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日本のミケランジェロと称えられる石川雲蝶の彫刻がある越後魚沼の古刹を数か所巡った。石川雲蝶については、つい最近、NHK朝放送の『もういちど、日本』で知った。
◇1814年(文化11年):江戸雑司ヶ谷に生まれる。江戸彫りの石川流の門人で、20代ですでに彫物師として名を馳せていた。◇1845年(弘化2年):本成寺の世話役内山又蔵の「良い酒とノミを終生与える」という誘いで越後に入り、三条や栃尾で製作活動を開始、32歳。後に三条の酒井家に婿入り。◇1852年(嘉永5年):西福寺開山堂起工。永林寺再建。◇1855年(安政2年):永林寺の製作に入る、13年の歳月をかけ多くの作品を残す、42歳。◇1857年(安政4年)西福寺開山堂落成、44歳。・・・◇1883年(明治16年)逝去、70歳。
石川雲蝶の作品は三条、長岡(旧栃尾)、魚沼・南魚沼の多くの寺社に広く分布しているが、著名?なのは魚沼の西福寺と永林寺。17と19、この二寺と龍谷寺、瑞祥庵を訪ねた。

龍谷寺…南魚沼市大崎3455
関越トンネル4関越トンネル3関越トンネル2関越トンネル1スペーサ、タテ久しぶりの関越トンネルを通り(トンネルを出ると“雪”ならぬ“雨”だった)、六日町インターで一般道へ、R291を10㌔ほど北に行くと八海山龍谷寺。 龍谷寺入口スペーサ、タテ
門を入ると人影はなく、受付らしきところも見当たらない。庫裡らしき玄関を開けて案内を請うと、右の建物から入り、本堂へまわれという。インド様式の特異な御堂(観音堂慈雲閣)に入ると、金ピカの大きな観音様に目を瞠された。 本堂欄間を裏から見る雲蝶:本堂欄間の彫刻スペーサ、タテこの菩薩像は新潟県村上市出身の山脇敏男という人の作。庫裡を抜けて本堂へ。
廊下と室内の間に欄間彫刻が六面、獏・麒麟・牡丹と唐獅子(二面)など。小林源太郎の作品もある。透かし彫りなので、室内(裏)から見てもおもしろい。
スペーサ、タテ雲蝶:本堂欄間の彫刻、獏スペーサ、タテ雲蝶:本堂欄間の彫刻、麒麟スペーサ、タテ雲蝶:本堂欄間の彫刻、牡丹と唐獅子スペーサ、タテ雲蝶:本堂欄間の彫刻、牡丹と唐獅子
雲蝶:本堂室中の欄間の彫刻、船子得誠と夾山善会スペーサ、タテ室内の間仕切りの欄間彫刻、『船子得誠と夾山善会』(せんすとくじょう・かつさんぜんね)。後に禅師となる夾山善会が師匠得誠から舟上で峻烈な試練を与えられている場面を描いたもの。“船子”は舟頭のこと、得誠は渡し舟の舟頭をしていた。浅彫りで、裏面にも葡萄や蝶々などの彫りがある。
スペーサ、タテ雲蝶:本堂室中の欄間の彫刻、船子得誠スペーサ、タテ雲蝶:本堂室中の欄間の彫刻、夾山善会スペーサ、タテ雲蝶:本堂室中の欄間の裏、葡萄・朝顔などスペーサ、タテ雲蝶:本堂室中の欄間の裏、蜂の巣・蝶々など
龍谷寺境内龍谷寺妙光堂の仏像群本堂の先の妙光堂へ。昭和50年落慶という新しい御堂。小さいがたくさんの仏像が整然と並ぶ。その数120体。竹内勝山という人の作。観音堂といい妙光堂といい、龍谷寺はなかなかユニークであった。この後訪ねた西福寺や永林寺のように、雲蝶を強くアピールすることもないので、落ち着いて鑑賞できた。
次の西福寺はR291をそのまま北へ9㌔。途中、食彩工房『そばの華』で昼食。店名から推察されるように現代風蕎麦屋さん。月に一,二度、ライブを開くそうだ。肝心の蕎麦は…蕎麦もたいへん結構だった。

西福寺開山堂…魚沼市大浦174
開山堂向拝彫刻西福寺開山堂 西福寺仁王門スペーサ、タテ125赤城山西福寺到着。開山堂は屋根があるだけの大きな鉄骨の“覆堂”で保護されていた。ちょっと異様な光景。掲示板によると、西福寺は 1534年 芳室祖春大和尚によって開かれ、開山堂は当山23世蟠谷大龍大和尚によって 1857年 に建てられた。列を成す見学者に続いて、庫裏拝観口から堂内へ。 西福寺開山堂入口開山堂天井の大彫刻『道元禅師猛虎調伏の図』、パンフレットスペーサ、タテテレビやインターネットである程度予想はしていたが、実物は息をのむ見事さだった。超絶技巧の大胆かつ繊細な透かし彫り。まだ鮮やかな彩色も驚き。雲蝶はこの超大作を6年で彫ったという。 雲蝶:建具(組み物細工)スペーサ、タテ開山堂天井の大彫刻『道元禅師猛虎調伏の図』はストーリーがあり、道元禅師が天童山へ行脚の途中、山中で一頭の虎が襲いかかろうとしたとき、禅師は持っていた柱杖を投げつけ岩の上で座禅に入る。するとその柱杖が龍に姿を変えて虎を追い払い、禅師の身を守った、という物語を表現している。
雲蝶:崖上猛虎雲蝶:三顧之礼雲蝶:孔雀遊戯之図スペーサ、タテ雲蝶は木彫り以外にも、襖絵や石彫り、建具(組み物細工)など、多彩な作品を残している。西福寺では、大縁(廊下)の板の節などに施された埋め木細工も見どころである。
これほどの作品が国宝でも重文でもないのは不思議である。時代が比較的新しいからか? その疑問を龍谷寺の住職にぶつけると“県民性”―国宝だ、重文だとと騒がない―だろうという説明。最近、日本でも世界遺産にとの動きがやたら多い。最もピントがずれていると思うのは富士山が“文化”遺産だということ。富士山の自然が如何に損なわれているかの証左である。ほんらいなら「自然遺産あるいは複合遺産」であるべきだろう。
245西福寺を出、いささか閉門時間が気になるが、11㌔離れた永林寺へ向かう。

永林寺…魚沼市根小屋1765
永林寺本堂スペーサ、タテ扁額と一匹龍・雲水龍スペーサ、タテ創建年は定かでないが、針倉山永林寺も500有余年の歴史がある古刹・名刹。前後関係は定かでないが、年表によれば、雲蝶は西福寺開山堂の天井彫刻のかたわら、永林寺での製作も行ったことになる。 天女2(背中)天女2天女1スペーサ、タテ永林寺の題材は、見る者を圧倒する西福寺天井彫刻とは対照的に優しく柔らか。『天女』のモデルは雲蝶があこがれた魚沼の女性だそうだ。 小夜之山中蛇身鳥1スペーサ、タテ小夜之山中蛇身鳥2スペーサ、タテ
『小夜之山中蛇身鳥』にも物語がある。“蛇身鳥”とは、熊と間違えて息子を殺した夫(狩が趣味)の祟りで、頭は大蛇、身は大鳥の怪物となった母。月小夜姫は深山に修行する仙人に琴を習えば、弓の名人源三位頼政が蛇身鳥を成仏させるという夢を三日三晩見る。ある夜、狩に出た折り、琴の音に惹かれて深山に入ってきた頼政は、夢知らせと通り、母の化身である蛇身鳥を成仏させる。

瑞祥庵…南魚沼郡湯沢町大字土樽4595
瑞祥庵瑞祥庵樓門、仁王像スペーサ、タテ1日おいて、19瑞祥庵。宿「民宿旅館源次郎」(魚沼市吉田79-4)から南へ45㌔、湯沢インターの近く。龍谷寺にも増して静か。お寺の人も見当たらない。 瑞祥庵吽形像、部分スペーサ、タテ瑞祥庵吽形像スペーサ、タテ瑞祥庵阿形像、部分スペーサ、タテ瑞祥庵阿形像スペーサ、タテ
心ゆくまで仁王像一対を鑑賞する。この仁王像はいかつい金剛力士像と違って“親しみ”がある。吽形像は愛嬌さへ感じる。永年風雪に晒されてきただろうにまだ彩色が残っている。製作年は不明だが、樓門が再建された弘化四年(1847)の数年後という説明であった。
同じ魚沼の穴地大明神もおもしろそうだったが、北へかなり戻るので、湯沢インターから帰途についた。なお、ネットからダウンロードできる資料としては、⇒資料がお薦め。
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