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3075、北上金ヶ崎PAを発つ。すぐ平泉前沢IC(66㌔)。毛越寺(もうつうじ)を通り過ぎ、一関よりのコンビニ(17㌔)で朝食後、駐車場(町営、無料、2.3㌔)へ。まだ早朝(840)、広々とした駐車車は10台足らず。
毛越寺は奥州藤原氏二代基衡が建設し、三代秀衡によって完成された天台宗の寺院。(毛越寺の起こりは、白鹿伝説によれば、嘉祥三年(850)、慈覚大師円仁が建立した嘉祥寺とされる) 平地七町歩、塔山十五町歩合わせて二十二町歩全てが特別史跡特別名勝の国の二重指定地で、平成二十三年(2011)『平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群』として世界文化遺産に登録された。
毛越寺、入口スペーサ、タテ毛越寺は(私は)二度目。初めては少なくとも前世紀、境内は発掘・復元整備事業の真っ最中だった(1980-1990?)。入口を入り、まっすぐ進む。奥が本堂、右側は広大な大泉ヶ池。 毛越寺、境内の蓮池毛越寺、芭蕉英訳句碑新渡戸稲造が英訳・揮毫した芭蕉の「夏草や…」句碑、あでやかなピンクの花を蓮池を咲かせた蓮池を鑑賞して、本堂へ。毛越寺は創建時の伽藍はすべて焼失し、基壇・礎石・土塁を遺すのみ。 毛越寺、本堂1毛越寺、本堂2スペーサ、タテ本堂は平成元年の建立と新しい。本尊は薬師如来、脇士は日光・月光両菩薩。両菩薩は平安時代の作という。境内で目立つのは松の巨木、その数210本とか。ことに本堂前の巨松には目を見晴らされた。
毛越寺、南大門跡スペーサ、タテ南大門跡。12個の礎石が整然と並ぶ。南大門は毛越寺の正門。 毛越寺、南大門跡から浄土庭園スペーサ、タテ今はなき門をくぐり、浄土庭園・大泉ヶ池の前へ。飾り気のない広々とした景観が清々しく美しい。対岸は借景の塔山、鐘楼跡・経楼跡、常行寺(再建)、金堂円隆寺跡、嘉祥寺跡など。
毛越寺、開山堂スペーサ、タテ時計まわりに池を巡る。池の西の端に建つ開山堂(かい“さん”どう)。毛越寺を開いた慈覚大師円仁(794-864)を祀る。時が経っているようだが、再建年は不明。 毛越寺、講堂跡毛越寺、嘉祥寺跡
池の西北端、嘉祥寺跡。説明に『二代基衡公が工を始め三代秀衡公が完成させた御堂で、その前身は慈覚大師までさかのぼり、寺名は開山時の年号に由来する。…』とある。池畔の経楼跡から講堂跡、金堂円隆寺跡へ。

毛越寺、金堂円隆寺跡スペーサ、タテ金堂円隆寺は基衡が万宝を尽して建立した勅願寺で、吾妻鏡では『吾朝無双』と称せられている。本尊は運慶作の丈六の薬師如来であった。 毛越寺、鐘楼跡から浄土庭園毛越寺、経楼跡から浄土庭園スペーサ、タテ
『毛越寺の中心的な堂で、東西に廊が出て南に折れ、その先端には鐘楼、経楼があった』という説明で、金堂円隆寺と鐘楼・経楼の配置関係が納得できた。
毛越寺、遣水スペーサ、タテ遣水。山(塔山)から池(大泉ヶ池)へ水を引き入れるためのもの。素人目にはふつうの“水路”だが、歴史的・文化的にたいへん貴重なものらしい。歴史的には、奈良時代の宮廷庭園以外に例がなく、平安時代の唯一の例。文化的には、日本最古の作庭書『作庭記』の思想や技法に忠実に従っている。
毛越寺、常行堂1毛越寺、常行堂2スペーサ、タテ常行堂法華堂跡。常行三昧・法華三昧という天台宗の修行道場。平安時代創建の建物は慶長二年(1597)焼失、現常行堂は享保十七年(1732)の再建。発掘調査によって創建時とは場所が異なることが分かった。建屋外に素朴で大きなお地蔵さんが座っていたが、由来は不明。また、梵鐘があった。
毛越寺、出島と池中立石毛越寺、州浜から浄土庭園スペーサ、タテ池巡りは東岸へ。池の東側は道路に近く伽藍の遺構はないが、ここからの景観も素晴らしい。大泉ヶ池は東西180㍍、南北90㍍。 池のほぼ中央部に勾玉状の中島を配す。昔は南大門前から中島南まで反橋、金堂側から中島まで斜橋が架かってそうで、それらの橋挟石や橋杭は残存しているとのこと。
日本最古の庭園といわれる毛越寺の浄土庭園を時間、ゆっくり堪能し、いつか春も秋も冬も…と願いつつ、この旅最後の目的地(休養地)、飯坂温泉に向かった。

飯坂温泉2(万来)飯坂温泉1(摺上川)毛越寺~飯坂温泉(168㌔)は、一関IC・福島飯坂IC間は高速を利用し、昼過ぎ飯坂温泉に到着。飯坂はギョーザが有名、昼は飯坂温泉でギョーザと決めてきたが、どの店も閉まっている。 飯坂温泉3飯坂温泉4(鯖湖湯)スペーサ、タテいったん、旅館・商店が軒を並べる繁華街から十綱橋を渡り、今日の宿「入舟」に行き、「万来」だったら開いているかも、と教えてもらう。車を置かせてもらい、繁華街に戻る。 飯坂温泉6(飯坂温泉駅)飯坂温泉5(旅館入舟)「万来」で食事(夕食との間が短いので餃子&半ライス)。食事後、街をブラつく。泊まったことがある「ほりえや旅館」、入ったことがある「鯖湖湯」(滅茶苦茶熱かった)、今回泊まろうかと思った「なかむらや」
湾岸横浜ベイブリッジ東北道利根川橋(ちょっと高そうなので思いとどまった)。「入船」も泊まったことがある(⇒ブログ)。安くて食事も美味しいと評判の宿である。
31、飯坂温泉駅舎内にあるコンビニに寄り、1011(内3夜車中泊)の長い旅を終え、横浜への帰路に着いた(347㌔)。
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地形図1地形図2スペーサ、タテ松川荘を出発820三ツ石山登山口は松川荘の建物脇にある。岩手山登山口(姥倉山コース)も松川荘の駐車場の奥にある。 三ツ石山登山口スペーサ、タテ登山道1登山道2スペーサ、タテ三ツ石山荘(2004建替え後は三ツ石避難小屋)まで距離3.7㌔、標高差480m(三ツ石山はさらに900㍍・180mの登り)。
道標1スペーサ、タテ道は、初めは、多くはそうであるように、尾根に取り付くまでの急登。階段あり、ジグザグ道あり。2,300㍍ほどで尾根に出ると、ブナが目立ちはじめた。路傍には実となったサンカヨウ、ツバメオモト、マイヅルソウ。 昨日、足慣らしにそこまで登った[三ツ石山荘まで2.6㌔/松川温泉から1.1㌔](道標1)を通過。その先で、クマの“落し物”を登山道上に発見。八幡平に比べ はるかに 静かな登山なので大いに緊張する。 道標2、松川大橋分岐道標2スペーサ、タテ
尾根上の登山道は、時おり急坂もあるが、概して緩やか。930、ほぼ中間点の[三ツ石山荘まで1.9㌔/松川温泉から1.8㌔](道標2)]。松川大橋2.6㌔という分岐があったが、通行止の掲示板が立ちロープが張ってあった。
松川大橋とは何ぞや? 昭文社の登山地図にも国土地理院の地形図にも出ていない。ネットで調べると、昭和40年に着手された雫石・網張温泉と八幡平・松川温泉を結ぶ自動車道路(奥産道:奥地産業開発道路と称す)建設中に造られた橋。が、“諸処の事情”により、山岳部3㌔を残して工事凍結となり(平成10年)自動車道路は未完のままとなった。その後、未完部分を“登山道”として整備してつなぎ、他に例を見ない『県道登山道』なるものが誕生した。
三ツ石湿原1、避難小屋と三ツ石山スペーサ、タテ登山道3道標3スペーサ、タテブナ等の広葉樹に変わってツガ等の針葉樹が主役になり、[三ツ石山荘まで1㌔/松川温泉から2.7㌔](道標3)。小さな沢を下り上りするとこじんまりした湿原に出た(三ツ石湿原、1055)。前方に三ツ石山がなだらかな隆起を見せる。
三ツ石避難小屋2三ツ石避難小屋1スペーサ、タテリニューアルされた(ばかりの)綺麗な三ツ石避難小屋(三ツ石山荘)のテラスで休憩する。先客は若いペア、ほどなく三ツ石山に登っていった。その後も小さい女の子(聞けば小学2年生)を連れたお父さんやご婦人のパーティが南側のルート、たぶん網張温泉、から登ってきた。 三ツ石湿原2三ツ石湿原3、三ツ石山スペーサ、タテみんな三ツ石山(標高1466m)を目指す中、余力のない我々は、1132、落ち着いた紫のサワギキョウやタチギボウシ、あでやかな朱のクルマユリ咲く、山上の“宝石”のような湿原をあとにし、松川温泉へと戻った。

スペーサ、タテニッコウキスゲスペーサ、タテサワギキキョウ1サワギキョウ2スペーサ、タテクルマユリ1クルマユリ2スペーサ、タテタチギボウシ1タチギボウシ2タチギボウシ3スペーサ、タテサワギキキョウ、クルマユリ、タチギボウシなど
スペーサ、タテモミジカラマツ1モミジカラマツ2スペーサ、タテオトギリソウ無題スペーサ、タテサンカヨウ1サンカヨウ2スペーサ、タテツバメオモトスペーサ、タテハクサンシャジン1ハクサンシャジン2スペーサ、タテサンカヨウの実など
スペーサ、タテホソバノイソチドリ1ホソバノイソチドリ2スペーサ、タテマイヅルソウ1マイヅルソウ2マイヅルソウ3マイヅルソウ4スペーサ、タテ無題1無題2スペーサ、タテホソバノイソチドリ、マイヅルソウなど

松川温泉帰還115。サービスの温泉をいただき、横浜への帰路へ。しばらく一般道を走り、紫波ICで東北道、北上金ヶ崎PAで車中泊。夕食は東北道に入る前、インター近くのスーパー。明日(30日)は、一路横浜ではなく、飯坂温泉止まり(泊り)。距離は短いので、先年、中尊寺に新幹線&バス旅行したおり(⇒ブログ)、行けなかった毛越寺を見るつもり。
恐山霊場から117㌔、津軽湾沿いを快適にドライブし、7過ぎ、宿所ハイパーホテルパサージュに到着。ホテルは青森駅の近く、繁華街の中にあった。夕食はホテルと並びの「南大門」で焼肉をタップリ。“ジモピー”が多く美味であった。明日は朝寝して、毛無岱を歩く予定。大岳は?
酸ヶ湯登山口酸ヶ湯~下毛無岱スペーサ、タテ翌日(27)、連泊を予約して酸ヶ湯へ(840)。国道103号を走るのは何年ぶりだろう。酸ヶ湯到着935/出発105。いつもとは逆まわりの周回コースで、酸ヶ湯温泉の“裏山”へ。一登りでブナの森。
下毛無岱3(キンコウカ)スペーサ、タテ下毛無岱2(キンコウカ)スペーサ、タテ下毛無岱1スペーサ、タテ城ヶ倉分岐を過ぎ(1035)、木道が現れ始めると ほどなく 下毛無岱に入る(10時52分)。湿原に花の種類は少なく、一面 キンコウカが咲いていた。テラスを通過
下毛無岱~上毛無岱2(下毛無岱)スペーサ、タテ下毛無岱~上毛無岱1スペーサ、タテ下毛無岱4スペーサ、タテし、長い木の階段を上毛無岱に上がる(1130)。階段の途中から俯瞰する下毛無岱が八甲田の絶景ポイントの一つだ。 上毛無岱1上毛無岱2スペーサ、タテ上毛無岱も花の種類は少なく、キンコウカ、綿毛になったチングルマ、池塘のモウセンゴケなど。純白の小さい花が目にとまったが、名前が分からない。
酸ヶ湯(温泉と駐車場)上毛無岱9(テラスからパノラマ)スペーサ、タテテラスで長休憩し、大岳には登らず帰路。下毛無岱(1235)、酸ヶ湯(140-55)。ホテル着255。夕食は今日も焼肉「南大門」。
スペーサ、タテ上毛無岱3(チングルマ)上毛無岱4(モウセンゴケ)上毛無岱6(キンコウカ)上毛無岱7上毛無岱8(キンコウカとチングルマ)上毛無岱~下毛無岱下毛無岱5(タチギボウシ)

松川荘夕食松川荘外観28は移動日。青森から八幡平へ。162㌔。青森IC(東北道)松尾八幡平ICから八幡平樹海ラインを走り、松川温泉松川荘まで(1140)。松川荘は3ある松川温泉の1、5月泊まった松楓荘の先奥にある(松楓荘は満室だった)。残り1は松川荘のすこし奥にある峡雲荘。3つの中でいちばん高そうだ。
午後から利用可能ということだったが、明日の足慣らしに三ツ石山を往復2時間ほど歩いた。 松川荘に3人の子供がいた。7歳の男の子、3,4歳の女の子、生まれてまもない赤ちゃん。男の子に三ツ石山に登ったことがあるかと聞いたら、まだないという。小学校は東京で、夏休みで帰ってきている。これは会話に加わったおばあちゃんの説明。そして、話の続きは驚くべきことだった。東京の住まいは調布、小型飛行機が墜落した現場の近く。事故に巻き込まれた家も知っているし、亡くなった女性にも会ったことがある。女性は帰省中にこの事故に遭ったそうで、『人生まことに一寸先は闇』である。
25は道央道野幌PAから函館まで。回転ずし函太郎(今日は五稜郭支店)と、先日(22)時間切れだった六花亭に行く。宿は“現地”予約のコンフォートホテル函館。函館国際は割高料金でパス(というより22が限定割安料金)。
※以前、ケータイから宿を検索・予約したことがあり、目の玉が飛び出るようなパケット通信料を支払った。以来(最適な料金プランを都度設定するのも面倒なので)ケータイは電話のみの使用に限定している。

函館~大間3、カモメ函館~大間2函館~大間1スペーサ、タテ26、午前便(9:10)に乗船。乗客が与える餌が目当てのカモメが 十数羽 船の後を追う。そのカモメが函館へ戻る頃、函館(北海道)は霧の中に見えなくなった。 函館~大間4函館~大間5函館~大間6スペーサ、タテ平均寿命からすれば余命十年足らず、健康寿命ではアト数年の人生、再び北海道を訪れる機会はくるだろうか? どう楽観的に考えても南暑寒岳は今回が最後だろう。デッキから津軽海峡を眺めながら、一種の感傷が心身をよぎる。
大間~尻屋崎3大間~尻屋崎2大間~尻屋崎1スペーサ、タテ大間に着いてすぐ尻屋崎に向かう(1045~)。距離66㌔。目的は灯台、灯台よりも寒立馬(今はさしずめ“暑”立馬)。予定は、その後、私は行ったことがない恐山に時間次第で寄り、青森まで。 大間~尻屋崎4大間~尻屋崎5スペーサ、タテ走り出して気づいたことは、この近くには使用済核燃料貯蔵庫や燃料再処理工場があるということ。従来、使用済核燃料は原発の敷地外に運び出すことは法律で禁止されていたが、その保管に困った東京電力は、行政を動かし法律を変えてしまった。そして、むつ市や六ヶ所村は見返りに巨額の交付金を手に入れた。寒立馬が生息しているのは、そういう危険な場所と隣り合わせなのである。

尻屋崎1スペーサ、タテそろそろ岬と思う頃、大きな工場が現れた。こんな“文明の地”に灯台があり、野生馬がいるのだろうか? 車道は先に延びている。いささか訝しながら進むと、白亜の灯台が忽然と現れ、小さな売店が1軒立っていた。寒立馬は? いたいた! 岬の突端、灯台のそばに一団となって集まっている。広い草原のアチコチに群れているというイメージとは違ったが、ともかくも売店横の駐車場に車をおき、馬さんたちのところへ。その数50足らずか。あたりをみまわしても、そこ以外に馬の姿はない。
寒立馬~親子A1スペーサ、タテ寒立馬~親子A2スペーサ、タテ寒立馬~親子A3スペーサ、タテ寒立馬~親子B1スペーサ、タテ寒立馬~親子B2スペーサ、タテ寒立馬~親子B3スペーサ、タテ
寒立馬~親子Cスペーサ、タテ寒立馬~親子Dスペーサ、タテ寒立馬~親子Eスペーサ、タテじっと佇むもの、一心に草を食むもの、皆思い思いである。数組の親子がいた。仔馬は(ほとんど)いつも母馬から離れない。というか、母馬がつねに仔馬に寄り添っている。
寒立馬との交流スペーサ、タテ勇気ある外人さんの家族が一頭の馬に触れている。私たちも触れてみた。逞しい馬格。が、実にやさしい眼差し。それにおとなしい。しかし、ドッドッと大きな足音をたてて後ろから近寄ってくると怖い。 寒立馬~ペアB2スペーサ、タテ寒立馬~ペアB1スペーサ、タテ寒立馬~ペアA2スペーサ、タテ寒立馬~ペアA1スペーサ、タテもちろん背後に立つことは厳禁。つぎに、目にとまったのは仲のよいペア二組。一組なんぞはつねにピッタリくっついて、まったく“二人の世界”に浸っていた。
寒立馬~種馬スペーサ、タテ寒立馬~ミス?シリヤザキスペーサ、タテ寒立馬~ミズ?シリヤザキスペーサ、タテ 管理人らしき人―実は見物客の一人、尻屋崎にはよく来るらしい―に尋ねると、馬の数は現在36(?) 今年は新たに6が生まれた→4頭は確認 父親つまり種馬は一
寒立馬~集団1スペーサ、タテ頭→さすがにひときわがっしりしていた(写真:上左) 冬季は越冬放牧地で過ごす、尻屋崎への道路は閉鎖される 出産は(原則)自力、管理人さんの夏場の主な仕事は車道の馬糞を片付けるくらい? 大はところかまわずだが、小
寒立馬~集団2スペーサ、タテ寒立馬~集団3スペーサ、タテ寒立馬~集団4スペーサ、タテ寒立馬と尻屋崎灯台スペーサ、タテといっても量は膨大)は決まっているらしく、1所に順番に用を足していた。

尻屋崎6~カワラナデシコ尻屋崎5~ハクサンシャジン尻屋崎4~エゾカンゾウ尻屋崎2~ハマナス尻屋崎3~エゾフウロスペーサ、タテ いったん馬の群れを離れ、岬の散策へ。尻屋崎は本州最
尻屋崎灯台尻屋崎海岸(東)尻屋崎海岸(西)スペーサ、タテ北東端の地(東経141280/北緯41257)、海岸・海崖には高山性植物も咲く。ハマナス、チシマ(エゾ)フウロ、エゾカンゾウ、ハクサンシャジン、カワラナデシコなどなど。岬の主役はふつう灯台だが、尻屋崎では“脇役”。その灯台(尻屋崎灯台)は、初点灯 明治91020、光度53カンデラという、歴史物かつ国内最大級の灯台だった。散策の途中、真の管理人さんに会う。どうして岬の突端に集まっているか問うと、虫から逃げているのだそうだ(岬の突端はほかより風が強いので虫は飛ばされる)
寒立馬~集団5スペーサ、タテ寒立馬~集団6スペーサ、タテ再び、“主役”のところへ。馬たちは突端から内地に移動し、群れもバラケ始めていた。 寒立馬~集団7スペーサ、タテ一日いても飽きることはなさそうだが、そういうわけにもいかない。次回は 是非冬季 正しく“寒立馬”に会いたいものだと思いつつ、尻屋崎をあとにした。管理人と間違えた御仁は、増え始めた見物客の中にまだいた。

恐山霊場2恐山霊場1恐山霊場に行く。尻屋崎から41㌔。特異な景観ではあるが、若かりし頃、ある写真集(山と渓谷社『美しき日本』?)で見て感じたような“寂寥感・荒涼感”は少なかった。羽黒山五重塔もこの写真集で初めてその存在を知って以来、たびたび、訪
恐山霊場5恐山霊場4恐山霊場3スペーサ、タテれている。恐山霊場はかなりの観光客or参拝客で賑わっていた。1時間ほど場内を巡り、最後は宇曾利湖畔。ここの風景は独特で、強く印象に残った。
恐山霊場7(宇曾利湖)恐山霊場6旅は終盤へ。今宵の宿は道の駅、ではなくて、昨日確保済の青森市内のビジネスホテル「ハイパーホテルパサージュ」
暑寒湖(ダム湖)道道432号道央道滝川インター道央道からスペーサ、タテ23 函館から雨竜沼湿原の登山口まで移動。走行距離426.5㌔。道央自動車道が大沼公園まで延び、だいぶん楽になった。それでも『ルート案内』による所要時間は7時間を超える。 暑寒ダム~南暑寒荘1暑寒ダム~南暑寒荘2暑寒ダム~南暑寒荘3暑寒ダム~南暑寒荘4暑寒ダム~南暑寒荘5スペーサ、タテ
函館を8過ぎに発ち、2前、滝川ICを出る。登山口にある山小屋は素泊まりなので、インター近くのスーパーで買出し。暑寒ダムを過ぎると、道はダート。昨日・今日、雨が降ったのか?穴ぼこには水が溜っている。幅も狭く、対向車を気にかけながら進む。行政は“現金な”ものだ。異なことに、ところどころ立派な2車線舗装道路が現れる。ダムから14㌔、330、登山口駐車場(雨竜沼湿原ゲートパーク)に着いた。

南暑寒荘(雨竜沼湿原ゲートパーク)スペーサ、タテ駐車場では、今下りてきたばかりという風の十名近いグループが帰り仕度をしていた。姫路から来たという。雨にかなり降られ、湿原止まりで山(南暑寒岳)はパス。最も気になるクマ(ヒグマ)については、親子が 時おり 湿原まで下りてくるらしいが、大勢なので心配はしなかったとのこと。私たちは心配である。明日、少なからず多からずの登山者がいればいいが。今現在、ほかに登山者はいなそうである。 南暑寒荘2階南暑寒荘1階スペーサ、タテ
南暑寒荘の利用手続きをする。管理人は気さくなちょっと年配のおじさん。外トイレもあるので、車中泊やテント泊もできるが… 宿泊棟は別棟。2に相部屋の4室があり、1は共用階。トイレはもちろん、炊事室やシャワー室まである。炊事室は電気コンロで鍋やヤカンを常備、自前のガスストーブの使用は不可。シャワー室は男女別々。これで利用料は@1000。ほかに湿原に入るには環境美化整備等協力金(@500)を払う。これは日帰り客も車中泊客も払う。かなりの人数を収容できるが、結局、今夜は私たち二人だけだった。
おじさんの説明のペースがだんだん早くなり、(そそくさと)管理棟に戻っていった。ほどなく、若い女性二人連れが下りてきた。管理棟の前でにこやかに迎えるおじさん。どうやら、彼女らのご帰還を待っていたようだ。姫路グループと同様、雨に遭ったはずだが、その立居振舞の溌溂としたこと。やはり“若さ”ゆえか。 夕食後、車が1台やってきた。男女二人連れ。小屋には入らずに車中泊。その時は、遠目かつ薄暗くて分からなかったが、翌日、私たちより早発ちした彼らと南暑寒岳“偽頂”で遭遇。高校生と思しき男の子と母親だった。

出発(南暑寒荘)スペーサ、タテ翌朝(24)61出発。第一目標は湿原展望台まで(歩行距離6㌔/標高差370m)第二目標は南暑寒岳(9.2㌔/756m)マップ1:南暑寒荘から雨竜沼湿原マップ2:雨竜沼湿原から南暑寒岳スペーサ、タテ緩やかに上る林道を800㍍ほど歩くと第一吊橋。そこからは路傍にエゾアジサイが咲く山道。続いて第二吊橋。二つの橋とも冬期(10中旬~6中旬)には撤去されるそうだ。
第一吊橋スペーサ、タテ白竜の滝1白竜の滝2スペーサ、タテ第ニ吊橋1第二吊橋2スペーサ、タテ途中に、白竜の滝がある。分岐から滝に下る道は草木に覆われ、滝もよく見えなかったが、そこから5分ほど上ると、滝がよく見えた。落差36mという。見応えのある滝だった。
雨竜町観光協会websiteによれば、今年の雨竜沼湿原の入山開始日は613。『百名山一筆書き』に続き、『二百名山・・・』にチャレンジ中の田中陽希は 529 増毛側から暑寒別岳に登り雨竜町に下りたが、吊橋はまだ架かっていなかったはず。どうやってペンケペタン川を渡ったのだろうか? ネットの日記やテレビの放送からでは分からない。

湿原入口手前靴底洗い場スペーサ、タテ第二吊橋が雨竜沼湿原までのちょうど中間点、そこからはきつい登り。久しぶりの“登山”に喘いだが、急登は長くはなく(30数分)、空が広くなり、ペンケペタン川に沿った気持ちよい道となった。 湿原テラスへ湿原入口テラスほどなく前方の展望が一気に開けた。「靴底洗い場」で入念に“下界の泥”を落す。湿原入口テラスを過ぎ、湿原テラスで一休み(752-57)。その時、湿原テラスに居たのは我々だけ。テラスはおろか、湿原を見渡しても人影がない。 湿原テラスペンケペタン川(湿原テラス)スペーサ、タテ7年ぶりの雨竜沼湿原 しかし 湿原は緑一色、花がほとんど見当たらない。一ト月近い時期の違いだろうか? 7年前(77)は、湿原にはコバイケイソウ・エゾカンゾウ・ワタスゲなどが咲き乱れ、池塘はミツガシワがいっぱいだったが…。今日は暑寒別岳、南暑寒岳も雲の中である。
雨竜沼湿原は標高850mに広がる東西4㌔、南北2㌔の高層湿原。湿原内には4㌔の周遊木道が敷かれている。深田久弥は雨竜沼湿原を「天上の楽園というありふれた言葉もここでは真実であった…中略…名もなくほったらかされているのも北海道の山の贅沢さである」と書いているそうだ。何とも評しがたい文章であるが、彼の頃は木道や橋もなかったのだろうか?

湿原テラスから雨竜沼湿原(パノラマ)スペーサ、タテ湿原テラスから浮島橋分岐を周回木道に入ると、すぐエゾノシモツケソウとエゾクガイソウが一団となって咲いていた。周回路は“一方通行”なので写真を撮る。シモツケソウはその後も見たが、クガイソウはここだけだった。 湿原周回路へ(浮島橋分岐)スペーサ、タテ湿原のほぼ南端に達し、右へ向きを変える。ワタスゲはわずかしか残っていない。穂(毛槍)もショボショボ。イワイチョウやヒオウギアヤメは、数は多くないが花はまだしっかりしていた。 湿原展望台・南暑寒岳へ(南暑寒岳分岐)スペーサ、タテ湿原周回路を南暑寒岳分岐へ湿原周回路を南暑寒岳分岐へスペーサ、タテ
周回路を離れ湿原展望台へ。“半”登り(坂の途中)で湿原展望台。坂の登り口にはシナノキンバイソウがかなりの数群生。奥にエゾカンゾウが数輪。望遠で狙ったがピンボケだった。ひとしきり湿原を展望し(855~95)、南暑寒岳を目指すことにした(3.2㌔/386m)。

残り“半”を登りきると、緩やかな草原が続く(1.5㌔/100mほど)。笹刈りされた道の両側は丈の高い藪で、風通しも視界も悪い。喉元が朱の可愛いノゴマを2,3度見たが、撮影のチャンスは逃した。そろそろヒグマの生息域。少なくとも(車中泊した)先行者が二人はいるはずだが心配になる。子グマは見てみたい。が、母グマはゴメン。日頃は会話が少ない二人だが、孫のこと・旅のことなど話しながら歩く。会話が途切れると、熊鈴を思い切り振り トレッキングポールを敲く。
偽頂から南暑寒岳と暑寒別岳南暑寒岳偽頂から雨竜沼湿原遠望南暑寒岳偽頂から暑寒別岳スペーサ、タテやがて、笹原がチシマフウロ咲く草原に変わり、最後の登り(200m)を頑張り、1050、南暑寒岳山頂と思ったら、“本”頂はも一つ
南暑寒岳山頂南暑寒岳から雨竜沼湿原遠望南暑寒岳から暑寒別岳への道スペーサ、タテ先。もっとも“偽”頂から5足らず。湿原の眺めは(当然)“偽”頂からのほうが優れている。その遠望を楽しんでいると、件の親子二人が“本”頂から下りてきた。一瞬、暑寒別岳
南暑寒岳から雨竜沼湿原遠望(パノラマ)スペーサ、タテから戻ってきたかと勘違いしたが。登山客はほかに3,4組。単独の若者を除けば、我々同様高齢だった。南暑寒岳標高1296m)を往復し、1130、下山の途につく。
エゾシマリススペーサ、タテ湿原テラスへ南暑寒岳分岐から雨竜沼湿原湿原展望台から雨竜沼湿原スペーサ、タテ湿原展望台15-15、湿原テラス210-20。南暑寒荘(登山口駐車場)350-4
南暑寒荘に戻ると、木の下にナントシマリス
あたかも『お帰りなさい』とでも云っているようだった。

エゾクガイソウとエゾノシモツケソウスペーサ、タテエゾノシモツケソウスペーサ、タテエゾクガイソウ1スペーサ、タテエゾクガイソウ2スペーサ、タテワタスゲスペーサ、タテエゾクガイソウとエゾノシモツケソウ、エゾノシモツケソウ、エゾクガイソウ2、ワタスゲ
ヒオウギアヤメスペーサ、タテイワイチョウスペーサ、タテクロバナハンショウヅルスペーサ、タテエゾカンゾウスペーサ、タテナガボノシロワレモコウスペーサ、タテヒオウギアヤメ、イワイチョウ、クロバナハンショウヅル、エゾカンゾウ、ナガボノシロワレモコウ
チシマフウロの群落スペーサ、タテチシマフウロスペーサ、タテチシマアザミスペーサ、タテチシマフウロの群落、チシマフウロ、チシマアザミ(湿原展望台~南暑寒岳)
シナノキンバイソウスペーサ、タテマシケオトギリソウスペーサ、タテエゾノヒツジグサスペーサ、タテウリュウコウホネスペーサ、タテシナノキンバイソウ、マシケオトギリソウ、エゾノヒツジグサ、ウリュウコウホネ

帰路、『雨竜沼湿原登山ガイド』に載っていた「いきいき館」の入浴施設で汗を流し、滝川IC近くのスーパーで夕食。何はともあれ、本州へ渡るフェリーは予約しなければならない。それを(26910)を確保し、その日は道央道野幌PA止まり(泊まり)(813~)。
大間FTスペーサ、タテ横浜から長駆870㌔、715、津軽海峡フェリー大間港に到着。フェリーは明日の午前便(7)、今夜(21)は駐車場で車中泊である(函館港は宿泊不可)。翌朝(22)、フェリーターミナルが開くのを待って乗船手続きをする(当日受付)。 津軽海峡フェリー1津軽海峡フェリー2スペーサ、タテ
大函丸は定刻に大間を出港。波静かな津軽海峡、が潮流は早い(日本海側から太平洋側へ)。ことに 大間沖は津軽海峡でも狭くなっている部分なので早い。毎時13㌔程度だそうだ。競泳100㍍の世界記録(469)の1.7倍である。函館山をまわるように函館湾内に入り、90後の830函館港に着岸した。
青森~函館ではなく大間~函館を利用したのは、イ.7月中は予約しなくても大丈夫という情報、ロ.北海道(雨竜沼湿原)の行きか帰り 尻屋崎を訪れる予定であることによる。また 利用してみて、ハ.1時間30という短い所要時間も、2等客にとっては、ありがたいことが分かった(青森~函館は3時間40分)。
五稜郭タワーから五稜郭五稜郭タワーから津軽・下北遠望スペーサ、タテ二度目の函館(連れは四度目?)、とくに観光先は決めていなかったが、五稜郭へ。公園内をゆっくりのんびり歩き、五稜郭タワーに昇り 歴史回廊で ペリー来航から箱館戦争の終結までをタップリ勉強する。五稜郭の築造
五稜郭3五稜郭2五稜郭1スペーサ、タテは意外と新しく、安政四年(1857)開始、元治元年(1864)完成。五稜郭公園はフリー、たくさんの桜、市民にとっては格好の憩いの場だろう。
立待岬スペーサ、タテ回転ずし函太郎(宇賀浦本店)でお昼。(一、二度食べたことがある)築地に劣らぬ旨さ・築地に勝る安さだった。とりわけ、期間限定だがマグロ三昧が逸品だった。食後、立待岬で時間を潰し、チェックインする。宿はベイエリアに近い、外国人(中国人)宿泊客が多い“高級ホテル”(函館国際ホテル)。 旧ホテルニューハコダテ八幡坂2八幡坂1ラ・コンチャ
一休み後、市電と徒歩で、五稜郭タワー展望階から見つけた六花亭に行ったが、15遅く、閉店。
ベイエリアに戻り、スペイン料理の店『La Concha、ラ・コンチャ』で夕食。ここは前回泊まった『ホテルニューハコダテ』に教えてもらった店。そのホテルニューハコダテは旧安田銀行函館支店を利用したもので、構造上、狭く不便なところもあったが、泊まるだけならじゅうぶん。レトロな味わいのあるホテルだった(⇒ブログ)。残念ながら閉館となってしまった。食後、八幡坂を上り下りしてホテルに戻る。

明日(23) 南暑寒荘に移動し、その翌日(24)、“あの感動よ 今一度”、『雨竜沼湿原』を歩く予定である(⇒ブログ)。天気予報を睨みながらのディシジョンだが、「24は曇り一時晴れ、その前後は曇り時々雨」
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