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所用で福岡・熊本に行ったさいの『福岡・熊本ミニ観光』です。
225:福岡・志賀島
マップ志賀島へ志賀島(しかのしま)は博多湾に浮かぶ周囲11㌔の小島、福岡市街と長い砂州「海の中道」で繋がった陸続き(陸繋島、りくけいとう)です。25半日、志賀島を訪れました。
その「海の中道」の上に作られた志賀島橋を渡って、志賀島へ。
潮見展望台1潮見展望台2スペーサー1.島の最高所(海抜170m)にある潮見公園展望台から海の中道と福岡市街を一望。志賀島は緑豊かな島、開発されているのはごく一部です。
万葉歌碑スペーサー2.志賀島は「万葉の島」とも呼ばれ、島内に10個の石碑があるそうです。写真は潮見公園にある四号歌碑
『志賀の浦に漁(いさり)する海人(あま) 明けくれば浦み漕ぐらしかじの音きこゆ
博多湾の志賀の浦で漁をする人々が夜が明けてくると海岸沿いに船を漕いで急いで帰っている。そのかじの音が聞こえる、という意味。天平八年(736)に新羅に派遣される使節一行が詠んだ歌の一首で、奈良の都では味わえない海辺の旅情とともに望郷の念を表している
、という説明が付いていました。
志賀海神社1スペーサー志賀海神社2志賀海神社3志賀海神社4スペーサー3.志賀海神社。島の東岸、階段をすこし登ったところにあります。高台にあるとは思えない広い境内でした。祭神は綿津見三神、三神とは海の底・中・表を守る海の主宰神。創建は1800年前(とされる)、現在の社殿は約350年前の再興だそうです。 志賀海神社5スペーサー
4.志賀海神社境内にある遥拝所。神社から何を拝むのかと思ったら、右斜め対岸の大嶽神社・小嶽神社と正面真東の伊勢の神宮、宮中三殿等を拝する、のだそうです。鳥居に元に雌雄の亀(石)が並んでいます。
立札の説明が面白かったので引用します。
その昔、神功皇后が三韓へ出兵される際、正面対岸の打昇浜にある亀ヶ池・亀住池の辺りにて無事凱旋できるよう、阿曇磯良丸を通じ祈願され七日七夜の神楽を奏された。すると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が出現し、皇后へ干珠満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り導くと伝え、黄金雌雄の亀は亀ヶ池・魚住池に放たれたが、後に石となって現在の金印公園近くに現れ、寛文十年(1671)に社前に納められた。
沖津宮二見岩志賀島の海岸は東側は荒々しい岩礁、北側は白砂青松の砂浜と対照的。西から南にかけては漁港が点在する。 5.東海岸二見岩。岩の上で、おりから、ウミウが羽を休めていました。6.北にある沖津宮。大潮とときは歩いて渡れるそうです。手前には中津宮があります。 休暇村海水浴場1休暇村海水浴場2スペーサー
7.休暇村志賀島の前、沖津宮の左に広がる砂浜(休暇村海水浴場)。玄界灘の荒波が打ち寄せる砂浜では数名のサーファーが波乗りをしていました。(沖津宮の)右側にも海水浴場があります(勝浜海水浴場)。
蒙古塚スペーサー8.蒙古塚。元寇・文永の役(文永十一年、1274)で、蒙古軍の船多数が台風のため沈没、大破した。蒙古塚は その時 捕虜となり処刑された兵士の供養塔で、昭和3年、日蓮僧・高鍋一統の提唱で建てられたもの、だそうです。 金印公園1金印公園2スペーサー
8.金印公園の金印の碑とウメ・スイセン。かの有名な金印『漢委奴国王』の“碑”。金印は建武中元二年(57)に後漢の光武帝が「倭奴国」に与えたとされている。1787年、百姓の甚兵衛さんが偶然に掘り出したといわれる。実物(国宝)は福岡市博物館に展示されているそうです。 福岡市街へスペーサー
3時間半余りの、自然と歴史ロマン、それも古代の、溢れる志賀島のドライブとウォーキングを終え、海の中道を福岡市街へ。
福岡・博多の夜といえば“中州の屋台ラーメン”。現役の頃の福岡出張のさいの大きな楽しみで、夕食のあと行ってみました。しかし、店員は家系ラーメン店風で若いお兄ちゃん、お客も韓国や中国からの観光客が多数。昔の風情はありませんでした。

228:熊本・城下町(古町)めぐり
小生、幼少から社会人になるまで熊本で育ちましたが、かっての城下町の趣を残す街並みがあるとは知りませんでした。BS朝日『歴史発見 城下町へ行こう』でそれを知り、28のひととき、その街並みを歩いてみました。
船場橋スペーサー市内を流れる3つの川の一つ、坪井川に架かる船場橋。「船場」は肥後手まり唄『あんたがたどこさ』に出てくる「船場」で、坪井川は、昔、船場川と言い、このあたりは船着場でした。唄にちなんで、エビとタヌキを象った橋柱燈が設けられています。川のそばには小高い繁み、せんば山があったそうです。
明八橋明十橋スペーサー“大河”白川に懸かる橋は近代的な橋にとって変わられましたが、坪井川には明治時代に架けられた橋が残っています。写真は明八橋(明治8年架設)と明十橋(明治10年架設)。
城下町の水スペーサー熊本市の水道水源は100㌫地下水で、自慢の一つですが、これは人口50万人以上の都市としては日本唯一。その豊富で良質な地下水は、年間約2000㍉の雨(そのおよそ1/3が地下水となる)と阿蘇火山が作った大地が育んだもの、だそうです。
建造物1aスペーサー建造物1bスペーサー建造物2aスペーサー建造物2bスペーサー建造物3スペーサー熊本城の西南、古町と総称される一帯には、時を感じさせる建物が、多くはありませんが、点在していました。
白梅天満宮1白梅天満宮2白梅天満宮3スペーサー人家の間の細い細い路地の奥にお宮(白梅天満宮)を発見
創立は天正年間(1580年頃)。細工町(ここから遠くない)にある崇禅寺というお寺にあったが西南の役で焼失、神仏分離令により現在地に再建された。大祭日(11月15日の前夜、多量の唐辛子と煮込んだ風神大根がふるまわれる。二切れとは食べられないほど辛いが、食べた者は その年 風をひかないとか。大宰府の天満宮とも縁があるらしい。
建造物4aスペーサー建造物4c建造物4bスペーサーそろそろ歩き疲れたころ、新町電停前の交差点の一角にある2軒の商店が目を惹きました。格子窓が美しい柿山果物野菜店と奥ゆかしい煉瓦造りの長崎次郎書店。 長崎次郎書店B長崎次郎書店A
長崎次郎書店は市一、二の繁華街、上通りに店があり、そこにはよく行ったものですが、こんな素敵な店もあったとは!(ここは県の官報販売所で縁遠いのも道理) ネットから…内部は木造で煉瓦で外壁を固める(住み心地よさそう)。現在の建物は大正十三年(1924)のもの、設計は保岡勝也(丸の内の三菱煉瓦街の設計者)。国指定登録有形文化財。
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