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弘前城(524
空撮3、月山と飛行ルート空撮2、朝日連峰空撮1、朝日連峰と月山スペーサ、タテ524から3泊4日の予定で東北を観光した。755羽田発青森行(JAL141便)、A滑走路を北に向け離陸。しばらくは雲の上、福島を
空撮4、鳥海山空撮5、岩木山スペーサ、タテ過ぎるころ山々が見え始めた。飯豊連峰(判然とせず)、朝日連峰、月山、鳥海山。東北の2000mを越える頂きはまだ真っ白。岩木山が見えた。明日登るつもり。10、青森空港に到着。レンタカーで弘前市内へ移動する。(参考:東北・北海道の空撮、⇒ブログ
サロンドカフェアンジュ(旧東奥義塾外人教師館)スペーサ、タテ弘前市街に到着。車を市役所の駐車場におき、東隣りにある「サロン・ド・カフェ・アンジュ」へ。このレストラン、店内の雰囲気もランチもたいへん良かった。食後、2を見学(旧東奥義塾外人教師館)。この建物に限らず、旧市立図書館や教会、銀行など、この近辺には歴史かつ風情ある洋風建築が多い。
外濠を渡り、市役所の真向かいに位置する追手門から弘前城へ。目当ては、仮台座に立っている天守を見ること。毎回ほぼ欠かさず見ているNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』で、昨年11月16日、『世紀の大工事、“城を曳く”/曳屋職人:石川憲太郎』が放送された。天守をナント丸ごと70㍍動かしたのである(2015.8.16~10.24)。サクラのj時期ではないが、弘前城はこれまで幾度か見てきた。正規の位置に戻される前、その姿を是非見たいと思っていた。動かすことになった理由は土台の石垣に孕みが出て天守も傾き、そのままでは倒壊の危険があったからである。
弘前城本丸石垣弘前城下乗橋弘前城追手門スペーサ、タテ杉の大橋で中濠、下乗橋で内濠を渡り本丸見物用の木枠が組まれ、主がいなくなった台座を上から見られるようになっている。改修工事が始まっていたが、まだ
仮天守台の弘前城天守天守が不在になった天守台弘前城天守曳屋ルート(天守内展示資料)スペーサ、タテ基礎段階という感じ。天守に入る(初めて)。天守といっても櫓(辰巳櫓)を解体新造したものなので小さい。曳屋工事の道具の一部、説明パネルを見、最上階から岩木山を眺める。
オオデマリ(北の郭)オオデマリ(北の郭)スペーサ、タテ鷹丘橋を渡って北の郭(初めて?)。二方 崖に面した静かなところ。武徳殿という休憩所の庭木が真っ白い大きな球形の花をいっぱい咲かせている。古木の手入れををしていた若い女性に尋ねると“オオデマリ”と教えてくれた。
崖ぎわには、濃い赤紫や白、ピンクのシャクナゲ、ツツジがいくつも咲いていた。
スペーサ、タテシャクナゲ1(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ1(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ2(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ2(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ3(北の郭)スペーサ、タテシャクナゲ3(北の郭)スペーサ、タテツツジ(北の郭)スペーサ、タテツツジ(北の郭)

岩木山(車窓から)スペーサ、タテ弘前城から岩木山山麓へ。岩木山神社に参って、神社横の温泉宿「清明館」に入る。 岩木山神社参道岩木山神社楼門明日は嶽温泉から岩木山八合目まで登って深浦まで移動する予定だが、天気予報はかんばしくない。宿の人は八合目まで車で登り(スカイライン)、山頂に登るようにしきりに奨めるが、我々は山麓のブナ林を歩きたいのである。

岩木山ブナ林ウォーク(525
岩木山嶽コース登山口スペーサ、タテ宿から嶽登山口駐車場に移動。岩木山の登山は、直近では2年前(⇒ブログ)、百沢コースを焼止まりヒュッテ(標高1070m)まで。嶽コースは7年前(⇒ブログ)、完登。初登は994。開通まもないスカイラインとリフトで九合目に上がったが、雪が深く、九合目とほぼ同じ標高の鳥海山(とりのうみやま、岩木山を形成する三峰の一つ、1502m)山を往復。二度目は20015。スカイラインとリフトで岩木山に初登頂(標高1625m)し、可憐なミチノクコザクラ(イワキコザクラともいう岩木山固有種)に歓喜。
岩木山は百沢コースがメインだが登山口の標高が低く(百沢172m⇔嶽460m)、取っ掛かりが悪い(公園とゲレンデ歩き1時間)。いっぽう、嶽コースはブナ林の逍遥が楽しめる。欠点は八合目から九合目への道が整備されていないこと(少なくとも7年前はそうだった)だが、リフトを使え(れ)ばこの欠点はクリアされる。
下山のバス(八合目)は11:35、13:45、15:45。下山後 深浦まで移動するので、遅くとも1345のバスには乗れるよう八合目に着かなければならない。標高差800m、距離4㌔、コースタイム2時間~2時間50。膝痛がどうにか回復後 初の本格的登山。7年前の実績(2時間30)はあまり当てにならない。小雨煙るなか嶽登山口を出発(8:40)。
チゴユリ?(岩木山)マイヅルソウ(岩木山)小さな鳥居をくぐり社に御参りして(稲荷神社)登山道に入る。すぐミズナラなどの森の中。路傍に白い花が2種。一つはマイヅルソウ、群落を成している。他は稀少で不明(チゴユリらしい)。 湯ノ沢分岐(岩木山嶽コース)ブナ林1(岩木山嶽コース)ブナ林2(岩木山嶽コース)スペーサ、タテ[左:岩木山山頂|右:湯の沢]と書かれた道標が立っていた。ヤマケイのマップでは湯ノ沢という川に沿って温泉マークが2箇所表示されている。ミズナラからブナに変わって森が明るくなった。緩やかな登り、雨はほとんど感じない。巨木の森分岐(標高800m、9:50)。登山道の
巨木の森分岐(岩木山嶽コース)スペーサ、タテ左を、湯段沢川の谷を隔ててスカイラインは並行している。そのスカイラインの途中に“巨木の森”と書かれた看板があって、車をおいて遊歩道を歩くことができるようになっている。この分岐はそこに通じているのだろうか? いずれにしろ、ブナの森を一気に車で駆け抜けるのはもったいない。さらにしばらく
ブナ林3(岩木山嶽コース)ヤマツツジ(岩木山)スペーサ、タテブナの森の逍遥が続いて、尾根幅は狭く登りがきつくなった。灌木帯。灌木では風雨は防ぎきれない。我慢の登りが
岩木山八合目リフト岩木山八合目バス乗場スペーサ、タテ小1時間も続いたろうか? 濃い霧の中にリフト装置が“亡霊”のごとく浮かび上がった(八合目標高1254m、11:30)。リフトは動いていない。これまた濃いガスの中、ぼうっと見えるレストハウスへ歩く。バスは発車間際。(レストハウスで)“レスト”する間もなく、我々二人だけを乗せたバスは一気に嶽温泉に降りた。(11:35-12:00)。
千畳敷海岸五能線千畳敷駅スペーサ、タテ深浦へ(12:20)。鯵ヶ沢の食堂に入り損ね(海鮮ラーメンが旨かった記憶がある)、 ペンションおもしえスペーサ、タテ遅いかつ簡素なお昼をコンビニで。千畳敷で一休みして、お宿に着く。ぺんしょん「おもしぇ」。脱サラという感じの旦那さんと奥さん二人経営のこじんまりした宿。『民宿のようなものです』と謙遜していたが、いい宿だった。

男鹿半島五社堂入道崎(526
深浦の宿から(8:55)100㌔余を長駆し男鹿駅観光案内所。途中、白神岳登山で利用した道の駅「はちもり」、五能線の旅で泊まった「ハタハタ館」、二ツ森登山の下山後“白神麹”を使ったパンを買ったFresh Bakery「BOSCHETTO」に、それぞれ立ち寄る。パン屋は一度行っただけなので[二ツ森登山口]の道路標識を過ぎてからは注意運転。無事見つけることができた。目印はコスモスタンドだった(スタンドの前)。
秋田平野スペーサ、タテ101の両側に広がる、水が入りいちだんと美しくなった秋田平野を抜け、八郎潟の干拓地の田圃は並木に遮られて見えず。赤神神社そばの駐車場スペーサ、タテ
男鹿駅観光案内所で資料をかき集め、係の人の話も聞いて赤神神社五社堂へ(13㌔)。「五社堂入口」と大書した看板が出てきたが、車を停められそうなところがない。すこし手前に、トイレと巨大ななまはげ立像がある駐車場があったのでそこに車をおく(12:40)。 赤神神社拝殿赤神神社五社堂入口(駐車場あり)スペーサ、タテ赤神神社拝殿横から、半ば草に隠れた石段を上る。五社堂まで999段はいささか大義。ほどなく山門、廃仏毀釈で所有者が“神に仕える者”となったから“隋神門”というべきか、山門を過ぎると立派な五社堂専用駐車場があった。多くの人はここから登るらしい。石段も歩きやす
赤神神社五社堂1スペーサ、タテ赤神神社五社堂2赤神神社五社堂3赤神神社五社堂4スペーサ、タテくなった。思ったほど大義することなく、国の重要文化財五社堂に着く。新緑の中に並ぶ5つの棟は、人気がまったくないこともあって独特の雰囲気に包まれていあた。中央の棟(赤神権現堂)が大きい。厨子が納められているかららしい。
説明板によれば、現在の五社堂は江戸中期、秋田藩主佐竹義格の命によって建て替えられた。前身は、貞観二年(860)、慈覚大師円仁が建てた日積寺永禅院。赤神は漢の武帝が飛来したところと伝えられ、赤神をその山神とした。祀られているのは5のナマハゲで、両親と子供3人だという。 また、九九九段の石段については、およそ2000の昔、漢の武帝が5のコウモリを連れて男鹿にやってきた。コウモリは5の鬼に変わった。武帝は5の鬼たちを家来として使ったが、年に一度正月を休みにした。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになった。 困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことができれば年に一人づつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをした。鬼たちは精魂を尽して積上げ、あと一段の完成寸前というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちは諦めて、約束どおり山奥へ と立ち去ったと云われている。この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか云われている。
覗いたものの余命をあらわすという「姿見の井戸」をおそるおそる覗く。「姿見の井戸」は全国各地にあるが、ここのはかなりの古井戸。結果は、今年に一年は生きられるようだ。はっきり写れば今年の生命が保証される。写りのはっきりしないものは、災難不幸にあう。まったく写らないものは、その年のうちに死ぬこともある、とか。渇水時で水量が減ったり、落葉が大量に落ちると、ハッキリ写らないかもしれない。
北緯40度と世界地図北緯40度の碑男鹿半島入道崎スペーサ、タテスペーサ、タテ赤神神社のある本山門前から(14:00)、男鹿半島海岸線をどこにも寄らずに入道崎(14:50)そして入道埼灯台。断崖絶壁の僻地にあることが多い中で、灯台は広々とした
入道埼灯台入道埼灯台から海岸線 草原に立っていた。位置が北緯40度線上(詳しくは40-0-18)。 雑然と立ち並ぶ飲食店と土産物店(入道崎)スペーサ、タテその40度ラインに沿い石のモニュメントが並べられている。この灯台は“展望塔よろしくは“展望塔よろしく”中に入ることができる。眺めはなかなか良かったが、“展望台”は吹きさらし、長居はできなかった。入道埼灯台の初点灯は明治31(1898)111
磯焼きの実演(男鹿ホテル)男鹿ホテルスペーサ、タテ入道崎から男鹿温泉鄕は近い。3半、「男鹿ホテル」に入る。男鹿ホテルは観光地の大きなホテルということで、あまり期待していなかったが、いいホテルだった。とくに夕食と温泉。 なまはげ太鼓のライブスペーサ、タテ
食後、『なまはげ太鼓』のライブへ。会場は近隣の旅館・ホテルから集まって満員の盛況だったが、それを圧倒する迫力溢れる演奏だった。

旅は一日延びることに・・・秋田・久保田城(527-28
チェックアウト時、料金の支払いでトラブル(カードで支払い済みなのに請求された)があり、ホテルを出たのは9前。しかし、寒風山に寄るつもりが登り口を通り過ぎ、戻るのも面倒なのでそのまま空港へ、秋田空港に出発の2時間以上前に着いてしまった(男鹿温泉~秋田空港:70㌔)。売店を見たり、送迎デッキ(3F)に上がって飛行機を眺めたり(羽田行11:50の全日空機が駐機中、札幌からの小型機J-AIRが到着11:25)、軽く食べたり、しかし長くは椅子に腰かけボンヤリしていた。3Fの資料展示室内の遊具で小さい男の子が遊んでいる。旅行ではなさそうだ。(ママの話によれば)よくここに来るらしい。
秋田空港鳥海山(JAL164から)スペーサ、タテ羽田からの日航機(JAL163→JAL164)が到着したのは12もかなりまわった頃だったが、出発はほぼ定刻(12:50)だった。座席は最後列右窓側、雲間から思いがけなく鳥海山が見えた。 秋田空港スペーサ、タテ日本海側のスッポリ右半分が雲に覆われた珍しい光景。機はまた厚い雲の上。福島県上空と思しき頃、機長の“恒例”の挨拶。しかし内容は“恒例”に非ず。『・・・、羽田空港は滑走路閉鎖されているため秋田空港に戻ります』。続いて、客室乗務員の事故の概要(大韓航空機が離陸時エンジン火災を起こしたらしい)と日航の対応について説明。
選択肢はイ.運賃払戻し→代替手段を自分で手配(新幹線地上交通や全日空他の航空会社) ロ..明日以降の日航機に振替え(今日の便は欠航が決まっている) 明日は楽しみにしていた孫の運動会。今日中に帰るには新幹線しかないが、秋田駅に行って指定席が取れる保障はない(ケータイでの予約操作は苦手)。 立ちんぼ覚悟で帰るか。東京駅から羽田の駐車場に行くのも面倒。日航機以外の方法は、我々はパック料金なので持出しが出るかも。高速バスという手はその時は考えつかなかった。 秋田空港の日航カウンター前の長い列に並び、順番を待つ間アレコレ考える。機内での説明は(イ)が推奨だったが、明日の同便にまだ空きがあるという。最も安易でかつ±0、即これに決めた。『インフォメーション』から今夜の宿を予約し、バスで秋田駅前HOTEL α-1」へ。夕食は「秋田比内地鶏や」の親子丼、たいへん美味だった。

旧秋田銀行本店スペーサ、タテ思いがけない秋田市内ショートサイトシーイングは旧秋田銀行本店本館(赤れんが郷土館)と久保田城。秋田銀行本店本館(国指定重要文化財)はちょっと類を見ない重厚かつ美しい建物。四囲から、ためつすがめつ、ため息もついて眺めた。 久保田城1久保田城2スペーサ、タテ
久保田城。緑豊かな広々とした城内。のんびり歩いていると、その一本の緑の根元に近いところで、一心に幹を突いている鳥がいる。アオゲラだった。かなり近くに寄っても逃げようとしない。よっぽどお腹が空いているか、美味しい虫がいるのだろう。私もひたすら
アオゲラ1アオゲラ2アオゲラ3アオゲラ4アオゲラ5スペーサ、タテシャッターを切った。アオゲラが高い所に移動したのを機に、我々もその場を離れた。
秋田空港スペーサ、タテ1130頃、空港に到着。12時20分頃、東京からの便が到着。12時50分、定刻に羽田に向け離陸。窓側の座席は取れず。
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