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2013.11.20
称名寺・昼下がり
称名寺は家から約2.5㌔、散歩に好適地である。裏山を周れば、足腰のちょっとした鍛錬にもなる。帰り、疲れたときのエスケープは、まだ使ったことはないが、高運賃のシーサイドライン。一度だけ入ったことがあるが、参道には茶屋(ふみくら茶屋)もあり、贅沢気分も味わえる。

いかめしい阿吽の金剛力士像が睨みをきかせる山門(仁王門)をくぐると(仁王門は通行不可なので実際は横の木戸から入る)、


美しい庭園が広がる。称名寺の庭園は、苑池(阿字ヶ池)に架かる反橋・平橋(橋をつなぐのは中之島)を渡り、金堂(極楽浄土)に達する浄土式庭園の典型。現存する同一方式の庭園としては平泉の毛越寺(1150年頃)などがある。

八角堂広場(金沢山、きんたくさん)へ登る。標高76m(境内は10m)の高台からは八景島、海の公園、野島が一望である。遠く房総半島も。広場からかなりのダウンとすこしのアップで稲荷山休憩所。ここはわずかに北側が開けているが、常緑広葉樹に囲まれ展望なし。3つめのピーク日向山の途中に北条実時墓所がある。




称名寺は金沢北条氏の菩提寺。鎌倉幕府の要人北条実時(1223-1276)が建てた持仏堂から始まったと推定され、六浦にある宝樹院に伝わる旧常福寺の本尊阿弥陀三尊像の像内文書には、1259年に称名寺が建立されたという記録がある。
※金沢北条氏は二代執権義時の五男実泰が始祖だが、若くして出家したため、二代実時が実質的初代とされる。金沢氏は学問の家柄としても知られ、実時は隠居した後に金沢文庫の基礎を作った。





北条実時墓所から、今日は日向山にはまわらずに、称名寺境内に下りた。金堂の横に建つの釈迦堂は、仁王門とともに風格ある伽藍の一つ。廻縁付きの宝形造という造りだそうで、屋根は茅葺き。また、鐘楼は『称名晩鐘』として、金沢八景の一景となった。図は称名寺境内から金沢文庫へのトンネルの壁にあるパネルで、大錦版画といわれるものである。













称名寺は金沢北条氏の菩提寺。鎌倉幕府の要人北条実時(1223-1276)が建てた持仏堂から始まったと推定され、六浦にある宝樹院に伝わる旧常福寺の本尊阿弥陀三尊像の像内文書には、1259年に称名寺が建立されたという記録がある。
※金沢北条氏は二代執権義時の五男実泰が始祖だが、若くして出家したため、二代実時が実質的初代とされる。金沢氏は学問の家柄としても知られ、実時は隠居した後に金沢文庫の基礎を作った。






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