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奥びわ湖観音路(駅待合室のポスター)国道の標識古橋・高月の地図スペーサ、タテ山口県上関のあと訪れたのは滋賀県長浜市・奥びわ湖観音の里。前泊の彦根市内のビジネスホテル(彦根で一番安いというのが売り)から、名神高速・北陸道(彦根IC~木之本IC)を使って『木之本宿』入り。 木之本地蔵院スペーサ、タテ
JR木の本駅でありったけの情報をかき集め、まず木之本地蔵院。日本三大地蔵の一つで、日本一の大きさという。それから、旧北国街道(ほっこくかいどう)を歩く。“街道”には昔の商家の家並みが残っている。 北国街道木之本宿道しるべスペーサ、タテ本陣薬局2本陣薬局1スペーサ、タテ本陣薬局、当主は日本第一号の薬剤師。富田酒造、『七本槍』の蔵元など。突当りは「北国街道」と「北国脇往還」との交差点。「北国街道」は金沢城下から中仙道鳥居本宿を結び、「北国脇往還」は鳥居本宿を経ないで関ヶ原宿へ行く木之本から名古屋・江戸方面への近道。

駅前の駐車場に戻って、奥びわ湖観音の里・古橋地区へ。田畑の中に臨時?駐車場があり、地元のボランティアが数名、案内に立っている。週明けの月曜日ながらかなりの人出。それは、この先 鶏足寺周辺は紅葉の名所で、しかも 今 その真っ盛りだから、ということがあとで分かった。
與志漏神社参道(己高閣・世代閣)與志漏神社鳥居(己高閣・世代閣)人波といっしょにしばらく行くと、「紅葉散策協力金」徴収所。\200@人、但し己高閣・世代閣を拝観する場合はその拝観料(\500)に含まれるというので、二人で千円を払う。何故か鳥居をくぐって参道を進むと、己高閣(ここうかく)。おもに鶏足寺(けいそくじ)の仏像が収蔵され、正面には御本尊十一面観音菩薩立像(国の重要文化財。724行基が造った頭を、799最澄が発見し首から下を造ったという)が不動明王と毘沙門天を従えて立っている。その他、石田三成ゆかりの法華寺(今は廃寺)にあったという七仏薬師如来立像(県の文化財)など多数。“己高閣”は旧鶏足寺が己高山(こだかみやま)にあったことにちなむ。 與志漏神社境内(己高閣・世代閣)スペーサ、タテ世代閣(よしろかく)は己高閣の裏にある。地元の浄財だけで建てられたそうだ。名前は もともと ここにあった戸岩寺の山号から。御多分に洩れず、明治維新の廃仏毀釈によって廃寺同然になってしまった。参道入口にでっかい(與志漏神社の)鳥居が立っていたかが分かった。収蔵されている仏像は、薬師如来立像(戸岩寺御本尊、国の重要文化財)、十二神将(うち三軀は国の重要文化財、残りは市の文化財)、魚籃観音立像(県の文化財)などバラエティ。
境内には鐘楼や薬師堂、大日堂がわずかに戸岩寺の面影を残しているが、係りの一人がこの中にも仏様が安置されていて“覗き見”できるという。教えられたとおり、薬師堂正面扉の小窓を押し上げると、名前は忘れたが、立派な仏様が並んでおられた。大日堂は小窓のアングルが悪く、お顔はよく見えなかった。頂上に小さな観音堂(これも戸岩寺の遺構)がある丘を往復し、薬草・ハーブ畑、とうがらし畑の中の遊歩道を鶏足寺に向かう。

鶏足寺広場スペーサ、タテ道沿いには入浴剤や五平餅も売る出店も出ていて、賑わっていた。鶏足寺の参道前に着く。参道前の広場には東屋風の休憩処やベンチがあり、いちだんの賑わい。赤・黄・緑、自然の彩り豊かな紅葉の下、鶏足寺へ。凝りに凝った京都寺院の庭園 にはない風情がある。歩き心地のよい参道に人の列が続く。 鶏足寺参道1鶏足寺参道2鶏足寺スペーサ、タテ
石段を上りきると、小ぶりの御堂が一つ。現在の鶏足寺は735行基が開基した己高山鶏足寺別院であった飯福寺の跡鶏足寺紅葉2鶏足寺紅葉1鶏足寺は724行基が創建、799最澄が天台宗の寺院として再興、中世には湖北仏教文化圏の中核として隆盛を極めたが、江戸幕府の終焉とともに衰微、現在廃寺となっている。広場に戻って、小休止のあと、茶畑の中を石道寺へ。 石道寺スペーサ、タテ
自然味豊かな紅葉と同様、茶畑も、 京都宇治のようなまん丸く刈り込まれた“芸術的”なものと違い、自然のままに葉を伸ばしているという感じ。味もきっと自然の風味豊かなことだろう。石道寺(しゃくどうじ)も 鶏足寺同様 小ぶりの御堂が一つ、美しく色づいた木々の下に建っていた。 鶏足寺9鶏足寺8鶏足寺7とうがらし畑鶏足寺と異なるのは御本尊が“不在”でないこと。御本尊は重要文化財の十一面観音菩薩立像。井上靖が小説『星と祭』の中で、“村の若い娘”のようと評したそうだ。石道寺をあとに鶏足寺で 再び 紅葉を鑑賞し、駐車場に戻って、北国街道のまちなかカフェ『重内』で家庭的な料理のランチを食べ、JRなら一駅彦根側の高月へ。目的はこの地域唯一の国宝の仏像の鑑賞。

渡岸寺1渡岸寺2その仏様は渡岸寺(どうがんじ)観音堂十一面観音菩薩立像。木之本駅待合室のポスターに『七体の国宝十一面観音のなかで最も美しい日本彫刻史上の最高傑作・・・』と紹介されていた仏様である。観音堂?でお参りし隣接した慈雲閣?へ。中へ入るや、黒味を帯びた美しく大きな肢体に目を奪われた。荘厳にして優美。眺めるうちに、印象は優美から甘美へ。薄衣の下の肉感豊かな胸部や腹部、大腿部。わずかに腰をひねって右足を踏み出そうとしているポーズは官能的。正面から側面、背面にまわる(この仏様はフロアの中ほどに立っておられるので360度拝見することができる)。ふっくらと丸みを帯びた肩、きりっとくびれた腰、幾重もの襞が重なる薄衣をまとった臀部から足元にかけてのプロポーションはことに魅力的である。こんな菩薩の膝枕で説法を聞けたら さぞ 心地よいであろう。その不謹慎な思いは、正面に戻り、凛としたお顔を再拝したとき、戒められた。像高194㌢、檜材の一木彫、平安初期9世紀の作という。泰澄(奈良時代の僧)の作とも伝えられるが、定かではない。いったい誰が、かくも気品と妖艶を兼ね備えた“女性像”を彫ったのだろう。 渡岸寺4渡岸寺3
右に並んでいるのは珍しい“胎蔵界”の大日如来坐像(国の重要文化財)。観音様に比べ、簡素な彫りの若々しい仏様である。曼荼羅の世界には胎蔵界と金剛界があり、胎蔵界大日如来は膝上で法界定印(ほっかいじょういん)を結ぶ、金剛界大日如来(例えば奈良円成寺)は智拳印(ちけんいん)を結ぶ。金剛とはダイヤモンドのことを指し智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味する。展覧会の延長のような収蔵庫で拝観するのとは違い、“現地”で拝観できるのは 有難みがより大きく、数も少ないので より深い余韻が残る。境内に『御尊像埋伏之地』の石組みがあった。信長に敵視された天台宗寺院は、姉川の戦いにおいて、近隣の民家とともに悉く焼討ちにあった。渡岸寺も焼失したが、本尊観音様をはじめ多くの仏像は、住僧巧円と里人によって救い出され、地中に埋められて災禍を逃れたと伝えられる。
渡岸寺と向源寺の関係:向源寺は、十一面観音の作者とも伝えられる泰澄が建てた光源寺を廃寺とし、村人とともに十一面観音を救った住僧巧円が建立した浄土真宗を宗派とする寺。渡岸寺観音堂は その後 向源寺の所有地内に再建された(向源寺が管理する)御堂で、向源寺の建物はそこから100㍍ほど離れたところにある。浄土真宗は阿弥陀如来以外の仏を本尊とすることを認めていないが、“飛地”の“観音堂”に祀るということで本山(東本願寺or西本願寺?)から許可された。

赤後寺スペーサ、タテ渡岸寺観音堂から、すこし郊外の唐喜山赤後寺(しゃくごじ)に着いたときは3をまわっていた。ひっそりとして人影はない。日吉神社と書かれた鳥居をくぐり境内へ(この寺も神仏習合・神仏分離/廃仏毀釈という為政者の御都合主義にふりまわされてきた証左)。(電話で)案内を請うと、石段を昇って本堂に入るようにと指示。応対に出たのは地元住民の方だった。湖北の寺院の多くは住職無住とのこと。
千手観音菩薩立像聖観音菩薩立像を拝顔し、説明を聞く。戦国の兵火に焼かれ、二躰とも手や肘の部分がない。その姿から 永い間 秘仏とされてきたが、国の重要文化財に指定されたのを機に公開されるようになったという。愚かな人間の行為を知らしめるにいいことだ。二躰は日光東照宮と同じ造りの逗子に安置されている。これは、東照宮を造営した棟梁甲良豊後守宗廣が日光に向かう際に、赤後寺を訪れ、参考にしたため、といわれている。
千手観音は「転利(ころり)観音」とも呼ばれる。『転利』とは『厄を転じて利となし私利を転じて衆利となす』の意だが、いつの頃からか、“転利”が“コロリ”に通じ、天寿を全うしたものは何の苦しみもなくコロリと極楽往生できると、その御利益が喧伝されるようになった。また、三度参詣すればコロリと極楽往生できるとも。

高野大師堂の仏像尾山釈迦堂の仏像渡岸寺の仏像赤後寺の仏像パンフレット『観音の里 高月』から。今回まわることができなかった仏様は多い。赤後寺はアト2回は来なくては。渡岸寺は何度でも訪れたい。

伊吹山スペーサ、タテ滅多に見るチャンスがない伊吹山を眺めながら彦根へ。今日の宿は、“彦根で一番安い”ホテルと同じ並びのビジネス旅館。特別注文の近江牛のステーキが格別。彦根の定宿候補ナンバー・ワンである。九州からの長旅に疲れ、彦根城・琵琶湖竹島観光は次の機会にして、翌日(18日)、横浜へ突っ走る。 富士山2富士山1木曽川長良川
九州の行き帰りは新名神を利用するので、草津JCTから豊田JCTの間は初めて走るくらい久しぶり。水量豊かな長良川、ついで木曽川を渡る。一宮JCTで東海北陸道分岐、小牧インターで名神から東名と名が変わり、小牧JCTで中央道分岐、豊田JCTで伊勢湾岸道分岐。三ヶ日JCT・浜松いなさJCTで新東名。新東名で是非寄りたいところは、いつも混雑しているが、駿河湾沼津SA。ここの「ひもの職人のトロ味定食」が絶品なのである。下りにはない。ちょうど昼時、思いを果たし 再び 新東名。富士は雪が意外と少なかった。
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