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羽黒山神社大鳥居月山鳥海山スペーサ、タテ鉾立展望台から鳥海山(新山)を眺め(7:45-7:55)、20099以来の羽黒山(五重塔と出羽三山神社)に向かった。道々、離れゆく鳥海山と近づく月山を眺めながら… 大鳥居(高さ20m・幅15m)をくぐり、宿坊が並ぶ通りを抜けると、出羽三山神社隋神門前。駐車場はそのすこし先のいでは文化記念館
隋神門1隋神門2スペーサ、タテ隋神門。神社の門としては異な形をしている。それも道理、元は羽黒山寂光寺の山門であった。仁王像が立っていたはずのところは空っぽ。神橋と須賀の滝継子坂寂光寺の伽藍・文物は『神道こそ国家唯一の宗教』と推進された廃仏毀釈によって徹底的に破却され五重塔と朱に塗り替えられたが仁王門だけは奇跡的に残った。山頂の三神合祭殿については、明治に建てられたはずはないが…爺杉と五重塔スペーサ、タテ おそらく寂光寺の本殿か何かだったのだろう。継子坂を下り神橋を渡ると“神域”。鬱蒼とした杉林の中、ひときわ立派な杉がある。爺杉である。樹齢千年、樹高42㍍、幹周り10㍍、国指定天然記念物。彼は明治の愚挙をどんな思いで見ていたのであろう。その奥に一人残された五重塔がまた 千年変わらず 静かに佇んでいる。
五重塔1五重塔2五重塔3五重塔4スペーサ、タテ国宝羽黒山五重塔。何時見ても何度見ても素晴らしい“孤高の塔”であり、数ある中でいちばん好きな五重塔だ。素木造り柿葺、方三間五層高さ八丈(24㍍余)。承平年間平将門の建立と伝えられる(1060前)。長慶天皇文中年間(630前)に再建。慶長十三年出羽守最上義光修造(390前)。本尊聖観音像は廃仏毀釈のさい焼かれ、現在は大国主命が祀られているという。
さぞかし居心地が悪いことだろう。
一の坂1一の坂2二の坂茶屋二の坂1二の坂2南谷分岐スペーサ、タテ2466段の石段、高度差にして250mの参道を出羽三神合祭殿へ。
三の坂1三の坂2埴山姫神社八幡神社山頂鳥居と斎館スペーサ、タテ参道の両側には樹齢300年以上という杉の巨木特別天然記念物が立ち並ぶ。一の坂、二の坂… 二の坂の途中、参道のほぼ中間点という絶妙な位置に『二の坂茶屋』がある。しかし休憩は帰りに。南谷分岐を過ぎると三の坂。左に埴山姫神社、左右に向かい合う尾崎神社と八幡神社の小さい社があり、やがて 朱の鳥居が見えてくると、山頂・三神合祭殿は近い。鳥居の手前に[左:斎館]の案内がある。
10ほど前、初めてか二度目に参詣したおり、合祭殿から下りてきた義の宮一行に出会い、数十㍍手前で、足止めを食ったことがある。“神官”ではなく“山伏”が先導していた。妃殿下は溌溂とし、居合わせた我々ににこやかに会釈されていたが、殿下の足取りは遠目にも心もとなかった。たしか御年は80歳くらい。あまりニュースも聞かないが、どんな日々を過ごされているのだろう。

三神合祭殿1三神合祭殿2大鐘と三神合祭殿スペーサ、タテ国の重要文化財三神合祭殿は厚さ2.1mの藁葺屋根の葺替え真っ最中。三神とは月山神社、湯殿山神社とここ出羽神社の神。現在の社殿は文政元年(1818)再建。参拝し、御朱印をいただき(見開き2頁の豪華版)、今年小学生になった孫二人に、それぞれ黒とピンクのランドセルのお守りを求める。
蜂子神社1蜂子神社2蜂子神社3スペーサ、タテ豪壮な三神合祭殿もさることながら、今回、とくに目を惹いたのは隣の蜂子神社(旧開山堂)である。蜂子神社は推古元年(593)、羽黒山を開山した蜂子皇子を祀る。その御尊像が公開されていた。明治以来初と、いうより開闢以来初めてという。堂内に入る前に祝詞をあげてもらい、有名な“奇怪”なお姿を恭見した。

参道1参道2(尾崎神社と八幡神社)参道3参道4スペーサ、タテ小雨が降り始め滑りやすくなった参道を下る。二の坂茶屋で一服。名物はあんこ(自家製)orきな粉の力餅。母と娘が切り盛り、 参道7(二の坂茶屋3)参道6(二の坂茶屋2)参道5(二の坂茶屋1)スペーサ、タテお母さん(おばあさん)は相変わらずお元気だった。私たちのことは覚えているという。気になっていた『羽黒山午歳御縁年』の幟について尋ねると、 五重塔スペーサ、タテ羽黒山が開山したのは午歳。午歳は羽黒山にとって特別な年で、午年に参拝すると12回分の御利益があるのだそうだ。蜂子神社の御開扉もそれにちなんだイベントだった。「登拝記念の認定証」を頂いて、五重塔・隋神門へと下った。
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