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12も間近、冷える日が多くなった。温泉にでも行きたい。どこか手ごろな(安い)温泉宿はないものか? 思い出したのが、現役のころ、たまに利用していた会社の保養所。調べてみると、(特退制度のおかげで)まだ現役と同じ料金で利用できることが分かった。天気予報は明後日は『曇りのち雨』だが、明日は『晴れのち曇り』。早速、前日、電話で予約し(幸い一部屋だけ空きがあった)、28早朝(5:40)出発。山は、金時山や明神ヶ岳から眺めていた、箱根中央火口丘の一つ、神山(標高1438m)である。

神山地形図スペーサ、タテ箱根湯本から、沿道(1線)はすこしピークは過ぎているものの美しい紅葉。宮の下で138線に進み、強羅坂下で強羅温泉への急坂を上る。750、宿に車をおかせてもらって(幸い1台分のスペースがあった)、箱根登山ケーブルカーの強羅駅へ。車両はスマート(スイス/ガングロフ社製)、沿線の紅葉が美しい。 箱根登山ケーブル1、強羅駅箱根登山ケーブル2スペーサ、タテ強羅発815。箱根の紅葉は初めてのような気がする。さて、早雲山駅から歩こうと、駅員に尋ねたところ、通行止めだという。わけは云わない。大涌谷は?と問うと、火山性ガスの具合によっては登山禁止になるという返事。もっともだが今禁止かどうかは言及なし。 神山・早雲山登山口スペーサ、タテロープウェイの時間まで間があったので、駅舎の外に出て(展望所から)景色を眺める。神山登山口は駅舎を出てすぐのところにあった。通行止めの理由は、崖崩れの類かと思ったら、「間伐作業のため」であることが分かった。閉鎖期間は「10月1日から12月31日まで」。
予定にはなかったが、大涌谷までロープウェイに乗ることに。しかし、たまには公共交通機関にも乗るのもいいことだ。早雲山駅発845(始発)。以前乗ったロープウェイとは“雲泥”の違いがあった。スマートなゴンドラ(スイスCWA製)、風に強い安定した走行(フニテル方式という2本のロープを張り、ゴンドラとロープの間を短くする)。2000と2006、2期(早雲山~大涌谷/大涌谷~桃源台)に分け、つごう3カ月をかけ、架け替え工事を行ったそうだ。投じた費用は70、あっぱれ箱根ロープウェイである。
箱根ロープウェイ1箱根ロープウェイ2箱根ロープウェイ3スペーサ、タテロープウェイから見下ろす紅葉もまたみごと。しかし、大涌谷の様相は様変わりしていた。大規模な地すべりがあったらしい。 箱根ロープウェイ4スペーサ、タテその修復というか、砂防堰の建設工事が行われていた。しかし、堰を造っているのは底部の傾斜が緩やかなところだけ。斜面上部で、また土砂崩れが起きればひとたまりもないだろう。いささか“焼石に水”という感はいなめない。

早雲山分岐神山・大涌谷登山口2神山・大涌谷登山口1スペーサ、タテ大涌谷駅のインフォメーションで神山へのルートを確認し、915、出発。延命地蔵尊のところで、玉子茶屋への遊歩道と分かれ、登山道に入る。 ヒメコイワカガミスペーサ、タテ山頂まで1.7㌔、標高差400mである。ほどなく、早雲山登山口からの道が合流する。やはり[通行止め]の看板が立っていた。イワカガミの群生が目につき始めた(もちろん花はない)。母娘と思しき中年女性と高年女性の二人連れによればヒメコイワカガミ。5月中旬~下旬、開花するそうだ。 冠ヶ岳分岐大涌谷~神山2大涌谷~神山1スペーサ、タテ 5月といえば、2000m以上の山はオフ時期、これは来年、是非、来なくてはならない。登山者はその他2,3人。天候は、予報に反して、次第に霧が濃くなるばかり。登山者の一人も、予報が晴れだったので、とちょっと恨み節。 神山山頂スペーサ、タテ冠ヶ岳の分岐をやり過ごして、1045神山山頂。山頂は林の中で、天気がよくても展望はよくない。腰をおろせるところもない。15後、来た道を下山。体力があればお中道をまわって大涌谷へ、車の制約がなければ神山~駒ヶ岳~芦ノ湖畔というルートもある。すこし遅れてやってきた母娘二人連れは姥子に下っていった。昭文社の地図によれば“破線”ルートだが。携行していた地図は(昭文社ではなく)国土地理院の二万五千分の1。ベテランである。
神山~大涌谷4、金時山神山~大涌谷3、明神ヶ岳神山~大涌谷2、外輪山神山~大涌谷1、玉子茶屋大涌谷(延命地蔵尊)1230。行きも帰りも、同じ90かかった。ちなみに、コースタイムは登り75/下り60
大涌谷スペーサ、タテ延命地蔵尊から玉子茶屋へ。結構な登り。名物「黒玉子」は、どこの売店もそうだったが、5ヶ入りでバラ売りなし。爺婆二人に5ヶは多すぎる。諦めロープウェイ駅へ。とうとう雨が落ちてきた。ロープウェイに乗るころは本降りに。早雲山駅で、たくさんの人がケーブルカーを降りてきたのにはビックリ! 箱根ロープウェイ5箱根ロープウェイ6、早雲山駅箱根登山ケーブル3、早雲山駅スペーサ、タテ
入れ違いに強羅駅に下る。車内は超満員だった。ちょうど3チェックイン。保養所は2004年にリニューアルしたそうで、立派になっていた(以前が立派でなかったということではない)。温泉は快適。たっぷりと時間をかけて入り、日頃の疲れ?を癒した。
翌日(29日)は朝から雨。小田原に寄り、甘味喫茶『岡西』で、いつものように、三色おはぎ(あんこ・きなこ・ごま)2セットと、団子(あんとみたらしを1本づつ、これは車食用)をテイクアウト。それから、西湘バイパス~国道134号(旧湘南道路)~鎌倉市街~県道鎌倉金沢線のルートで帰宅した。西湘バイパス出口と鎌倉八幡宮、相武隧道前は、いつものとおりただしいつもより、長い渋滞だった。
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奥びわ湖観音路(駅待合室のポスター)国道の標識古橋・高月の地図スペーサ、タテ山口県上関のあと訪れたのは滋賀県長浜市・奥びわ湖観音の里。前泊の彦根市内のビジネスホテル(彦根で一番安いというのが売り)から、名神高速・北陸道(彦根IC~木之本IC)を使って『木之本宿』入り。 木之本地蔵院スペーサ、タテ
JR木の本駅でありったけの情報をかき集め、まず木之本地蔵院。日本三大地蔵の一つで、日本一の大きさという。それから、旧北国街道(ほっこくかいどう)を歩く。“街道”には昔の商家の家並みが残っている。 北国街道木之本宿道しるべスペーサ、タテ本陣薬局2本陣薬局1スペーサ、タテ本陣薬局、当主は日本第一号の薬剤師。富田酒造、『七本槍』の蔵元など。突当りは「北国街道」と「北国脇往還」との交差点。「北国街道」は金沢城下から中仙道鳥居本宿を結び、「北国脇往還」は鳥居本宿を経ないで関ヶ原宿へ行く木之本から名古屋・江戸方面への近道。

駅前の駐車場に戻って、奥びわ湖観音の里・古橋地区へ。田畑の中に臨時?駐車場があり、地元のボランティアが数名、案内に立っている。週明けの月曜日ながらかなりの人出。それは、この先 鶏足寺周辺は紅葉の名所で、しかも 今 その真っ盛りだから、ということがあとで分かった。
與志漏神社参道(己高閣・世代閣)與志漏神社鳥居(己高閣・世代閣)人波といっしょにしばらく行くと、「紅葉散策協力金」徴収所。\200@人、但し己高閣・世代閣を拝観する場合はその拝観料(\500)に含まれるというので、二人で千円を払う。何故か鳥居をくぐって参道を進むと、己高閣(ここうかく)。おもに鶏足寺(けいそくじ)の仏像が収蔵され、正面には御本尊十一面観音菩薩立像(国の重要文化財。724行基が造った頭を、799最澄が発見し首から下を造ったという)が不動明王と毘沙門天を従えて立っている。その他、石田三成ゆかりの法華寺(今は廃寺)にあったという七仏薬師如来立像(県の文化財)など多数。“己高閣”は旧鶏足寺が己高山(こだかみやま)にあったことにちなむ。 與志漏神社境内(己高閣・世代閣)スペーサ、タテ世代閣(よしろかく)は己高閣の裏にある。地元の浄財だけで建てられたそうだ。名前は もともと ここにあった戸岩寺の山号から。御多分に洩れず、明治維新の廃仏毀釈によって廃寺同然になってしまった。参道入口にでっかい(與志漏神社の)鳥居が立っていたかが分かった。収蔵されている仏像は、薬師如来立像(戸岩寺御本尊、国の重要文化財)、十二神将(うち三軀は国の重要文化財、残りは市の文化財)、魚籃観音立像(県の文化財)などバラエティ。
境内には鐘楼や薬師堂、大日堂がわずかに戸岩寺の面影を残しているが、係りの一人がこの中にも仏様が安置されていて“覗き見”できるという。教えられたとおり、薬師堂正面扉の小窓を押し上げると、名前は忘れたが、立派な仏様が並んでおられた。大日堂は小窓のアングルが悪く、お顔はよく見えなかった。頂上に小さな観音堂(これも戸岩寺の遺構)がある丘を往復し、薬草・ハーブ畑、とうがらし畑の中の遊歩道を鶏足寺に向かう。

鶏足寺広場スペーサ、タテ道沿いには入浴剤や五平餅も売る出店も出ていて、賑わっていた。鶏足寺の参道前に着く。参道前の広場には東屋風の休憩処やベンチがあり、いちだんの賑わい。赤・黄・緑、自然の彩り豊かな紅葉の下、鶏足寺へ。凝りに凝った京都寺院の庭園 にはない風情がある。歩き心地のよい参道に人の列が続く。 鶏足寺参道1鶏足寺参道2鶏足寺スペーサ、タテ
石段を上りきると、小ぶりの御堂が一つ。現在の鶏足寺は735行基が開基した己高山鶏足寺別院であった飯福寺の跡鶏足寺紅葉2鶏足寺紅葉1鶏足寺は724行基が創建、799最澄が天台宗の寺院として再興、中世には湖北仏教文化圏の中核として隆盛を極めたが、江戸幕府の終焉とともに衰微、現在廃寺となっている。広場に戻って、小休止のあと、茶畑の中を石道寺へ。 石道寺スペーサ、タテ
自然味豊かな紅葉と同様、茶畑も、 京都宇治のようなまん丸く刈り込まれた“芸術的”なものと違い、自然のままに葉を伸ばしているという感じ。味もきっと自然の風味豊かなことだろう。石道寺(しゃくどうじ)も 鶏足寺同様 小ぶりの御堂が一つ、美しく色づいた木々の下に建っていた。 鶏足寺9鶏足寺8鶏足寺7とうがらし畑鶏足寺と異なるのは御本尊が“不在”でないこと。御本尊は重要文化財の十一面観音菩薩立像。井上靖が小説『星と祭』の中で、“村の若い娘”のようと評したそうだ。石道寺をあとに鶏足寺で 再び 紅葉を鑑賞し、駐車場に戻って、北国街道のまちなかカフェ『重内』で家庭的な料理のランチを食べ、JRなら一駅彦根側の高月へ。目的はこの地域唯一の国宝の仏像の鑑賞。

渡岸寺1渡岸寺2その仏様は渡岸寺(どうがんじ)観音堂十一面観音菩薩立像。木之本駅待合室のポスターに『七体の国宝十一面観音のなかで最も美しい日本彫刻史上の最高傑作・・・』と紹介されていた仏様である。観音堂?でお参りし隣接した慈雲閣?へ。中へ入るや、黒味を帯びた美しく大きな肢体に目を奪われた。荘厳にして優美。眺めるうちに、印象は優美から甘美へ。薄衣の下の肉感豊かな胸部や腹部、大腿部。わずかに腰をひねって右足を踏み出そうとしているポーズは官能的。正面から側面、背面にまわる(この仏様はフロアの中ほどに立っておられるので360度拝見することができる)。ふっくらと丸みを帯びた肩、きりっとくびれた腰、幾重もの襞が重なる薄衣をまとった臀部から足元にかけてのプロポーションはことに魅力的である。こんな菩薩の膝枕で説法を聞けたら さぞ 心地よいであろう。その不謹慎な思いは、正面に戻り、凛としたお顔を再拝したとき、戒められた。像高194㌢、檜材の一木彫、平安初期9世紀の作という。泰澄(奈良時代の僧)の作とも伝えられるが、定かではない。いったい誰が、かくも気品と妖艶を兼ね備えた“女性像”を彫ったのだろう。 渡岸寺4渡岸寺3
右に並んでいるのは珍しい“胎蔵界”の大日如来坐像(国の重要文化財)。観音様に比べ、簡素な彫りの若々しい仏様である。曼荼羅の世界には胎蔵界と金剛界があり、胎蔵界大日如来は膝上で法界定印(ほっかいじょういん)を結ぶ、金剛界大日如来(例えば奈良円成寺)は智拳印(ちけんいん)を結ぶ。金剛とはダイヤモンドのことを指し智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味する。展覧会の延長のような収蔵庫で拝観するのとは違い、“現地”で拝観できるのは 有難みがより大きく、数も少ないので より深い余韻が残る。境内に『御尊像埋伏之地』の石組みがあった。信長に敵視された天台宗寺院は、姉川の戦いにおいて、近隣の民家とともに悉く焼討ちにあった。渡岸寺も焼失したが、本尊観音様をはじめ多くの仏像は、住僧巧円と里人によって救い出され、地中に埋められて災禍を逃れたと伝えられる。
渡岸寺と向源寺の関係:向源寺は、十一面観音の作者とも伝えられる泰澄が建てた光源寺を廃寺とし、村人とともに十一面観音を救った住僧巧円が建立した浄土真宗を宗派とする寺。渡岸寺観音堂は その後 向源寺の所有地内に再建された(向源寺が管理する)御堂で、向源寺の建物はそこから100㍍ほど離れたところにある。浄土真宗は阿弥陀如来以外の仏を本尊とすることを認めていないが、“飛地”の“観音堂”に祀るということで本山(東本願寺or西本願寺?)から許可された。

赤後寺スペーサ、タテ渡岸寺観音堂から、すこし郊外の唐喜山赤後寺(しゃくごじ)に着いたときは3をまわっていた。ひっそりとして人影はない。日吉神社と書かれた鳥居をくぐり境内へ(この寺も神仏習合・神仏分離/廃仏毀釈という為政者の御都合主義にふりまわされてきた証左)。(電話で)案内を請うと、石段を昇って本堂に入るようにと指示。応対に出たのは地元住民の方だった。湖北の寺院の多くは住職無住とのこと。
千手観音菩薩立像聖観音菩薩立像を拝顔し、説明を聞く。戦国の兵火に焼かれ、二躰とも手や肘の部分がない。その姿から 永い間 秘仏とされてきたが、国の重要文化財に指定されたのを機に公開されるようになったという。愚かな人間の行為を知らしめるにいいことだ。二躰は日光東照宮と同じ造りの逗子に安置されている。これは、東照宮を造営した棟梁甲良豊後守宗廣が日光に向かう際に、赤後寺を訪れ、参考にしたため、といわれている。
千手観音は「転利(ころり)観音」とも呼ばれる。『転利』とは『厄を転じて利となし私利を転じて衆利となす』の意だが、いつの頃からか、“転利”が“コロリ”に通じ、天寿を全うしたものは何の苦しみもなくコロリと極楽往生できると、その御利益が喧伝されるようになった。また、三度参詣すればコロリと極楽往生できるとも。

高野大師堂の仏像尾山釈迦堂の仏像渡岸寺の仏像赤後寺の仏像パンフレット『観音の里 高月』から。今回まわることができなかった仏様は多い。赤後寺はアト2回は来なくては。渡岸寺は何度でも訪れたい。

伊吹山スペーサ、タテ滅多に見るチャンスがない伊吹山を眺めながら彦根へ。今日の宿は、“彦根で一番安い”ホテルと同じ並びのビジネス旅館。特別注文の近江牛のステーキが格別。彦根の定宿候補ナンバー・ワンである。九州からの長旅に疲れ、彦根城・琵琶湖竹島観光は次の機会にして、翌日(18日)、横浜へ突っ走る。 富士山2富士山1木曽川長良川
九州の行き帰りは新名神を利用するので、草津JCTから豊田JCTの間は初めて走るくらい久しぶり。水量豊かな長良川、ついで木曽川を渡る。一宮JCTで東海北陸道分岐、小牧インターで名神から東名と名が変わり、小牧JCTで中央道分岐、豊田JCTで伊勢湾岸道分岐。三ヶ日JCT・浜松いなさJCTで新東名。新東名で是非寄りたいところは、いつも混雑しているが、駿河湾沼津SA。ここの「ひもの職人のトロ味定食」が絶品なのである。下りにはない。ちょうど昼時、思いを果たし 再び 新東名。富士は雪が意外と少なかった。
象鼻ヶ岬(マップ)スペーサ、タテ九州・熊本からの帰り道、山口・上関と奥琵琶・木之本を観光した。
「“下”関あれば“上”関あり」。“中”関もあるらしい。山陽道を熊毛インター(周南市)で下りて瀬戸内海沿いの国道188号へ、室関交差点で県道146号に入って象鼻ヶ岬を目指す。象鼻ヶ岬を突端とする半島は、文字通り、“象の鼻”の形をしている。その“鼻”の中ほどにある駐車場から岬に向かって歩き出す。
瀬戸内海2(展望所から)瀬戸内海1(展望所から)鼓ヶ浦(展望所から)スペーサ、タテ道しるべの小さな仏様の石像が並んでいる。岬の大師堂まで八十八体、四国霊場八十八箇所から勧進したものだという。1箇所だけだが、湯茶のおもてなしも出ていた。 象鼻ヶ岬スペーサ、タテ土曜日のお昼頃、何かのイベントだろうか、地元の方がたくさん歩いている。舗装された遊歩道から離れ、護国神社の参道(山道)に入る。神社は小さな御堂が一つ、そこから展望所を経て海岸に降りる。展望所からは、眼下に鼓ヶ浦の海岸、目の高さに晩秋の陽光に輝く瀬戸内海といくつもの島影。一見 のどかで、平和そのものという光景である。“鼻の先”までは行きそびれて、六十五番仏様(三角寺・十一面観世音菩薩)の所でリターンし普賢寺へ。
普賢寺・山門普賢寺・普賢菩薩堂参拝所天井の十二支方位図普賢寺・雪舟庭スペーサ、タテ普賢寺はかなり由緒ある臨済宗の禅寺。境内は広い。寛政十年(1798)建立という山門をくぐり、太鼓の石橋を渡って普賢菩薩堂に進む。参拝所天井の「十二支方位図」がユニーク。本尊の普賢菩薩像は50年毎の開帳という。山門に戻って通用門から庭園へ。庭園は雪舟の作とも伝えられる枯山水。 普賢寺・庫裡3普賢寺・庫裡2普賢寺・庫裡1スペーサ、タテ
庫裡で御朱印を請う。若いハンサムな住職が現れ、御朱印帳をもって奥に引っ込むと、可愛い女の子が出てきて応対してくれた。しばらくしてお姉ちゃん。さらにお婆ちゃんも。おそらく住職の実母。品も美もある方だった。庫裡には、文殊菩薩が象に乗って現れたことにちなんで、象の置き物や装飾品がいっぱいあった。

四階楼外観1四階楼外観2象鼻ヶ岬と普賢寺は計画外の観光。予定の上関へ。国道188号を柳井方面に進み、南周防大橋を渡り、半島のように突き出た海岸を下ると、お目当ての四階楼前。四階楼は、国の重要文化財としては 比較的 新しい明治十二年(1879)の建築。真っ白い漆喰の外壁、四階四隅の丸柱に巻きついた雲龍の外観も美しくまた面白いが、三階内壁の唐獅子牡丹、四階天井の鳳凰などの漆喰鏝細工、四階のステンドグラスなどの内装が素晴らしい。 四階楼・ステンドグラス四階楼・鳳凰の鏝絵とステンドグラス四階楼・椿の彫刻四階楼・唐獅子牡丹の鏝絵四階楼・菊水紋の鏝絵スペーサ、タテ
当初は汽船問屋「佐波屋」を営んでいた小方家の住宅兼店舗であり、1925年から1991年までは旅館として使われていた。見学は無料。重要文化財を無料で見られるとは有り難いが、まもなく その前に大きな道の駅がオープンする。四階楼は小さいが、かなり目を惹く建物、有料にして“入場制限”しないと維持がむずかしいだろう。

竈八幡宮スペーサ、タテ上関大橋を渡って「島めぐり」へ(四階楼は本州側室津にある)。展望は高い所からが一番。上盛山に向かったが(入口を見つけるのに一苦労)、思いのほかの悪路で途中で断念。 瀬戸内海1(旧砲台跡から)瀬戸内海2(旧砲台跡から)島の周回道路を走ってみたが、大した収穫なし。いったん 室津に戻り、「鳩子の湯」で遅い昼食。上関の海岸(上関大橋から)上関大橋その後 高みにある竈八幡宮(上関側)と旧砲台跡(台場)(室津側)に上がって瀬戸内海を眺望。自宅から自転車で10分の、コンテナ線が行き交うリネツ金沢からの東京湾とは雲泥の美しい風景である。竈(かまど)八幡宮とは変わった名前だが、上関の古えの地名『竃戸関』にちなむ。また主祭神の一神は『譽田別尊(ほむたわけのみこと)』という神。

上関町役場スペーサ、タテ一見 風光明媚で静かな上関町は 実は 原発建設に揺れている(写真→)。幸い?、今は福島原発の事故で、推進派は中休み状態。しかし、上関町はすでに原発マネーに毒されている。お昼を食べた鳩子の湯、上盛山の入口の高台に建っていた小中学校、至るところで見た道路拡張工事、まもなくオープンの四階楼前の道の駅もそうだろう。旧水軍の城跡は味気ない城山公園になっているそうだ。
川内原発も再開される。安倍自公政権が続く限り、上関原発は建設されるにちがいない。未だ暗中模索の事故処理に悪戦苦闘している原発を抱えた国がやっていることとは思えない。 かって政権を投げ出すような格好で “男”涙を流して辞任した安倍晋三は、今なら勝てると解散に打って出た。総選挙に勝って、富裕層優遇・原発推進加速・靖国参拝・集団的自衛権という名の日米安保体制及び軍事力強化・秘密保護法という名の情報非公開の正当化・ゴルフ税撤廃・カジノ誘致などについてお墨付きを取り、さらにそれら諸政策に拍車をかけようという魂胆が見栄見栄。ついでに、いつものごとく、小渕優子ほか辞任した閣僚らの禊も兼ねている。消費税10㌫増税見送りは我々貧困層からの支持も失わないようにするためのポーズ。軽減税率の導入をほのめかしているが、事務処理の複雑さを理由に 結局 見送られるだろう。甘利経担大臣は増税(8㌫消費税)後すぐ法人税減税の財源に充てると公言し始めた。法人税減税を手に入れた経団連は、今度は少子化対策を強化し、高齢者福祉はほどほどにと口出ししている。役立たずの貧困高齢者は切捨て、元気な労働人口、但し手軽な派遣労働者、を確保しようという狙いだろう。

瀬戸内海の夕景1(光上関線から)瀬戸内海の夕景2(光上関線から)瀬戸内海の夕景3(光上関線から)スペーサ、タテ今夜の宿泊地岩国に向かったのはちょうど夕暮れ時。上関大橋から南周防大橋まで、海岸線(光上関線、県道23号)から眺めた美しい夕陽は、つかの間、腹立たしいことばかりの安倍政治を忘れさせた。
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