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今日(21日)もいい天気。9時前、ツインリーブスホテル出雲を出る。今日の目的地は大山の麓だが、3年前の山陰・北陸の旅ではパスした美保関燈台に寄ることにした。私は灯台を見るのが好きである。美保関燈台が、日御碕燈台と同様、日本の灯台50選/世界の灯台100選と分かってからは、一度は見てみたいと思っていた。
宍道湖(パノラマ)スペーサー見覚えのある雲州平田の街を通り、宍道湖北岸(R431)を快走する。対岸は低い山なみで空が広い。 朝霧の宍道湖スペーサーすこし高くなった陽の光に湖面がきらめく。まだ、朝霧が残っている湖面もある。シジミ漁りだろうか、舟が一艘。なんとも心なごむ風景である。見たことはないが、宍道湖の夕陽はとりわけ有名。朝な夕なに、このような景色に接する人はそれだけで幸せであろう。
松江市街を抜け(松江城がチラッと見えた)、今度は中海の湖岸。中海は境水道で日本海(美保湾)とつながっている汽水湖。実は、宍道湖も大橋川で中海とつながっているので、汽水湖だが塩分濃度はだいぶん薄い。 境水道から美保湾に沿った海岸道路(しおかぜライン)を走り、出雲市から66㌔、島根半島の先端地蔵崎の駐車場に到着。

地蔵崎から大山スペーサー車を降りて、まず美保湾越しに伯耆大山の姿を拝む。山頂部は厚い雲に覆われていた。日本海に面した独立峰、その頂を見せることは稀であろう。岩木山しかり、鳥海山しかり。周回歩道(距離はいくらもない)をお目当ての美保関燈台へ。 地蔵崎遥拝所スペーサー
途中、海に向かって鳥居がある。沖合の島(というより岩礁)「沖之御前」の遥拝所だった。鳥居の前に立つと、島が正面に見える。島には、灯台と鳥居が建っているようだった。すこし進んで真下を覗くと、そこにも波に洗われる岩礁「地之御前」があった。
美保関・地蔵崎・美保之碕エトセトラ・・・島根半島の最東端に位置するこの岬は、古くから「美保之碕」と呼ばれていたが、この海域を往来する船舶の事故が絶えなかったので、航海の安全祈願のために多くのお地蔵さまが岸壁や波打ち際に奉納されるようになったことから「お地蔵さまがある岬」ということで、中世以降から「地蔵崎」と呼ばれようになった。  出雲国風土記の国引き神話では、「三穂の碕」と呼ばれ、出雲国の創始者大国主命が能登半島から切り取って引いてきたと伝えられている。日御碕は朝鮮半島から引いてきた。  この鳥居の中央約4㌔の海上に浮かぶ島を「沖之御前」、眼下に横たわる島を「地之御前」といい、共に事代主命(美保神社の祭神、俗にえびす様)の魚釣りの島として伝えられていることから、現在も美保神社の境内となっている

中古代の出雲大社(想像図)スペーサー能登半島や朝鮮半島を引っ張ってくる…神話の世界はナント雄大でロマンに溢れているではないか。9月のNHK「100分de名著」は「古事記」だった。端的にいえば、日本書紀は大和朝廷(権力側、当時の天皇)の正史で、過去より現在未来の国家を意識。出雲神話はほとんど出てこない。一方、古事記は大和朝廷に“国譲り”した出雲国を中心とした内容で、語り部稗田阿礼の口誦を太安万侶が筆録した(ものといわれる)。敗者にも目を向け、現在よりも過去の物語を重視。半分は出雲神話だそうだ。 大国主は天照大御神(伊勢神宮の主祭神、神道の最高神、皇室の始祖)が派遣した建御雷(タケミカヅチ)に一つだけ望みを言った。『この出雲国を献上するにあたり、高天ヶ原に届くほど高く、地底に届くほど立派な柱を持った住まいを造っていただければ、そこに隠れておりましょう』 建御雷はそれを受入れた。これが出雲大社の起源である。すなわち出雲大社は大国主命の“隠居所”だったわけである。それは高さ48m、階段の長さも109mという巨大なものであった。  歴史をどちらの立場から見るかによって、例えば 太平洋戦争を軍人側から見るか/文人側から見るか、侵略者側から見るか/被侵略者側から見るかによって、その内容は大きく異なる。
また、仏教の教典は経典(例えば般若経)、キリスト教は旧約聖書と新約聖書、イスラム教はコーランであることを知らない人は少ないだろうが、神道は、と問われて答えられる人は稀だあろう。 池上彰「試練を乗り越える信仰入門」(文芸春秋2011年5月号)の中の安蘇谷正彦氏(國學院大學前学長)によれば、神道には正式な教典というものはなく!、あげるとすれば、日本書記、古事記、万葉集、風土記などとか。日本書記や古事記が教典とは意外だが、万葉集に至ってはピンこない。 ちなみに、この「試練を・・・」、世界の三大宗教+神道について、手っ取り早く知るにはたいへん良い読み物です。


美保関燈台1美保関燈台2美保関燈台…塔高は低く(14m、海抜70mの断崖に立つので塔自体は高くする必要はない)、どっしりと落ち着いた感じで、ひときわ目立つ回廊が美しい。海面からの灯高は83m。ちなみに日御碕燈台は44mと63m。初点灯は山陰最古で、明治31年(日御碕は明治36年)。2007年、灯台として初めて登録有形文化財に登録された(その後 2010年に犬吠埼燈台が登録有形文化財)。建設当初の名は地蔵崎燈台だったが、地蔵崎の名称が全国的に多いことから、昭和10年に美保関灯台と改称された。
隠岐の島展望デッキ隠岐の島遠望隠岐の島展望デッキから、はるかかなたの「隠岐の島」を見る。長々と続く島影(島前?、とうぜん)と、それから右にすこし離れて小山のような島が一つ(島後?、とうご)。隠岐の島がこのように長く横たわって見えるとは予想外だった。大きな島後が小さく見えるのは、島前より遠くにあるからだろう(島前53㌔、島後67㌔)。

美保神社鳥居スペーサー美保神社社殿美保神社社殿(天井)スペーサーしおかぜラインを戻り、美保漁港の近くにある美保神社へ。境内では小学生が写生をしている。かなりの人数、この近くに大きな小学校はなさそうだがと、ちょっと疑問だったが、(あとで)松江市から来た生徒と分かって納得。
美保神社の祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ、大国主命の子)大国主命の妃三穂津姫命(みほつひめのみこと)。創建の詳細は不明だが、『出雲風土記』にその名が記載されていることから、8世紀以前に遡ると考えられている  隋身門の注連縄は出雲大社並に立派なものだった。大きな拝殿(社殿)も重すぎず軽すぎず、ほどよいバランスの力強い外観で、天井のない屋内は柱や梁の木組みが美しかった。その拝殿では、何かの神事か、心地良い笛の音に合わせて巫女さんが舞っていた。私は“重文”を見るのも好きだが、天井の木組みと巫女さんの舞に見とれて、国指定重要文化財である本殿を見損なってしまった。 美保神社の本殿は「美保造り(比翼大社造り)」と呼ばれる、大社造の社を2棟横に並べた珍しい様式。左の社に事代主神を、右の社に三穂津姫命を祀る
境水道大橋2境水道大橋1スペーサー美保漁港~境水道大橋スペーサー美保神社を出、イカ焼きのおばさんの執拗な売り込みを振り切って境港方面に戻る。前を走るバスには、美保神社で写生をしていた小学生が乗っていた。バスと別れ、美保湾と中海をつなぐ境水道に架かる、長さ700㍍の境水道大橋を渡る。橋下に広がる瓦の波が美しかった。
大山遠望1大山遠望2大橋を渡れば鳥取県、弓ヶ浜沿いを南下する。もっとも、道路は海から離れているので浜は見えない。国道9号を横切り、大山道路(県道24号)へ。大山(だいせん)が近づく。山頂部の雲がすこしとれてきた。予報は曇りときどき晴れ。このぶんなら、明日、待望の大山登山ができそうだ。14時半、今日の宿「朝霧山荘」に到着、車をおいて、大山山麓の古刹-大山寺と大神山神社-の散策に出かけた。・・・つづく
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