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山中城跡案内板スペーサ、タテ国指定史跡『山中城跡』は三島市街から国道1号線を箱根方面へ30ほどのところにある。小田原に本城をおいた北条氏(後北条氏)が、永禄年間(1560年代)、小田原防衛のために創築した“山城”。天正十七年(1589)、豊臣秀吉の小田原征伐に備え急ぎ西の丸などを増築したが、翌年三月、圧倒的多勢に無勢(7vs4)にわずか半日で落城したと伝えられている。
足柄SAから富士スペーサ、タテ石を使わない山城の最後の姿をとどめており、北条流の築城技術(障子掘など)をよく知ることができる遺構である。また富士山の絶好のビューポイントであり、それがこの旅の大いなる楽しみの一つだったが、あいにくの曇り空だった。
スペーサ、タテ西の丸スペーサ、タテ西の丸、見晴台から障子掘跡ジョウビタキスペーサ、タテ西の丸から北の丸・本丸へ
スペーサ、タテ北の丸エナガがいた木々北の丸と本丸をつなぐ木橋本丸天守櫓スペーサ、タテすりばち曲輪
山中城跡から愛鷹山スペーサ、タテ山中城跡を2時間ほど散策したあとのお昼は、この旅最大の楽しみ“鰻!!。店は人気No.1という桜家ではなく、沼津港に近い『京丸』。記憶をたどれば鰻はリタイア後“初めて”である。京丸から三嶋大社に向かう途中にあった『桜家』の前は順番を待つ客で溢れていた。

柿田川公園案内図スペーサ、タテ一人当たりにすれば 実質 生活保護費並みの私の年金では滅多に口にできない「うな重ランチ」のあと三嶋大社に向かった。が、三嶋大社前の市街地道路は駐車待ちの車が長蛇の列、この旅のもう一つの目的地、柿田川湧水に行く。
柿田川公園柿田川公園柿田川公園スペーサ、タテ柿田川湧水の源は富士山。40㌔北の富士に降った雨・雪が十数年といわれる歳月を経て湧きだしている。公園(柿田川公園)になっており、数箇所の湧出し口が見られる。その一つは製紙会社が使っていた井戸である。八ツ橋から第ニ展望台へと散策する。
クロセキレイ4クロセキレイ3クロセキレイ2クロセキレイ1スペーサ、タテ第一展望台の(湧水口ではなく)岸辺の浅瀬にクロセキレイが1羽いた。ハクセキレイは(家の近くの)長浜公園にもたくさんいるが、クロセキレイは珍しい。遠目ではっきり
スペーサ、タテクロセキレイ5クロセキレイ6クロセキレイ7クロセキレイ8クロセキレイ9クロセキレイ10クロセキレイ11クロセキレイ12クロセキレイ13クロセキレイ14
柿田川公園河津桜竹倉温泉錦昌館分からないがまだ子供のようにも見える。遊んでいるのか?獲物を探しているのか?何やら一心に、落ち葉を咥えては抛り投げている。ひとしきりクロセキレイを楽しんで、竹倉温泉錦昌館』に行く。温泉は鉱泉、食事も美味しく、いい宿だった。

三嶋大社神門(彫刻)三嶋大社神門スペーサ、タテ三嶋大社・大鳥居から総門の参道スペーサ、タテ翌日 三嶋大社へ。朝早い(930頃)駐車場はガラ空き。三嶋大社、祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)三嶋大社・舞殿と本殿スペーサ、タテ三嶋大社本殿三嶋大社本殿(彫刻)スペーサ、タテ二柱の神を総じて三嶋大明神と称す。創建の時期は不明だが、奈良・平安時代の古書にも記録が残る。三嶋神は東海随一の神格と考えられ、「三嶋」は地名ともなった。
三嶋大社の金木犀三嶋大社の金木犀ケヤキの大木(三嶋大社)紅梅白梅(三嶋大社)巨樹クス?(三嶋大社)スペーサ、タテ三嶋大社は社殿、多くは慶応二年(1866)の再建、も風格があるが 、鬱蒼とした森も素晴らしく、名木・巨木・巨樹が多い。福太郎茶屋・福太郎団子(三嶋大社)スペーサ、タテその代表は日本一の『金木犀』。樹齢はナント1200という。国指定の天然記念物である。その他は大鳥居から総門への参道の桜並木、大きな池の端にあるモッコクやケヤキの大樹、客殿前のクス?はびっくりするほどの巨樹であった。大社をあとにする前、福太郎茶屋で一休み。赤福風のアンコで包んだ抹茶味のダンゴ(福太郎団子)は素朴で上品だった。
お昼は『京丸』よりさらに港寄りの『魚がし鮨沼津港店』。さすが沼津!! 東京・横浜では味わえない値段の旨いにぎりだった。店内は、裕福な年金族だろうか?グループの高齢者でいっぱいだった。
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