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奈良を歩いた。思い立ったのは、BSフジ『古都浪漫こころ寺巡り』で、平成の大修理が行われた唐招提寺が放送されたこと。奈良は人生三度目。一度目は高校生の時、親父と。二度目は99カミサンと。その時、唐招提寺は時間切れで、門越し遠目に金堂を見ただけであった。従って 唐招提寺の記憶はほとんど消えかかっている。これは、ヨボヨボになる前に、一度は行っておかなければならない。
聖武天皇陵・光明皇后陵spacer16、奈良到着。宿はJR奈良駅前のビジネスホテルなので、チェックイン後、夕食に近鉄奈良駅方面に行く。ホテルで貰った地図によれば、聖武天皇陵・光明皇后陵が近い。途中、かの奈良女子大がある。これは行かずばなるまい。ツバメの巣2、ひがしむき商店街でツバメの巣1、ひがしむき商店街でspacer聖武天皇陵、正式には聖武天皇佐保山南陵。古代日本の礎を築くに大きな貢献をしたわりには質素だが、静かで良い御陵だった。その奥には光明皇后陵もあったはずだが、行き方が分からなかった。
ひがしむき商店街にある人気のお好み焼き・明石焼『おかる』で夕食を摂ったが、商店の店先や軒下にツバメが巣を作っていたのにはビックリ。店の人に大事に見守られて、ヒナは巣から落ちんばかりに大きく成長していた。

法隆寺spacer17斑鳩三塔巡り。駐車場から参道を法隆寺南大門に来ると、男性が一人近づいてきた。「よければ…」という。ガイドをお願いする。この方(柏尾さん)、知識たいへん豊富、およそ2時間半、インターネットやパンフレットでは得られない興味あるお話をイロイロ伺うことができた。 西円堂西円堂から五重塔西円堂鐘楼spacer
まず、中門前から西円堂(国宝)へ。目的の一つは御朱印帳だが、ここを訪れる人は少ない。峯の薬師(薬師如来坐像、国宝)を拝む。ふっくらとした堂々とした仏さまだった。保存状態がよほどよかったのか、金箔がかなり残っている。右へまわると木立の向こうに五重塔が。いいアングルだ。西円堂は西院伽藍北西の小高い丘に建つ。鐘楼があった。子規が聞いた『柿くへば鐘が鳴るなり…』の鐘の音がこれだそうだ。今まさに鐘が撞かれようとしている。10、思ったより大きく荘厳な音が斑鳩の里に鳴り響いた。
法隆寺中門spacer中門に戻り、日本の至宝法隆寺西院伽藍に入る。伽藍を囲む、エンタシスと呼ばれる上下がわずかに細くなった柱と連子窓という格子状の窓が整然と並ぶ回廊(国宝)は開放的で美しい。世界最古の“木造建築物”にして日本最古の五重塔(国宝)に入る。“・・・”はガイドの“建築物”の定義次第という注釈に従った。柏尾さんの説明はちょっと後ろに引いたところがよい。 法隆寺、金堂と五重塔法隆寺廻廊大講堂から金堂と五重塔と中門spacer
四面を飾る塔本四面具(釈迦涅槃などの塑像群、国宝)に圧倒される。京都東寺では明らかだった心柱は、ほとんど塔本四面具の後ろに隠れ見えなかった。続いて、貴重な壁画を焼損したことで誰もが知ることになった金堂(国宝)。堂内には釈迦三尊像を中心に、国宝・重文の仏像(四天王立像毘沙門天立像吉祥天立像など)が整然と居並ぶ。飛鳥の顔立ちは大陸的。平安・鎌倉以降のものにはない素朴かつ不可思議な魅力がある。但し毘沙門天立像、吉祥天像は平安時代 東条英機はじめ帝国陸海軍の軍人が人生の導師なのか?靖国詣でばかりする安倍総理には 是非一日ゆっくりと 御仏たちの前に座っていただき、彼が進める諸施策が日本の将来・地球の未来にとってほんとうに正しい道なのか、再考願いたいものだ。もっとも、彼の頭を占めている大部分は格差社会のさらなる拡大、自衛隊を戦前のような“真の軍”の姿に戻すこと、原発を一基でも多くかつ一日も早く再稼働させることであって、地球の未来のことなど豪もないだろう。
西院伽藍最後は990再建の大講堂(国宝、禅宗では法堂という学問所)。本尊は再建に併せて作られた薬師三尊像(国宝)。

ところで、法隆寺の拝観料は\1500。西院伽藍(金堂など)、東院伽藍(夢殿)、大宝蔵院の3ヵ所。聖霊院も含む。西円堂、中宮寺は不含。高いか安いかは別にして、境内を歩いていて気付いたことがある。お坊さんの姿が一人もない。修行僧(雲水)にも会わない。尋ねると「僧侶は年配の方が10名足らず。雲水はいない。檀家もない。拝観料で潤っている」からと、ピークを過ぎ少なくなった修学旅行生や観光客を見ながら言われた。おかげで静かな境内だった。僧侶が毎日お経をあげることもないそうだ。日常の雑事は全部スタッフ(いわゆる寺男、境内のあちらこちらで見かけた)の仕事。掃除・洗濯、食事…日常のすべてが修行という禅宗や高野山、比叡山のお寺とは趣きがだいぶ違う。パンフレットを改めて見ると、宗派は聖徳宗、昭和25法相宗から独立した。もう一つの大寺院、薬師寺は法相宗を継続している。

回廊東南角から出ると(入口は西南角)、鏡池があり、畔に子規の例の句碑が立っていた。バスガイドの説明を“熱心に”聞いている修学旅行の一団の背後からそれを読み、秘仏聖徳太子を祀る聖霊院(国宝)で『以和為貴』の御朱印を頂き、平成10年落成したばかりの大宝蔵院へ。 大宝蔵院は文字通り“宝庫”、中でも百済観音(観音菩薩立像)は特別待遇で、東西宝蔵の中央、百済観音堂、堂といっても東西をつなぐ廊下のような所、に展示されていた。その他、仏像では夢違観音(観音菩薩立像)、九面観音(観音菩薩立像)、地蔵菩薩像。工芸品では玉虫厨子橘夫人厨子。玉虫の厨子はやはりひときわ目を惹く。
法隆寺東大門法隆寺夢殿spacer 東大門、看板に日本最古の僧門とあった、を通り、東院伽藍へ。東院伽藍は聖徳太子の住居があったところである。主な建物は夢殿と伝法院だが、伝法院は非公開。夢殿は中には入れない。 中宮寺本堂中宮寺入口spacer外から、厨子の中の救世観音(観音菩薩立像、国宝)、聖観音菩薩像(重文)、聖徳太子孝養像(重文)、行信僧都像(夢殿の創建者、国宝)、道詮律師像(夢殿の再興者、国宝)を拝む。ガイドはここまで。柏尾さんと別れ、東院伽藍の北に隣接した中宮寺に行く。目的は、飛鳥彫刻の最高傑作といわれる菩薩半跏像(如意輪観音菩薩、国宝)。現代的な本堂で、テープの説明を聞きながらの拝観は“博物館”のようであった。そばには国宝天寿国曼荼羅繍帳(レプリカ)も展示されていた。

法輪寺三重塔中宮寺から法輪寺へ中宮寺から夢殿に戻り向かったのは、斑鳩三塔の残り2つ、法輪寺と法起寺。田園風景の中 歩くこと20法輪寺に到着。沿革に、国宝三重塔は、昭和十九年、落雷で焼失。昭和五十年に再建とある。昭和十九年といえば太平洋戦争末期、私の生まれた年である。 法輪寺から法起寺へspacer収蔵庫でもある講堂に安置された飛鳥・平安の仏さまたちを拝観する(薬師如来坐像重文、虚空蔵菩薩像重文、十一面観音菩薩立像重文、妙見菩薩立像御前立・重文など)。 法起寺三重塔2法起寺三重塔1法起寺西門(入口)spacer法輪寺から法起寺は15ほど。途中の池で、カイツブリが1羽、潜水と浮上を何度も繰り返している。一度潜ると、どこに出てくるか分からない。撮影に苦労した。
西門が入口。入口に「世界文化遺産」とある。世界文化遺産になったのは日本最古の三重塔が健在だから。建立は慶雲三年(706)。法隆寺五重塔は推古十五年(607)、薬師寺三重塔(東塔)は天平二年(730) 質素な感じのいい塔だった。収蔵庫で、十一面観音菩薩立像重文などを見て、法起寺をあとにする。時刻は2時半近く、これ以上遅くなると夕食との時間差が短くなりすぎる。カイツブリがいた池の端のカフェ(Rider's Cafe)で遅い昼食を摂り、夢殿前~東大門~中門前~南大門を経て駐車場に戻る。8時間余り(9:05-15:10)の『斑鳩の古刹巡り』だった(9:05-15:10)。
山代屋食堂田んぼとケリ山代屋外観spacer宿は山代屋という小さい“旅館”。薬師寺・唐招提寺にそれぞれ1㌔、1.5㌔という好ロケーション。奈良市内なのに宿の東面と北面には美しい田んぼが広がる。その1枚が“休耕田”のようになっていて、ケリやシギなどの野鳥が数羽餌をついばんでいた。雨模様となっていた天気は、宿に着いてからモーレツな夕立がいっとき降った。山代屋は食事が売りもの、[8品+ご飯]から成るコースをゆっくり味わった。どれも看板どおりの美味しい料理だった。

朝食(山代屋、6月18日)spacer18は、歩きと電車で、薬師寺・唐招提寺、新薬師寺などをまわる。薬師寺は白鳳文化を、唐招提寺は天平文化を代表する寺院である。昨日の法隆寺は飛鳥文化。見栄えも味もグッドな朝食を頂いて、9前山代屋を出る。空は雨模様。ルートの関係から北入山口から薬師寺境内(白鳳伽藍)へ。対面は、平山画伯のシルクロード(大唐西域壁画)の大作がある玄奘三蔵院伽藍。
薬師寺東院堂薬師寺金堂薬師寺大講堂spacer残念なことに東塔は解体修理中。道すがら、白く大きな“囲い”が見えていて、イヤな予感はしていたが… 完成は平成31という。4,5年後来られるだろうか? 薬師寺白鳳伽藍spacer
ほとんど人気のないガランとした境内を“順路”にしたがって進む。回廊の外に建つ東院堂、東塔を除けば薬師寺で唯一残る古の建物(国宝)。娘(吉備内親王)が母(元明天皇)の冥福を祈るために養老年間(717-724)に建立したとある。本尊は聖観世音菩薩(国宝)。お美しい方だった。四囲の四天王像もみごとだった。 玄奘三蔵院伽藍spacer東回廊をまわり中門から西塔へ。塔内部には『釈迦八相』のブロンズ像が納められていた(中村晋也作)。オプションで拝観とは別料金。法隆寺五重塔の塔本四面具の“薬師寺版”といったところか。
金堂で、東京国立博物館薬師寺展(2008.3.25-6.8)以来の日光・月光両菩薩をご拝顔。薬師寺展では光背ははずされ、御主人様(薬師如来)も不在であったが゙、ここでは御三体揃ってのほんらいのお姿、仏さまはやはり博物館や宝物館で“鑑賞”するのではなく、御堂で“拝観”するのがいい。東院堂の観音様も薬師寺展に来られたみたいだが記憶にない。続いて大講堂。ここの仏様は重文弥勒三尊像(弥勒如来、大妙相菩薩・御苑林菩薩)。“弥勒如来”とはあまり見聞きしない仏。“弥勒菩薩”はブッダ(釈迦)入滅後、567千万年後にブッダになる未来仏。弥勒如来はそのお姿を前取りしたものか? 形は確かに“如来型”である。吉祥天立像国宝は大阪市美術館に移されていた。残念 同館の“目玉”になっているのだろうが、文化財はあまり分散させないほうがよい。
道路を横切って玄奘三蔵院伽藍へ。テレビでは何度も見た大唐西域壁画の実物。芸大の学長も勤めた平山郁夫が、30年の歳月をかけ、シルクロードに幾度も訪れて描きあげた超大作。壮大で美しい絵、画伯の並々ならぬパワーを改めて感じた。常時公開されているわけではないらしい。ラッキーだった。

唐招提寺南大門薬師寺から唐招提寺へ玄奘院三蔵院の受付で教えてもらって唐招提寺へショートカット。唐招提寺。昭和の再建だが味わいある南大門をくぐると、正面奥に金堂南大門から金堂唐招提寺金堂spacer単純明快で横に長い構造、建物の半分はあろうかという大屋根、私はこの金堂の形が好きだ。また、開放的で明るい法隆寺や薬師寺と違って、唐招提寺の境内は緑が多くしっとりとした雰囲気がある。
国宝・重文の数々の仏さまたちはあとで拝観することにして、開祖鑑真和上の御廟へ行く。
唐招提寺鑑真和上御廟1spacer鑑真和上(持統天皇二年、688-天平宝治七年、763)、当時秩序が乱れていた日本の仏教界を公的な授戒制度で立て直そうとした朝廷の懇請に応じ渡日。背景には建国を急ぐ朝廷は民に重税を課し、それから逃れるため、自誓授戒をして私的に僧侶になるものが増えていたことがある。 唐招提寺鑑真和上御廟2唐招提寺鑑真和上御廟3唐招提寺鑑真和上御廟4spacer周知のごとく、航海は困難を極め(そもそも渡航自体が密航)、6度目、薩摩の地に漂着したとき(75311)は鑑真はすでに失明していた。翌年、東大寺大仏殿で、聖武天皇らに授戒。その後律宗を開き、天平宝治三年(759)、唐招提寺の前身となる戒律の専門道場を創建した。
唐招提寺開山堂spacer御廟は緑いちだんと深き境内の北東の端にあった。小門を入ると、杉の林とふかふかの苔の絨毯、その奥まった小高い丘に墓所は静かに立っていた。御影堂重文は非公開。従って鑑真和上坐像国宝も参拝できず、東山魁夷画伯の障壁画も鑑賞できず。御影堂は前の道が工事中で、近づくことすらできなかった。“代わりに”開山堂で、「御身代わり像」を拝む。堂のそばに、芭蕉の句碑『若葉して御目の雫拭はばや』があった。

唐招提寺金堂spacer200911、10におよぶ大修理が終わった金堂、創建以来一度の建て替えなしという逸物。列柱並ぶ吹き放ちから国宝九尊を拝観する。中央の本尊盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像(薬師如来が脇士?かつ立像とは珍しい)、左に千手観音立像(正式には十一面三眼千手千眼観音菩薩、実際に953の腕を持つ)のあまり例を見ない組合せ?  唐招提寺講堂spacer本尊前両脇に梵天(右)・帝釈天(左)が立ち、四天王立像(復習! …持国天東南=青龍・増長天西南=朱雀・広目天西北=白虎・多聞天東北=玄武)が須弥壇四隅を固める。講堂国宝は、唐招提寺創建のさい、平城宮東朝集殿を移築改造したもので、平城京宮殿建築の唯一の遺構。御本尊は、薬師寺にもあった弥勒如来坐像(鎌倉時代、重文)。
唐招提寺鐘楼唐招提寺鼓楼と東室唐招提寺経蔵と宝蔵spacer境内をまわる。金堂と講堂の間にある鐘楼梵鐘重文は平安初期の数少ない遺構という。鐘楼に相対している鼓楼国宝。“鼓”は太鼓のことだが、中には3000粒の仏舎利が安置されていることから「舎利殿」とも呼ばれる。 唐招提寺境内spacer礼堂/東室重文は南北に仕切られており、礼堂はその仏舎利を礼拝するための堂。東室は元は僧侶が起居した僧坊だった。鐘楼の西側に同様の西室跡がある。経蔵宝蔵は高床式校倉造りの蔵で、共に国宝。とくに経蔵は唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、日本最古の校倉。戒壇には至らず、新宝蔵は公開期間外。新宝蔵には有名な東洋のトルソー如来型立像や創建当時の金堂の鴟尾、南大門の扁額などがある。

春日大社から新薬師寺へ(歴史の道)春日大社本殿興福寺五重塔spacer薬師寺方面に戻り、近鉄西ノ京駅から近鉄奈良駅。ひがしむき通り『おかる』でお昼。興福寺五重塔を三条通りから見、春日大社を経て、「歴史の道」を新薬師寺へ。春日大社は弐年建替えとかで、特別公開中だったが、おばさんの呼込みの声に興醒めしパス。 新薬師寺南門新薬師寺本堂spacer
最近の発掘調査(2008年)で、新薬師寺金堂は、奈良教育大学キャンパスにあり、東大寺大仏殿に匹敵するほどの大きさだった、ということをTV番組で知ったのが新薬師寺に興味をもったきっかけ。パンフレットによれば、光明皇后が夫君天武天皇の病気平癒を祈願して、天平十九年(747)、建立したとある。 新薬師寺石仏群spacer創建当初は 金堂のほかに、東西の塔なども建ち並ぶ大寺院だったそうだが、現在は 東大寺や春日大社の喧騒をよそに、住宅地の中にこじんまりと建っている。鎌倉時代までに、東門、南門、地蔵堂、鐘楼が建てられ(いずれも重要文化財)、修法を行う御堂を本堂(国宝)として、今の姿になったという。
本堂内の仏さまは、薬師如来坐像(目をパッと見開いている、国宝)を十二神将立像がぐるりと取り囲んだ興味深い配列。十二神将は一躯(波夷羅ハイラ大将)を除き国宝。惜しい 隣の香薬師堂?でビデオを流していたので休憩がてら観る。ナレーショインははなさんだった。 新薬師寺の“新”は「新しい」ではなく、霊験あらたかなの「あらたかな」。つまり「霊験新たかな薬師如来を祀ったお寺」という意味。西ノ京の薬師寺とは無関係。

東大寺二月堂東大寺三月堂と二月堂今日も宿は山代屋。東大寺三月堂、二月堂、南大門を見ながら近鉄奈良駅へ。三月堂(法華堂)国宝では、不空羂索観音菩薩像国宝などを拝観。日光・月光菩薩立像国宝は東大寺ミュージアム(平成2310開館)に引っ越していた。 東大寺南大門南大門金剛力士像spacer二月堂国宝では、舞台から奈良市内を一望。鐘楼国宝では、巨大な梵鐘国宝を真下から覗く。中門重文では、柵の間から大仏殿国宝を垣間見る。南大門国宝では、かの金剛力士像国宝を修学旅行生に混じって見る。
二月堂舞台からspacer二月堂舞台から奈良市街 夕食(山代屋、6月18日)spacer
南大門から、そこらじゅうに落ちているシカの糞を踏まないように踏まないように公園下まで来ると、折りよくバスが停まっていて、長歩きでいささか疲れていたこともあり飛び乗る。山代屋に帰り着いたのは5。昨夜の客は私たちだけだったが、今夜は中年女性3人連れとの二組。ディナーと呼ぶにふさわしい夕食は今夜も絶品。メインの肉魚料理は、昨日はタイ、今日はステーキだった。

朝食(山代屋、6月19日)spacer19は最終日。出発910。小雨。横浜に帰る前に、復元事業が進んでいる「平城宮跡」を見ることにする。西北隅の駐車場に車をおく。平城宮跡資料館の前を通り、奈良文化財研究所仮設庁舎で左折、 平城宮跡パノラマ1spacer森を抜けると広大な“空間”が目の前に(ほぼ1㌔四方)。ほぼ右半分は何もない広場。はずれに平城宮の入口であった朱雀門(平城京の入口は羅生門)。 平城宮跡大極殿2平城宮跡大極殿1spacer平城宮跡朱雀門spacer左半分は回廊で囲まれた大極殿院と第一次大極殿。南門から回廊内に入り、ぐるっと270度、パノラマ写真を撮る(↓↓)。資料館を見学し、1030、帰宅の途につく。
spacer平城宮跡パノラマ2Lspacer平城宮跡パノラマ2R
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