25日)
石鎚山二万五千図スペーサ、タテ「朝から20度を超えています。こんなことは珍しいです。今日は暑くなりますヨ」という、宿の若主人?の言葉に見送られて出発(655)。 朝陽、石鎚神社成就社スペーサ、タテ成就社遥拝殿1成就社遥拝殿2スペーサ、タテまず成就社、つぎに遥拝殿(本殿)に参拝。遥拝殿からの御神体(石鎚山)は半分ほどガスがかかっていた。
神門神門から石鎚山スペーサ、タテ一礼して神門(標高1450m)をくぐり“神域”へ。何となく気持ちが引き締まる。 ヒメシャラスペーサ、タテ道は下り坂。あたりはブナや雑木だが、登山道に小さな花びらがたくさん落ちている。ヒメシャラだった。よく見るとヒメシャラの木も多い。路傍の高い枝に一輪だけ残っていた。写真はその貴重な一輪。
遥拝の鳥居遥拝の鳥居から石鎚山スペーサ、タテ遥拝の鳥居710。その名のとおり、石鎚山の頂上と頂上社がよく見えた。 神門~夜明峠2神門~夜明峠1下りはさらに10ほど続き、神門から1㌔で八丁坂鞍部(標高1300m)。ここから急勾配の木の階段。昨日そこまで登ったベンチのある小広場([成就1.6㌔/石鎚山頂2㌔]のすこし先)で小休止(7:45-7:50)。
クルマユリ、前社ヶ森茶屋下神門~夜明峠3(前社ヶ森)さらに登って前社ヶ森85。右に『試しの鎖』があるが、老体には難度が高すぎる。敬遠して捲道へ。前社ヶ森茶屋下の崖にクルマユリの小群落があった。色鮮やかな花を目にしたのは、後にも先にもここだけだった。 夜明峠スペーサ、タテ石鎚山北壁、夜明峠~一の鎖スペーサ、タテ茶屋(8:10)を過ぎ、ようやく急登から解放され夜明峠。視界が開け、前方の天狗岳を中心とした石鎚山の北壁が素晴らしい。すこし長めの休憩を取る(8:25-8:40)。ヘリコプターが土小屋の方角から頻繁に飛んでくる。はじめ 弥山頂上山荘の荷揚げかと思ったが、二の鎖元小屋の改修工事のための資材を運んでいるのだった。
夜明峠、よあかしとうげ。由緒ありげな名前だが分からない。夜の山頂付近の岩場は危険。おそらく、成就コースのロープウェイや土小屋コースのスカイラインなぞない昔、今宮道あるいは黒川道から山頂を目指した修行者がこのあたりで夜明けを待ったのではないだろうか?

資材揚げのヘリコプター、夜明峠~二の鎖小屋スペーサ、タテこの朝、成就社から石鎚山に向かったのは先発した同宿の御夫婦と私たちの二組だけ。大山とはうってかわって静かな登山である。4箇所の鎖場のうち、最も“安全”という一の鎖の取付きは見落とし、土小屋コース分岐(95)。初めて他の登山者二組、いずれも単独の中高年、と出会う。 土小屋コース分岐二の鎖小屋~山頂土小屋コースを登ってきた人たちだ。私たちの石鎚山初登頂も土小屋からである(⇒ブログ2)。分岐から一登りで二の鎖元小屋(標高1810m)。小屋は改修中で、もとより登るつもりないが、二の鎖・三の鎖とも通行禁止のようだった。
面河道分岐、二の鎖小屋~山頂捲道スペーサ、タテ鉄製の梯子や桟道が崖から張り出した道は捲道といえども気は許せない。下り(左、柵なし)は谷側となるのでなおさらである。途中 面河への分岐があり、二の鎖元小屋から30余、940弥山山頂(標高1972m)に上がった。 頂上社と頂上山荘弥山山頂弥山から天狗岳スペーサ、タテ
まず、“価値ある”頂上社の御朱印を頂き、360度の眺望を楽しむ。展望盤によれば、遠く四国第二位の剣山、劔山も石鎚山とセットで登った、も見えるらしいが、今日の大気の状態では無理。最高峰天狗岳(標高1982m)は初登頂時登っているのでパス。
弥山山頂から二ノ森・堂ヶ森弥山山頂から剣山方向頂上社裏(三の鎖)スペーサ、タテ西条市合併10周年とかで、その記念品を頂き、ロープウェイ(この時期、平日、始発は8)で登ってきた登山者が一人・二人と増えるなか、10時35分、下山。
二の鎖捲き道3三の鎖捲き道2三の鎖捲き道1スペーサ、タテ山頂から二の鎖元小屋の捲道は、下りでも、山側を歩きたくなる。上ってくる人がいない時は実際にそうした。二の鎖元小屋11。先行する妻が、土小屋分岐の鳥居の下に座り込んだ白装束の男性と話をしている。聞けば、頂上社に勤務する神官で“登山”でなく“通勤”。今、上にいるのは上司。そういえば、御朱印を書いて下さったのはすこし年配の方だった。 二の鎖小屋から成就社夜明かし峠
夜明峠1125-35、前社ヶ森茶屋125。遥拝の鳥居1235。成就社1255。白石旅館で、預けていた荷物を受取り、カキ氷を食べ(二人で2つ)、1330、ロープウェイ成就駅へ。 神門遥拝の鳥居夜明峠あたりから山頂にはガスがかかり始めたが、白石旅館を出たときは外は真っ白。石鎚山は午後はガスが出ることが多い、と聞いていたがその通りで、成就社に泊まってよかったと思った次第。ガスはロープウェイが下谷駅に着いた時(14:08)は雨。しばし駅舎に待機後、横浜へは遠回りだが、一度は通ってみたかった『しまなみ海道』に向かった。

西瀬戸自動車道しまなみ海道
来島SAから来島海峡大橋スペーサ、タテしまなみ海道を通るならばと、白石旅館で勧められた2つの温泉「本谷温泉館」「休暇村東予」のうち、本谷はルートをちょっとはずれているので東予に行く。が、すでに営業終了。次に、教えられた「湯の浦温泉四季の湯ビア工房」へ。そこは事前に考えていた道の駅「今治湯ノ浦温泉」だった。
来島海峡大橋来島海峡大橋~大島大島大橋スペーサ、タテ今治インター541。まず来島海峡SAに寄って来島海峡大橋を見る。来島海峡大橋は第一、第二、第三とあり、3つ合わせると、4000㍍を越える超長大橋。大島はその名のとおり大きい。面積42平方㌔、千代田区と中央区と港区を合わせたくらい。ひとしきり島内を走って、大島大橋(橋長840㍍の吊り橋)を渡って伯方島(20平方㌔)。次は、大三島橋を渡って
大三島橋多々羅大橋生口橋スペーサ、タテ大三島。大三島橋は珍しいアーチ橋(橋長328㍍)。大三島は大島より大きいが(64.5平方㌔)、自動車道は島の東端を走るので短い。4つ目は多々羅大橋、美しい斜張橋(1480㍍)。湾岸の鶴見つばさ橋が1020㍍だから、そのスケールが分かろうというもの。橋を渡った瀬戸田PA(生口島、34平方㌔)で小休止。西の空が赤く染まってきた。同じく斜張橋の生口橋(790㍍)、
因島大橋新尾道大橋と尾道大橋スペーサ、タテ橋塔がユニーク。橋を渡ると因島(35平方㌔)。人口26人、都会である。以前は独立した市だった。車窓から見る様子もこれまでの島々とはだいぶ違う。因島から向島(面積22平方㌔)。橋は因島大橋(吊り橋、1270㍍)。最後は新尾道大橋(斜張橋、546㍍)。一般道に架かる尾道大橋に併設にされている。
夕陽4、因島大橋夕陽3、因島夕陽2、因島夕陽1、瀬戸田PAスペーサ、タテさて新尾道大橋を渡り終えると、西瀬戸自動車堂はすんなり山陽道に接続されていると思いきや、福山西ICとか松永道路とかが複雑に交錯していて、結局 長々と国道2号線を走り 84 福山東ICから山陽道に入った(その後、すぐ吉備SAで仮眠)。
これで、3つの本四連絡橋をマイカーで走ったが、それぞれが個性豊かであった。次の機会あれば、“山旅のサブ”ではなく、島めぐりをメインに、むろん海の幸も、楽しみたい。
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羽黒山神社大鳥居月山鳥海山スペーサ、タテ鉾立展望台から鳥海山(新山)を眺め(7:45-7:55)、20099以来の羽黒山(五重塔と出羽三山神社)に向かった。道々、離れゆく鳥海山と近づく月山を眺めながら… 大鳥居(高さ20m・幅15m)をくぐり、宿坊が並ぶ通りを抜けると、出羽三山神社隋神門前。駐車場はそのすこし先のいでは文化記念館
隋神門1隋神門2スペーサ、タテ隋神門。神社の門としては異な形をしている。それも道理、元は羽黒山寂光寺の山門であった。仁王像が立っていたはずのところは空っぽ。神橋と須賀の滝継子坂寂光寺の伽藍・文物は『神道こそ国家唯一の宗教』と推進された廃仏毀釈によって徹底的に破却され五重塔と朱に塗り替えられたが仁王門だけは奇跡的に残った。山頂の三神合祭殿については、明治に建てられたはずはないが…爺杉と五重塔スペーサ、タテ おそらく寂光寺の本殿か何かだったのだろう。継子坂を下り神橋を渡ると“神域”。鬱蒼とした杉林の中、ひときわ立派な杉がある。爺杉である。樹齢千年、樹高42㍍、幹周り10㍍、国指定天然記念物。彼は明治の愚挙をどんな思いで見ていたのであろう。その奥に一人残された五重塔がまた 千年変わらず 静かに佇んでいる。
五重塔1五重塔2五重塔3五重塔4スペーサ、タテ国宝羽黒山五重塔。何時見ても何度見ても素晴らしい“孤高の塔”であり、数ある中でいちばん好きな五重塔だ。素木造り柿葺、方三間五層高さ八丈(24㍍余)。承平年間平将門の建立と伝えられる(1060前)。長慶天皇文中年間(630前)に再建。慶長十三年出羽守最上義光修造(390前)。本尊聖観音像は廃仏毀釈のさい焼かれ、現在は大国主命が祀られているという。
さぞかし居心地が悪いことだろう。
一の坂1一の坂2二の坂茶屋二の坂1二の坂2南谷分岐スペーサ、タテ2466段の石段、高度差にして250mの参道を出羽三神合祭殿へ。
三の坂1三の坂2埴山姫神社八幡神社山頂鳥居と斎館スペーサ、タテ参道の両側には樹齢300年以上という杉の巨木特別天然記念物が立ち並ぶ。一の坂、二の坂… 二の坂の途中、参道のほぼ中間点という絶妙な位置に『二の坂茶屋』がある。しかし休憩は帰りに。南谷分岐を過ぎると三の坂。左に埴山姫神社、左右に向かい合う尾崎神社と八幡神社の小さい社があり、やがて 朱の鳥居が見えてくると、山頂・三神合祭殿は近い。鳥居の手前に[左:斎館]の案内がある。
10ほど前、初めてか二度目に参詣したおり、合祭殿から下りてきた義の宮一行に出会い、数十㍍手前で、足止めを食ったことがある。“神官”ではなく“山伏”が先導していた。妃殿下は溌溂とし、居合わせた我々ににこやかに会釈されていたが、殿下の足取りは遠目にも心もとなかった。たしか御年は80歳くらい。あまりニュースも聞かないが、どんな日々を過ごされているのだろう。

三神合祭殿1三神合祭殿2大鐘と三神合祭殿スペーサ、タテ国の重要文化財三神合祭殿は厚さ2.1mの藁葺屋根の葺替え真っ最中。三神とは月山神社、湯殿山神社とここ出羽神社の神。現在の社殿は文政元年(1818)再建。参拝し、御朱印をいただき(見開き2頁の豪華版)、今年小学生になった孫二人に、それぞれ黒とピンクのランドセルのお守りを求める。
蜂子神社1蜂子神社2蜂子神社3スペーサ、タテ豪壮な三神合祭殿もさることながら、今回、とくに目を惹いたのは隣の蜂子神社(旧開山堂)である。蜂子神社は推古元年(593)、羽黒山を開山した蜂子皇子を祀る。その御尊像が公開されていた。明治以来初と、いうより開闢以来初めてという。堂内に入る前に祝詞をあげてもらい、有名な“奇怪”なお姿を恭見した。

参道1参道2(尾崎神社と八幡神社)参道3参道4スペーサ、タテ小雨が降り始め滑りやすくなった参道を下る。二の坂茶屋で一服。名物はあんこ(自家製)orきな粉の力餅。母と娘が切り盛り、 参道7(二の坂茶屋3)参道6(二の坂茶屋2)参道5(二の坂茶屋1)スペーサ、タテお母さん(おばあさん)は相変わらずお元気だった。私たちのことは覚えているという。気になっていた『羽黒山午歳御縁年』の幟について尋ねると、 五重塔スペーサ、タテ羽黒山が開山したのは午歳。午歳は羽黒山にとって特別な年で、午年に参拝すると12回分の御利益があるのだそうだ。蜂子神社の御開扉もそれにちなんだイベントだった。「登拝記念の認定証」を頂いて、五重塔・隋神門へと下った。
梅雨の晴れ間の7月初め、久方ぶりに秋田駒ヶ岳と鳥海山を訪れた。主目的は秋田駒で、鳥海山は従目的である。

秋田駒ヶ岳(7月2日)
秋田駒を訪れたのは、5年前8月の盆明けと3年前の7月半ば(⇒ブログ1ブログ2)。8月は当然だが、7月も馬場ノ小路(通称“ムーミン谷”)のチングルマの大群落はすでに綿毛になっていて、少々がっかりした。和名である“稚児車”状態のチングルマも風情があるが、やはり、谷を埋め尽くした花を写真ではなくこの👀で見てみたい。

横長根に上がる国見コース登山口道の駅「雫石あねっこ」に前泊。2日早朝、国見コース登山口駐車場(850m)へ。登山口630。1時間弱で横長根(1175m)に上がる(7:29-34)。ここまでは前日トレーニング済み。道々、コイワカガミマイヅルソウゴゼンタチバナアカモノウラジロヨウラクなどの花々が咲いていた(写真は↓)
田沢湖、横長根第二展望台から横長根を行く男岳(ムーミン谷)横岳(大焼砂)分岐スペーサ、タテ 横長根(女岳の外輪山の縁)からはほぼ平坦な道。813男岳横岳分岐[従是右駒草高嶺菫道]とある大焼砂の道と分かれて、“ムーミン谷[左稚児車道]へ下りる。
コマクサ3(ムーミン谷への下り)コマクサ1(ムーミン谷への下り)コマクサ2(ムーミン谷への下り)スペーサ、タテ火山礫の斜面のあちこちにコマクサの株が芽吹き、そのうちのいくつかは蕾や花をつけている。まだ咲いたばかりでひときわ美しい。ほどなく湿原状の草原に降り立った。チングルマの群落2(ムーミン谷)チングルマの群落1(ムーミン谷)∴秋田駒ヶ岳高山植物帯スペーサ、タテお目当ての、綿毛になる前の白い花弁と黄色い雄蕊・雌蕊のチングルマの群落が広がる。感動!! 雪が早く解けたところのチングルマは 早や “稚児車”になっている。
ヒナザクラ(ムーミン谷)ショウジョウバカマ(ムーミン谷)ムシトリスミレ(ムーミン谷)スペーサ、タテチングルマだけではない。可憐なヒナザクラ、ピンクのコイワカガミ、雪解けともに咲くショウジョウバカマ、珍しいムシトリスミレなど。さすが「花の百名山」!! ヒナザクラは遠くの灌木帯の中に、初めて見る大群生を作っていた。コイワカガミはチングルマの中に。ショウジョウバカマはポツンポツンと。

ムーミン谷を行くムーミン谷を行くスペーサ、タテ道が小岳から女岳の裾野へ回り込むと、正面に男岳と五百羅漢が見えてくる。木道が雪に埋もれている。チングルマの群落5*(ムーミン谷)チングルマの群落4(ムーミン谷)チングルマの群落3(ムーミン谷)スペーサ、タテ駒池を過ぎると、さらに大きなチングルマの群落が木道の両側に広がっていた。
シラネアオイとミヤマスミレ(ムーミン谷)スペーサ、タテシラネアオイ1(ムーミン谷)ミヤマスミレ(ムーミン谷)スペーサ、タテ男岳横岳稜線への登りにかかる五百羅漢との分岐点で食事休憩後(9:05-20)、およそ170mの外輪山壁を登る。いつも厳しい登りだが、ここかしこに咲くシラネアオイにその厳しさを半減された。
シラネアオイ2*(ムーミン谷)シラネアオイ3(ムーミン谷)シラネアオイ4(ムーミン谷)シラネアオイ5(ムーミン谷)スペーサ、タテ優雅、清楚…気品に満ちたその美しさは一語では言い表せない。シラネアオイはほんとうに久しぶりで、実に5年前の白神山地の田代岳以来(⇒ブログ3)であった。
ミネザクラ(ムーミン谷)スペーサ、タテまた、1,2本だけだがミネザクラが満開。この時期、桜が見られるとは、登山の面白さの一つである。その他、ミヤマスミレコイワカガミ(ムーミン谷)ミヤマキンポウゲ(ムーミン谷)ミヤマキスミレorタカネスミレ(ムーミン谷)ベニバナイチゴ(ムーミン谷)スペーサ、タテミヤマキスミレ(orタカネスミレ)2色の菫、ミヤマキンポウゲ(黄)、コイワカガミなど。前回は7月24日、この斜面はニッコウキスゲで黄に染められていたが、今日はまだ一輪もない。山の、夏の季節の変化は早い。

稜線(1555m、10:05-10)から阿弥陀池(1520m)に下り、避難小屋がある東端に進む。
阿弥陀池(西側から)外輪の縁から阿弥陀池ムーミン谷(外輪への上り)スペーサ、タテ写真()は、左:外輪山の上りからムーミン谷俯瞰。中:外輪山から阿弥陀池俯瞰、右:阿弥陀池、池を周回する木道には登山者の姿が。阿弥陀池と男女岳チングルマの群落6(阿弥陀池)スペーサ、タテ
写真()は、左:阿弥陀池と男女岳(秋田駒最高峰、1637m)。右:男女岳の裾野のチングルマの大群落
男女岳(おみなだけ)の山頂は一度踏んでいるので(⇒ブログ1)、今回もパスである。
ムシトリスミレ(阿弥陀池)イワイチョウ(阿弥陀池)阿弥陀池(東側から)スペーサ、タテ写真()は阿弥陀池南畔で、左:ムシトリスミレ、中:イワイチョウ。右:避難小屋前から阿弥陀池。 所用を済ませ(とても綺麗な水洗トイレ)、横岳を経て大焼砂へ(10:45)。キバナコマノツメ(横岳~大焼砂)ハクサンシャクナゲ(横岳~大焼砂)コミヤマハンショウヅル(横岳~大焼砂)スペーサ、タテ馬ノ背からの道を合わせる分岐点まではすこしの登りで、あとは平坦な道を200㍍で横岳(1583m、11:05)。ここから6.8㌔、山奥へ進むと池塘群が広がる、訪れる人も少ない千沼ヶ原である。乳頭山からだとずっと近い。 写真()は、左:コミヤマハンショウヅル、中:ハクサンシャクナゲ、右:キバナコマノツメ(orタカネスミレ)

タカネスミレの群生と馬場の小路(横岳~大焼砂)スペーサ、タテ大焼砂(おおやけすな)。“不毛の大地”にも見える礫地に咲いているのはコマクサタカネスミレ(orミヤマキスミレ)。とくに、コマクサは他の植物が生育できない環境に真っ先に進出するコマクサ4(大焼砂)コマクサ5(大焼砂)コマクサ6(大焼砂)コマクサ7(大焼砂)スペーサ、タテパイオニア的植物で、彼らが開拓した土地は やがて 侵入してきた植物に乗っ取られてしまうそうだ。強くて繊細な?植物。
大焼砂を行く大焼砂から馬場の小路大焼砂から横長根スペーサ、タテ柵に保護された大焼砂を行く。柵はもちろん植物のためだが、登山者の道迷い防止にもなっている。ここは強風地帯で、かって、雨も重なり難儀した経験がある。今日は穏やか。
ミネヤナギ(横長根)スペーサ、タテマルバシモツケ1(横長根)マルバシモツケ2(横長根)スペーサ、タテムーミン谷~阿弥陀池~大焼砂を周回し、男岳横岳分岐、1145。ここが“第一”展望台らしい。横長根から田沢湖スペーサ、タテここから低木帯に入り、植生が変わる。目の高さにミネヤナギ(少)、マルバシモツケミヤマカラマツ(カラマツソウ)、ミヤマカラマツ(横長根)ハクサンチドリハクサンボウフウ?オニアザミハクサンチドリハクサンボウフウ?オニアザミ(少)、ハナニガナ(横長根)ゴゼンタチバナ(横長根)ベニバナイチヤクソウ(横長根)スペーサ、タテベニバナイチヤクソウ(こんなところに)。足元にはマイヅルソウ(多)、ゴゼンタチバナ(多)、ハナニガナアカモノand/orコケモモ。

横長根から東の展望スペーサ、タテ横長根・国見温泉下降点(12:25-35)。下降点のほんのすこし先の尾根に、東に展望が開けたところがある。そこで、岩手山?(裾野まで雲に覆われて)を撮影し、国見温泉に下る。登山口に120に戻った。コイワカガミとマイヅルソウ1(国見温泉~横長根)コイワカガミとマイヅルソウ2(国見温泉~横長根)アカモノ(国見温泉~横長根)スペーサ、タテ
<写真(、前日の予行登山時に撮影)イ:コイワカガミ(多)とマイヅルソウ(多)、ロ:コイワカガミマイヅルソウ、ハ:アカモノ(多)、ニ:シロ?イワカガミ、ホ:ウラジロヨウラク
シロコイワカガミ(国見温泉~横長根)ウラジロヨウラク(国見温泉~横長根)スペーサ、タテ下山後、仙岩トンネルを抜けて、水沢温泉郷からすこし奥に入った駒ヶ岳温泉へ。県道からかなり入る(最後はダート)ので場所的に静かで落ち着ける。駒ヶ岳温泉は旧山荘ももしろで、今は鶴の湯温泉の姉妹館。マップ上部マップ下部夕食後(鶴の湯名物「山の芋鍋」付き)、鶴の湯への温泉サービスもあった。当館の温泉もたいへん心地よい。とくに露天風呂。鶴の湯から帰って見上げた煌めく星空もさることながら、温泉前のせせらぎで飛び交う“地上の星”(蛍、天然)のまたたきが実に印象的だった。




鳥海山(7月4日)
鉾立駐車場から鳥海山新山(7月3日撮影)スペーサ、タテ、駒ヶ岳温泉から鉾立駐車場へ移動。鉾立山荘は改修中、今シーズンいっぱい。TDK東雲荘はさすがに当日の予約は無理で、車中泊となる。もっとも、そのつもりで上がってきたのだが(トイレは可)。430と5、ビジターセンターと稲倉山荘、山荘といっても食堂と売店があるのみ、が閉まると、ここで夜を明かす車はまばら、駐車場は急に寂しくなった。
520、出発。空模様はパッとしない。鳥海山も秋田駒同様、花の名山。
奈曾渓谷、鉾立展望台の先から象潟コース(鉾立)登山口遊歩道終点の鉾立展望台から山道になると、いろいろな高山植物が路傍に咲き乱れる。お馴染み、マイヅルソウ、コイワカガミ、ゴゼンタチバナやショウジョウバカマ、キバナコマノツメ、マルバシモツケ、ミヤマツボスミレ。賽ノ河原付近1賽ノ河原付近2スペーサ、タテ
マイヅルソウは至るところに。ショウジョウバカマなどは少数派。ここでもシラネアオイ。初めて見るバイカオウレンとミツバノバイカオウレン。バイカオウレンに似ているが、花びらが6枚の花は? ツマトリソウ?鉾立展望台から鳥海山新山スペーサ、タテ
賽ノ河原に近づくと、石畳の歩道に雪が目立ち始めた。アイゼンは車に置いてきて携行していない。短い雪渓を2つクリヤしたが、三つ目で断念、2年ぶりの鳥海山(⇒ブログ4)は、御浜・鳥海湖までも登ることができなかった。鉾立展望台から鳥海山(新山)を眺め(7:45-7:55)、20099以来の羽黒山(五重塔と出羽三山神社)に向かった。

シラネアオイショウジョウバカマコイワカガミの群落コイワカガミスペーサ、タテシラネアオイ(白根葵)、ショウジョウバカマ(猩々袴)、コイワカガミ(小岩鏡)、コイワカガミ(小岩鏡)
バイカオウレンの群落バイカオウレンミツバノバイカオウレン?ツマトリソウ?スペーサ、タテバイカオウレン(梅花黄蓮)、バイカオウレン(梅花黄蓮)、ミツバノバイカオウレン(三葉の梅花黄蓮)?
マイヅルソウの群落マイヅルソウマイヅルソウマイヅルソウスペーサ、タテマイヅルソウ(舞鶴草)。和名は葉の形や葉脈のようすを鶴が舞っている姿に見立てたもの。
マルバシモツケゴゼンタチバナヒナザクラ?の開き始め?キバナコマノツメミヤマツボスミレスペーサ、タテマルバシモツケ(丸葉丸葉下野)、ゴゼンタチバナ(御前橘)、ヒナザクラ(雛桜)の咲き始め?、キバナノコマノツメ(黄花の駒の爪)、ミヤマツボスミレ(深山坪菫)
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