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2015.01.21 冬の京都
新幹線とホテルのパック旅行で、冬の京都を観光した(1月18日~21日)。観光したのは東寺と三十三間堂(Day1)、比叡山延暦寺と日吉大社(Day2)、南禅寺三門と琵琶湖疎水(Day3)、伏見稲荷と梅小路機関車区休業日のため西本願寺(Day4)。新幹線は往復各駅停車の『こだま』だが、行きは“エコノミー”が取れなかったらしく“グリーン”。新幹線のグリーンはこの歳になって初めてである。

= Day 1 =
新幹線から伊吹山新幹線から白山新幹線から南アルプス新幹線から富士山まず車窓から雪化粧の山岳展望。
富士山、南アルプス、御嶽山・白山?、伊吹山。
東寺・金堂と五重塔東寺・南大門と五重塔東寺・不二桜と五重塔スペーサ、タテ京都駅に降り立ち、歩いて東寺真言宗総本山教王護国寺)へ。私は学生時代の貧乏旅行以来二度目、妻はもうすこし最近。塔高54.8mの五重塔は御存知日本一。新春特別拝観期間(1.10-3.18)、内陣に入るや、荘厳な空気に包まれた。 東寺・五重塔五重塔の邪鬼スペーサ、タテ火災には耐えられなかったが、地震には 千二百年 びくともしなかった心柱(大日如来)は思ったより細い。その大日如来を囲む四尊の如来(阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)と八尊の菩薩(弥勒菩薩・金剛蔵菩薩、除蓋障菩薩・虚空蔵菩薩、文殊菩薩・観音菩薩、普賢菩薩・地蔵菩薩)。聞きなれない如来・菩薩が多いが、密教の世界ゆえという。堂内を2周し、金堂・講堂へ。
金堂の龍と獅子東寺・金堂金堂(本堂)、五重塔とともに国宝建造物。外観もみごとなら、安置された仏像群も素晴らしい。本尊薬師如来、左右に月光菩薩・日光菩薩、薬師如来像台座下に十二神将。屋根の上で戯れる“龍”や“獅子”が面白い。古の名工は遊び心も豊か。次は、重文講堂。堂内に配置された21体の仏像(大日如来五智如来、その左右に五大明王と五大菩薩、須弥壇四方に四天王+梵天・帝釈天)は立体曼荼羅を表しているという。曼荼羅とは密教の教えを分かりやすく表現したもの。
仏の世界に圧倒され、いささか高揚した気分を「不二桜越しの五重塔の眺め」で沈め、東門からいったん市中へ。東大門(不開門)を見て、南大門から再び境内へ。御朱印をいただいて、京都駅に戻る。

三十三間堂・大的大会三十三間堂京都駅から七条通り、弓を持ったたくさんの老若男女が歩いてくる。多くは袴姿。三十三間堂(蓮華王院本堂)は恒例の「大的大会」が行われる日だった。時は2過ぎで、大会は終盤の上位戦。三重四重の観客で、勇壮華麗な射的の姿は頭越しにチラッと見えただけだった。が、大会のおかげか、堂内無料開放 三十三間堂は何度か来たことはあるが、彼の有名な千手観音立像を外の廊下から覗いた記憶しかない。中に入って驚いた。中央に国宝千手観音坐像をはじめ、千体の観音様の前に居並ぶ風神・雷神と数十体の仏像。そのどれもが国宝である。早や、風神・雷神しか覚えていないが、三十三間堂は国宝のオンパレードだった。

◇東寺は平安遷都とともに建立された官寺(国立の寺院)。嵯峨天皇が唐で密教を学んで帰国した空海(弘法大師、当時50歳)に下賜。空海は東寺を真言密教の根本道場と位置づけ、並行して伽藍の建立を進めていた高野山は修繕道場と位置づけた。満濃池の改修も四国八十八ヶ所霊場の開創も弘法大師空海。弘法大師は凄すぎる。
◇東寺があれば西寺もあった。桓武天皇平安遷都のおり、国家・王城鎮護を目的として都の入口である羅城門の東と西に官寺が置かれたが、西寺も羅城門も焼失。再建されることなく、 現存する平安京の遺構は 唯一 東寺だけとなった。


= Day 2 =
日吉大社前を坂本ケーブルへスペーサ、タテこの時期、京都市側のケーブルは動いていない。京都発918の湖西線で比叡山坂本へ。その2つ手前は大津京(天智天皇、667-672)。駅から街中を20ちょいで日吉大社前。日吉大社はなかなか立派な神社らしいが、帰りに寄ることにして、ところどころ苔むし、味わい深い延暦寺学園比叡山高校の石垣に沿い坂本ケーブルへ。坂本は穴太衆積みの町でもある。 ケーブル坂本駅1ケーブル坂本駅2ケーブル坂本駅3スペーサ、タテ坂本ケーブル沿線1坂本ケーブル沿線2スペーサ、タテ
坂本ケーブルは昭和2年開業。『景色も長さも日本一』がキャッチフレーズ。沿線の景色はトンネル・森林・冬限定だが雪化粧・渓谷と変化に富み、眼下に琵琶湖が見え隠れする。長さは2025㍍。開業当時の姿を伝える洋風建築の駅舎(坂本駅・延暦寺駅)は国の登録有形文化財。

ケーブル延暦寺駅から琵琶湖スペーサ、タテケーブルを降り、丁寧に除雪された舗道を延暦寺へ。700㍍で延暦寺入口。ここで諸堂巡拝料を納める。延暦寺は比叡山の山内に点在する堂塔の総称、その数。およそ150とか。東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三地域に分かれる。 延暦寺東塔入口延暦寺案内図東塔は三塔の中心、その中心は延暦寺総本堂根本中堂。現代の建物は、信長による焼討ち(1571年)後の、寛永十九年(1642)のもの。積年の風雪に耐えてきた朱塗りの柱や壁が趣き深い。
根本中堂2根本中堂1根本中堂へスペーサ、タテ根本中堂から坂道を大講堂へ。現在の建物は、昭和31年の焼失後(放火)、坂本にあった讃仏堂を移築したもの。諸堂巡り3つ目は、大講堂と国宝殿(別途入場料が必要だったのでパス)の道を挟んだ戒壇院大講堂戒壇院外観は一見“唐風”で、二重屋根のように見える(上部の飾り屋根を裳階、もこしという)。戒壇院は天台宗の僧侶が戒律を授かる重要な御堂。創建は天長五年(828)、延宝六年(1678)復興。暗い堂内を格子窓から覗く。目が慣れてくると金色の仏様(釈迦牟尼如来)が見えてきた。
阿弥陀堂・法華総持院東塔スペーサ、タテ戒壇院から西塔へ向かいかけたが(徒歩20分)、道の除雪が進んでおらず取りやめ(横川地区は西塔よりさらに4㌔)、 文殊楼文殊楼の階段文殊楼から根本中堂スペーサ、タテ昭和の寺院・仏像(阿弥陀堂法華総持院東塔)を見て、最後に根本中堂を見下ろす位置にある文殊楼を見る。
文殊楼は延暦寺の山門にあたる。垂直に近い階段を昇った楼上には文殊菩薩が祀られていた。
無動寺明王堂無動寺弁天堂暖房の効いた無料休憩所でお弁当を食べ、ケーブル延暦寺駅に戻る。坂本に降りる前に、700㍍/100m下った無動寺谷を往復、弁天堂と明王堂を見る。無動寺谷は千日回峰行の本拠。勤行のあと、深夜2時出発。東塔・西塔・横川・日吉大社と260箇所で礼拝しながら、30㌔を平均6時間でまわる。5年700日の回峰を満行すると、明王堂で9日間にわたる堂入り(断食・断水・断眠・断臥の行)が行なわれる。堂入りを満了すると、行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となる。明王堂は俗人凡人が気楽に足を踏み入れるところでないのだ。

日吉大社山王鳥居スペーサ、タテ日吉大社は風格といい、壮麗さといい、予想をはるかに超えた素晴らしい神社だった。東西の本宮、その間の摂社の多くの建物が国宝あるいは重要文化財。東西本宮の間に奥宮への登拝口があったが、距離800㍍/高低差190mとあって断念。奥宮は大鳥居から見えた八王子山に並んでいた2つの御堂だった。
日吉大社の創祀はおよそ2100年前の崇神天皇七年、全国に2000ある日吉・日枝・山王神社の総本社、通称山王権現と呼ばれる。信長の比叡山焼討ちにより日吉大社も灰燼に帰し、現在見られる建造物は天正十四年(1586)から再建されたもの。とくに印象に残ったのは、開放的な東本宮拝殿、修復されたばかりの美しい東本宮本殿、本殿を守る木造の狛犬と獅子である。
スペーサ、タテ西本宮楼門西本宮拝殿西本宮・拝殿と本殿西本宮本殿スペーサ、タテ宇佐宮・拝殿と本殿
西本宮…楼門重文、拝殿重文本殿国宝と、西本宮の隣りある摂社宇佐宮・拝殿と本殿重文
スペーサ、タテ白山宮本殿スペーサ、タテ東本宮楼門東本宮拝殿東本宮本殿1東本宮本殿2
東本宮の手前にある摂社白山宮本殿重文と、東本宮…楼門重文、拝殿重文本殿国宝
大宮橋走井橋二宮橋多羅葉日吉三橋…大宮橋、走井橋、二宮橋。日本最古最大の石橋。三つとも重要文化財。
「ハガキ」の由来になったといわれる多羅葉の木。
= Day 3 =
南禅寺三門2南禅寺三門1烏丸御池から地下鉄東西線で蹴上。斜拱渠(しゃこうきょ、通称“ねじりまんぽ”)をくぐって南禅寺へ歩く。あとで分かったことだが、斜拱渠の上は「琵琶湖疎水・インクライン(傾斜鉄道)」だった。 南禅寺三門楼上1南禅寺三門楼上2重要文化財南禅寺三門(山門)楼上に上がる。石川五右衛門が『絶景かな絶景かな』と眺めて京の街並みはまだ眠りから覚めていなかった。南禅寺三門は日本三大門の一つ。残る二つは、知恩院三門と身延山久遠寺三門。身延山に登ったさい、ずいぶん立派な三門にびっくりした記憶がある(⇒ブログ)。 南禅寺法堂天井絵南禅寺法堂知恩院は一度は見ているはずだが記憶にない。続いて法堂(はっとう)。明治42年(1909)再建、見た目より新しい。格子の間から、本尊釈迦如来と獅子に騎る文殊菩薩(右)、象に騎る普賢菩薩(左)を拝み、今尾景年画伯作の天井絵「幡龍」を鑑る。国宝方丈はパスし、琵琶湖疎水へ。
南禅寺水路閣水路閣水道橋(水路閣)。南禅寺境内を貫いたため、建設当時は物議を醸したらしいが、鄙びた赤煉瓦のアーチ型橋脚は 今では すっかり風景に溶け込んでいる。 琵琶湖疎水、蹴上船溜方向琵琶湖疎水、銀閣寺方向橋の上に上がリ、『ブラタモリ京都』タモリと首藤アナ(ダーウィンが来たのナレーター、たいへん芸達者かつ可愛い)が辿った琵琶湖疎水を歩く。橋の上に上がるのは初めてである。橋を流れるのは疎水分線、蹴上船溜から銀閣寺へと流れる。下流(銀閣寺方向)はすぐ南禅寺トンネル。上流、蹴上船溜(第一疎水第二疎水合流点)に向かう。
田邊朔郎銅像琵琶湖疎水の断面図蹴上船溜(第一疎水第二疎水合流点)。公園風の緑地に琵琶湖疎水の建設に尽力した田邊朔郎のブロンズ像が立つ。琵琶湖疏水は東京遷都により衰退した京都を再生しようと、明治18年着工、明治23年完成(第一疏水)。 台車と運搬船、蹴上船溜蹴上ダム第一第二水路合流点スペーサ、タテさらに明治45年、第一疎水に並行して第二疏水を作りパワーアップ、琵琶湖疏水は現在も京都に“命の水”をもたらしている。 蹴上船溜、大津方向インクライン、南禅寺船溜方向
インクライン(傾斜鉄道)を南禅寺船溜へ下る。インクラインは長さ582㍍。落差が36㍍もあり、パナマ運河のような開閉門式では無理。運搬船ごと台車に乗せて運ぶ方法が採られた。南禅寺船溜台車と運搬船、インクラインインクラインスペーサ、タテ
南禅寺船溜のそばには琵琶湖疎水記念館(平成元年~)が建っている。琵琶湖疎水の全貌が分かる模型などの展示があり、休憩を兼ねてかなりの時間をここで過ごした。 斜拱渠(ねじりまんぽ)スペーサ、タテ
記念館を出ると、外は小雨。まだ昼をすこし過ぎた時間であったが、疲れも出て、宿に戻る。(部屋の清掃がまだだったので)一休み後、錦小路・四条河原&百貨店など、街をブラブラした。

= Day 4 =
奉拝所千本鳥居2千本鳥居1楼門と本殿最終日はなぜか別行動。妻は北へ(銀閣寺・哲学の道など。私は南。師団街道・伏見稲荷・梅小路機関車区という予定で、京都駅からJR奈良線に乗り稲荷駅で降りる。琵琶湖疏水に沿った師団街道には古い街並みが残っていると、初日、駅の総合案内所で聞いてきたのだが、何もなく(琵琶湖疏水はあった。但し、横浜大岡川並みに殺風景)伏見稲荷へ。
お山めぐり、奉拝所~四ツ辻1奉拝所~四ツ辻2熊鷹社四ツ辻本殿重文から有名な千本鳥居の“トンネル”を奉拝社。そこから一周4㌔という「お山めぐり」。千本鳥居ほどではないが、寄進された赤い鳥居がびっしりと立ち並ぶ。鳥居が途切れると、神社と茶店。突然、大きな池(新池という、自然の池だろうか?)が現れ、市街を見渡せる展望所があった。 案内図新池京都市街展望スペーサ、タテかなり歩いて(登って)四ツ辻、傍らのベンチは休憩する人で満席。境内案内図を見ると、お山めぐりはここからが本番である。周回してここに戻ってくるが、反時計まわりに歩く(登る)ことにする。
四ツ辻~一ノ峰4、狐の手水舎四ツ辻~一ノ峰3四ツ辻~一ノ峰2四ツ辻~一ノ峰1切れ目なく続いていた参拝者の列も鳥居もまばらとなる。三ノ峰(下之社神蹟)、間ノ峰(荷田神社蹟)、二ノ峰(中之社神蹟)を拝みながら坂を上がる。思いのほか厳しい。が、まわりは緑が深くなり、心地よい。末広大神を祀る一ノ峰(上之社神蹟)は標高233m、ちょっとした登山だった。 一ノ峰(上乃社神蹟)一ノ峰~四ツ辻1一ノ峰~四ツ辻2無題念入りにお参りして四ツ辻に下り、茶店の1軒で遅い昼食(もちろんお稲荷さん)を摂り、京都駅に戻る。伏見神社は外国観光客の人気国内No.1の寺社だそうで、参道に大きな(横長の)垂れ幕がはためいていた。

西本願寺御影堂西本願寺阿弥陀堂京都駅から梅小路機関車区がある梅小路公園へ。殺風景な街並みを長々と歩いた努力は報われず、梅小路機関車区は定休日(水曜定休)。しかたなく?、西本願寺・御影堂と阿弥陀堂を見学。境内の休憩所で長々と時間をつぶして、待ち合わせの京都駅に行った。 こだま678号スペーサ、タテ
京都発は1759の“こだま”678号。待合室に1時間強いて、列車の電光掲示板を眺める。ひっきりなしに京都駅を発車する新幹線の多さには驚嘆。5分・10分は当たりまえで、ともすると2,3分おきである。そのほとんどは「ひかり」・「のぞみ」で、新横浜に着くまで(2128)、各駅で「ひかり」or「のぞみ」が追い抜いていった。
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