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熊本から横浜の帰り、瑠璃光寺を訪ね、西の京と呼ばれる山口市内を歩いた。

その名も優雅な瑠璃光寺は大内氏の栄華を今に伝えるものの一つですが、その歴史、五重塔との関係は少々複雑です。
瑠璃光寺スペーサー大内氏は元々周防の豪族だったが、中興の祖といわれる24代弘世(1352-1380)が、室町時代(1336-1573)、周防・長門の守護大名となり、繁栄の基礎を築く。次代義弘(1380-1399)は、さらに豊前・筑前・石見・安芸も治め勢力を拡大するが、それに危機感を持った足利義満(1368-1394)によって排除される(応永の乱。戦死)。治世・文学に秀で、信仰心も厚かった義弘が、現在、瑠璃光寺がある場所(香山公園)に建てた寺院の一つが香積寺で、その境内に弟盛見(26代)が、兄義弘の菩提を弔うために五重塔を建立した(1442年落慶、但し盛見は造営中に戦死)。いっぽう、瑠璃光寺(旧名:安養寺)は大内氏の重臣、陶氏(すえし)が仁保というところに建てたもの(1471年)。関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は家康によって萩に移封され、香積寺を萩に引寺するが(1604年、実際は建築資材の流用のための解体)、五重塔は解体を免れる。その跡地に、仁保から瑠璃光寺を移築(1690年)、これが現在の瑠璃光寺である。ちなみに大内氏は陶氏の謀反が引き金となって滅亡します(1557年)。
つまり、五重塔は「香積寺の五重塔」だったわけです。瑠璃光寺の伽藍と五重塔が何となく一体感がないのは、このような変遷からでしょうか?

瑠璃光寺五重塔スペーサーつぎに五重塔。日本三名塔の一つに数えられ(あと2つは法隆寺五重塔と醍醐寺五重塔、醍醐寺も行ったことがあるが 惜しいことに よく覚えていない)日本で10番目に古く(嘉吉二年(1442)建立)、国宝である。境内の外、池を前に小山を背に立つ。以下、説明の引用・・・高さ31.2m。軽快な桧皮葺で軒の出は深い。塔の身部は上層にゆくにつれ間をつめているので、塔の胴部が細く見えすっきりした感じである。いっぽうで、初重の丈が高く柱が太く、二重目には縁高欄もあるので安定感もある。室町時代のものとしては、装飾の少ない雄健なものである。
※瑠璃光寺五重塔は日本で十番目に古いということで、それより古い塔を調べてみた。一番古いのはもちろん法隆寺(31.5m)。二番目は室生寺、奈良末期から平安初期の建立、国宝、但し 1998年9月の台風でそばの杉の木が屋根を直撃 大修理が行われた、高さは16.1m。三番目は醍醐寺、952年建立、高さ38.2m、国宝。以下…海住山寺(京都府相楽郡加茂町、1274年、17.7m、国宝)、明王院(福山市、1348年、29.1m、国宝)、羽黒山(1372年、29.4m、国宝)、厳島神社(1407年、重文)、興福寺(1426年、50.8m、国宝)、法観寺(京都、1440年、38.8m、重文)。こうみると、瑠璃光寺五重塔は高さでも他にひけをとらない。日本一高い五重塔は東寺の55m、1614年の建立。二位は興福寺である。奈良の薬師寺東塔は三重塔、730年建立、高さ33.6m。

瑠璃光寺五重塔…昼のスナップ
スペーサー①池を前に小山を背に立つ五重塔②五重塔・丈の高い初重③五重塔・深い軒の出④五重塔・檜皮葺の屋根⑤五重塔と紅葉
①木々に囲まれ池の畔に静かに立つ五重塔、なかなか美しい。②時の流れを感じさせる風格のある初重、阿弥陀如来像と大内義弘像を祀ってあるという御堂の中は見ることができなかった。③深い軒の出(垂木)。④檜皮葺の屋根、裏の小山から撮影。⑤紅葉と五重塔

瑠璃光寺・大念珠瑠璃光寺・回廊と鐘楼と五重塔瑠璃光寺境内
山門をくぐり境内へ。さほど広くない。回廊、鐘楼、本堂を一通り見て歩く。目を引いたのは大念珠(写真)と人生訓タオル。大念珠は8個の珠(たま)を一つづつ落として煩悩を取り除くという趣向。アイデアマンのお坊さんが考え出したものだろうか? 1個づつ落とすのはけっこう難しい。
人生訓タオルにいわく『人生は七十才より…七十才にてお迎えあるときは今留守と言え 八十才にてお迎えあるときはまだまだ早いと言え 九十才にてお迎えあるときはそう急がずともよいと言え 百才にてお迎えあるときは時機を見てこちらからボツボツ行くと言え』
瑠璃光寺は山号「保寧山」、宗派は永平寺と総持寺を大本山とする曹洞宗です。

ライトアップされた五重塔
①②③④⑤スペーサー三脚を持ってこなかったので“手ぶれ”に苦労した。参考までにシャッター速度は、①0.5秒(520) ②1秒(529) ③1秒(526) ④1.5秒(536) ⑤1.5秒(543

萩往還1萩往還2寺前の東京庵という店で“名物”の蕎麦寿司を食べ(ふつうの蕎麦の方がおいしい)、同じく寺前の御堀堂で“名物”の外郎を求める(外郎は名古屋や小田原にもあるが山口のが一番好きである)一の坂川スペーサー
その後、五重塔のライトアップまで時間があるので、萩往還のほんの“さわり”を歩き、山口市内を歩く。「西の京」と呼ばれる山口だがそのイメージは薄く、「鴨川」になぞえらたという一の坂川もふつうの川だった。湯田温泉(週末の割高値段で泊まれず、宿は山口インターのビジネスホテル)を歩けば、京の雰囲気を味わえたのかもしれない。SL「やまぐち」号(旧:貴婦人)の運転も11月14日までだった。 山口ザビエル記念聖堂スペーサー
夕食は瑠璃光寺の前の案内所で教えてもらった山口ザビエル記念聖堂のレストランに行ったが、イベントがちょうど終わったときで(写真)、人が溢れていた。割安・美味のバイキングを腹いっぱい食べる。
翌日(2日)、新東名・東名を走行中、道路情報表示に「中央道笹子トンネル“災害”で通行止め」とある。地震や大雨があったふうでもなく不可解に思いつつ深夜帰宅したが、ニュースで“災害”が「ボルトがはずれた天井板落下」だったことを知って驚き、中日本高速道路社長の『関係する皆さまに“ご迷惑”をおかけし申しわけありません』と(責任を負わないよう注意深い)コメントには感心した。
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