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久住登山の翌日(19日)、南麓の久住高原荘、国民宿舎だが国民宿舎というイメージは薄い、から534㌔を長駆して島根県の温泉津温泉へ(8:30-15:35)。
旅館吉田屋(内部)旅館吉田屋(外観)スペーサー宿は吉田屋。木造3階建てのこじんまりした旅館。建物は古いが経営者は新しい。8年前、先代から引き継いだという。先代との血縁はない。歴史ある温泉津温泉の未来(の一翼)を夢高き若者に託したというところだろう。 元湯温泉スペーサー
浴衣に着替えて、早速、共同浴場に行く。温泉津には共同浴場が2軒ある。「元湯泉薬湯」と「薬師湯」。個人感覚としては、現代的な薬師湯より元湯の方が好みに合っている。温泉津温泉は、1300年も前、一人の旅の僧が大きな古狸が池に浸かって傷を癒しているのを見て発見したのが始まりという。
中に入ると2畳ほどの浴槽が3つ。座り湯、温湯(ぬるゆ、座り湯とつながっている)、熱湯(あつゆ)。(今日の)熱湯は46℃。『入浴は2分以内』という注意書きがあるが、10秒と入っていられない。とくに脚部がジンジンと痛くなる。かけ湯を何度もするのが熱湯の入り方だという。座り湯と温湯は44℃、じゅうぶん熱い。熱湯は2度チャレンジした。

夕食前(19日)と朝食前(20日)、温泉津の街をショートウォークする。
スペーサー温泉津温泉街1スペーサー温泉津温泉街2スペーサー内藤家庄屋屋敷スペーサー龍御前神社スペーサー温泉津漁港スペーサー???
内藤家庄屋屋敷:内藤家は毛利水軍の御三家の一家で、初代内藤内蔵丞は毛利元就の命を受け、元亀元年(1570)、銀搬出の重要拠点である温泉津港口に鵜ノ丸城を築き、奉行に配された。関が原の役の後、毛利氏が石見から撤退すると、内藤家はこの地に土着し、廻船問屋や酒造業を手懸ける豪商として大きな影響力を保ち、代々年寄りや庄屋を務めた。現在の建物は延享四年(1747)の温泉津大火直後に再建された古建築で貴重なものとされる。
龍御前神社:創建は天文元年(1532)に勧請されたのが始まりと伝えらる。社殿背後の高台には「龍岩」と呼ばれる奇岩があり、龍岩の前に本殿が建立されていた(現在の建物は旧本殿)。祭神は、海神の娘で海の女神とされる豊玉姫命(とよたまひめのみこと)などを八神を祀っている。拝殿には船主や船頭により奉納された船絵馬が掲げられ、境内の石燈籠には寄進者として多くの北前船船頭の名前が刻まれている。
温泉津漁港:“津”とは港のこと。温泉津は温泉郷を背景として成立った津(港)である。
漁港にはネコが多い。散歩の途中、数匹のネコに遭遇した。
ネコ1ネコ2スペーサーネコ3ネコ4ネコ5スペーサー都会のネコと違って警戒心が少ない。とりわけ、ボスと思われるシロネコがそのいかつい顔に似合わず、甘えん坊だった。

陶器店スペーサー温泉津は、津和野とともに映画『男はつらいよ、寅次郎恋やつれ』(第13作)のロケ地となった。マドンナは吉永小百合。高田敏江が陶工の妻役で出演している。温泉津は焼き物の里でもある。
温泉津についての詳しい資料として、藤原雄高『温泉津港のみなと文化』がある。

瓦の波スペーサー20日、出雲市への道すがら、琴ヶ浜に立ち寄る。琴ヶ浜は「鳴り砂」として知られている。‎歩くとキュッキュッと琴の音のように鳴るという。折から、浜辺を清掃中だった地元の方が、イ.鳴り砂の“音源”は石英、ロ.波打ちぎわ綺麗なところを(靴を)蹴りこむように歩くと聞こえる(かもしれない)、と教えてくれたが聞こえず。 琴ヶ浜千鳥代わりに、美しい海岸の風景と可愛い千鳥の群れの動きを楽しんだ。千鳥は、私が近づくたびに一斉に砂浜を行ったり来たり。ネコには好かれたが、千鳥には嫌われた。
優雅な地名は、壇ノ浦の源平の戦に敗れてこの地に流れ着き、村人に助けられたお礼に、毎日琴を奏でていた平家の姫が亡くなって以来、砂の浜が琴の音のように鳴くようになり、姫を琴姫、浜を琴ヶ浜と呼ぶようになったという琴姫伝説に由来する。また、昔、栃若全盛時代に内掛け一本で大関を張った同名の力士がいたが、ここの出身ではないらしい。
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