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修造成った本殿修造中の本殿3年前は60年ぶりの「平成の大遷宮」で、本殿の修造~おもに檜皮葺大屋根の葺き替え工事~の真っ最中だった出雲大社(いずもおおやしろ)に詣でた(20日)。本殿修造は今年5月完了したが、摂社・末社の改修は平成28年まで続けられる。
※遷宮とは御神体や御神座をほんらいあったところから移し、社殿を修造し、再び御神体にお還りいただくこと。「平成の大遷宮」では、平成20年4月に御祭神である大国主命が本殿から仮殿に移られ、今年5月10日に修造の終わった本殿にお戻りになられた。
一畑電鉄スペーサー今日は日曜日、大社周辺はいっそう混雑するだろう。電鉄出雲市前のホテル(ツインリーブスホテル出雲)に車をおいて、一畑電鉄で大社に向かう。 一畑電鉄、通称“バタデン”は、中井貴一主演の映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』に登場した電車である。
二の鳥居~三の鳥居二の鳥居スペーサー終点の出雲大社前で下車する。駅前は一の鳥居と二の鳥居の間の神門通り。通りは乗用車と観光バスで大渋滞、電車を利用して正解だった。木製の大鳥居(二の鳥居、勢溜(せいだまり)の鳥居)をくぐると、参道の右側にたくさん人が並んでいる。あとで分かったことだが、祓社(はらえのやしろ)があり、まずここで心身を清めてから大社にお参りするのが正しい参拝の仕方とか。そんなこととはつゆ知らず素通りする。ついでに、勢溜の鳥居とは、昔、そのまわりに芝居小屋などが建ち、非常に賑わっていて、人の勢いが溜まるところからその名が付いたのだそうだ。 四の鳥居三の鳥居スペーサー鉄製の三の鳥居を過ぎると、樹齢400年を越える松並木の参道。道は3つに分かれる。真ん中は松を保護するため通行禁止。おおかた、これから参拝する人は右を、参拝を終えた人は左を歩いている。手水舎で手と口を清め、四の鳥居(銅の鳥居)を通って出雲大社の境内に入る。

拝殿八足門本殿スペーサー境内はかなりの混雑。お守りやお祓いを求める人?で、拝殿や御守所の前には長い列ができている。まず、『出雲大社』の御朱印所を探す。御朱印所は御守所ではなく、拝殿横に設けられた仮設のテント場で、若い禰宜?二人が対応に追われていた。 八足門から本殿2八足門から本殿1スペーサー
次に、それほど待たずに八足門(やつあしもん)で、ニ拝四拍手一拝の出雲方式に則って御本殿に参拝。出雲大社は“縁結びの神様”だが、家内の安穏、とりわけ可愛い孫たちの健やかな成長を祈る。6歳、5歳、3歳、2歳、0歳の一男四女5人、彼らが成人した2,30年後、日本はどうなっているのだろう? 少なくとも“庶民”にとっては、いっそう住みづらい世の中になっているのは間違いない。先ごろ『借金大国にしたのは誰だ [大研究]日本の税金 失われた15年』(文藝春秋9月号)を読み、その憂いを強くした。
瑞垣から本殿3瑞垣から本殿2瑞垣から本殿1(アップ)スペーサー瑞垣から本殿1スペーサー参拝のあと、瑞垣に沿い反時計廻りに歩く。荘重な檜皮葺屋根の御本殿を見るのは二度目。初めて見たのは大学4年の春(前回の昭和28年の遷宮後 十余年のち)。早朝のこと、境内に人気はまばらであった。
現在の本殿(高さ24m)は延享元年(1744)に作られたが、かっては今よりはるかに高く、中古には48m、上古には96mあったと伝えられてきた。平成12年、八足門の前で古代の心御柱が発掘されたことにより、少なくとも“48m”の信憑性が高まっているのは周知のとおりである。心は古代のロマンと現世の反ロマンの間を行き来しながら、境内を出て神楽殿へ。ここでも御朱印(『神楽殿』の御朱印)を頂いたが、朱印・文言とも『出雲大社』と同じものだった(ちょっと失望)。

出雲阿国の墓スペーサー時計は午後1時をすこしまわる。御宮通りの「八雲そば」で腹ごしらえし、阿国通りを稲佐の浜へ。途中、出雲阿国の墓に行く。御存知、歌舞伎の始祖。出雲大社の鍛冶職中村三右衛門の娘で、出雲大社の巫女であったと伝えられる。天正の頃、出雲大社本殿の修復費勧進のため京都に上り、世にいう歌舞伎踊りを創始した。豊臣秀吉や徳川家康の前でも踊りを披露するほど名を上げ、世に「天下一阿国」として知られた。晩年は大社に帰り、尼となって智月と称し、連歌庵で連歌と読経三昧の静かな余生を過ごしたといわれる。お墓は平たい自然石で、なかなか“洒落て”いた。
弁天島稲佐の浜スペーサー稲佐の浜で、弁天島(島というより岩のよう)と日本海を見て、しばらく海岸に沿って南に歩き、すこし突飛な感じで建つ大燈籠(永徳寺坂下の大燈籠)から、神迎の道を市街に戻り、スズメウリ神迎え道永徳寺坂下の大燈籠スペーサー二の鳥居ぎわの「茶やおくに」で出雲ぜんざいを食べ、出雲大社参詣とその周辺ウォークを終わる。
神迎の道で、あめ玉みたいに実がぶら下がっている蔓を見る。あとで調べると、「スズメウリ」という植物だった。

出雲大社の全景(空から)スペーサー写真は、出雲大社の建物の配置がよく分かるので、出雲大社(いずもおおやしろ)から借用したものに文字入れした。
遷宮といえば、もう終わったのか、まだ続いているのか分からないが、伊勢神宮の弐年遷宮。500億強の巨費もさることながら、毎回、樹齢数百年の檜1万本以上を各地から調達するという。部材によっては樹齢500年以上 どうしてこんなに大量の原木が必要なのかと不思議だったが、建て替えは正宮のみならず、御垣内の建物すべてに及ぶのだそうだ。昨今は用材が枯渇して調達が困難となり、遅ればせながら伊勢の森に植林を始めたらしい。“弐年”遷宮の意義は定かではないらしく、①神道の精神として常に新たに清浄であること、②建築技術を継承するため(一人前になった大工としての寿命は20年?)、などが推測されている。出雲大社の遷宮は傷んだ屋根の修造であり、理由は明らか。
御装束神宝(神の衣服や正殿の装飾や器物等)も新調するのだとか。未曽有の東北大震災から2年、被災地では復興もままならない。今回は中止とか、規模を縮小するとか、別の選択肢もあったのではなかろうか。伊勢神宮には一度行ったことがある(十余年前)。左側がポッカリ空いた正宮は奇異だったし、風の神や水の神を祀るという社もとってつけたようで、感慨は浅かった。
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