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小田原市中心街から車で30分足らず、杉の巨木の森の中に古刹がある。曹洞宗大雄山最乗寺。仁王門からさらに2㌔進むと、山腹を切り開いた大駐車場。小田原では34度を示していた温度計が28度に下がった。冷房を止め窓を開けると、涼風が吹きこんだ。
バス停前広場スペーサー車を降り、いったん三門下に下りる。三門下はバスの終点(道了尊)で、広場になっており、まわりに食堂や土産物店が並ぶ。それらの店から客寄席の声がかかるので、広場の真ん中を歩く。仁王門まで往復しようかと思ったが、帰りが大変なのでやめた(100mは登る、おまけに車道)。
※三門とは、「空」(一切の姿かたちは空で)、「無相」(比べるべきものなど何も無く)、「無作」(何も無いものに望むことなどできない、無願とも)、の三つの解脱(悟りを開く、仏の教えに従う)を求める者だけが入ることを許される門のこと。正式には三解脱門という。寺院は山中にあることが多いので山門とも書く。
三門から本堂へ1スペーサー“解脱”ではなく“涼”を求めて(再度)三門をくぐって本堂へ。みごとな杉の巨木が続く。三門から本堂へ4三門から本堂へ3三門から本堂へ2スペーサー大雄山の杉林は、応永元年(1394)、了庵慧明禅師が開山した時、堂塔の建立とともに植林され、以来伐採されることなく保護育成されてきたもので、どれも樹齢350~500年の老杉である。老杉ながら壮健である。極力 人為的管理を行わないということで、各地で見られる杉林のように整然とした美しさではなく、自然林の美しさがある。

本堂2本堂1スペーサー碧落門から境内に入ると正面に本堂(護国殿)。右に書院(真如殿)、左に開山堂(金剛壽院)が並ぶ。受付(白雲閣)で朱印帳に墨書き・押印していただく。この朱印帳は、歳をとって身辺何かと気懸りなことが増え、昨年12月、瑠璃光寺(山口市)から始めたもの。 鐘楼不動堂
本堂に参ったあと、四本柱に彫刻を施した鐘楼を見、滝(洗心ノ滝)を前景に不動堂を見、御供橋(圓通橋)を渡り、結界門をくぐって奥之院に向かう。 御真殿2御真殿1スペーサー途中、御真殿(妙覚宝殿)がある。御真殿は大雄山最乗寺の守護道了大薩埵(どうりょうだいさった)を祀る。
道了大薩埵は修験道満位の行者 相模房道了尊者で、聖護院門跡覚増法親王に仕え、大和の金峰山、奈良大峰山、熊野三山に修行。三井寺園城寺勧学の座にあったとき、大雄山開創にあたり、空を飛んで了庵禅師のもとに参じ、土木の業に従事、約1年でこの大事業を完遂した。応永十八年、了庵禅師が75才で遷化すると、『以後山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する』と五大誓願文を唱えて姿を変え、火焔を背負い右手に拄杖左手に綱を持ち白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身を隠した。以後、諸願成就の道了大薩埵と称されて絶大な尊崇を集め、十一面観世音菩薩の化身であるとして信仰されている。
奥の院へ1奥の院へ2奥の院スペーサー奥之院への長い石段を上る。あたりは鬱蒼とした老杉の森で心地よいが、その数350余、高低差7,80m。幾度かの休憩を余儀なくされて、奥乃院(慈雲閣)に到着。前回より(201094)、明らかに脚力の衰えを感じさせられた。 瑠璃門登山口
奥之院からさらに道が伸びていて、道標が立っている。明神ヶ岳(1169m)まで3時間20、標高差740m、かなりハードである。長い石段を下って境内、帰りは瑠璃門から駐車場に戻った。
※明神ヶ岳への奥之院からの登山道は「山と高原地図」には出ていない。「地形図」には記載されているが、先で林道にぶつかり林道をかなり歩いて、明神橋からの登山道と合流するようだ。明神ヶ岳に登るには(山と高原地図にしたがって)初めから明神橋からの登山道を歩いたほうがよさそうだ。
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